薬にまつわるエトセトラ 薬にまつわるエトセトラ

学べば学ぶほど、奥が深い薬の世界。もと製薬企業研究員のサイエンスライター・佐藤健太郎氏が、そんな「薬」についてのあらゆる雑学を綴るコラムです。

第49回 薬にまつわるエトセトラ

「カゼ みずむし ガン この三つのうちどれか一つでも完全に治す方法を発見した人はまちがいなくノーベル医学賞を取れる」とは、手塚治虫ブラックジャックのセリフ。著書『医薬品とノーベル賞』を執筆した佐藤健太郎氏が、今年のノーベル賞について思うこととは?

ノーベル医学賞に2度裏切られる

ノーベル賞の理念は、「前年に最も人類に貢献した人に対して賞を贈る」というものです。
となれば、直接に人々の病苦を救う、医薬品の開発に対して多くのノーベル賞が出ていてもおかしくないように思えます。

しかし、このジャンルに対する授賞は、非常に少ないのが現実です。
1988年、H2ブロッカーを開発したジェームス・ブラックなど3名にノーベル生理学・医学賞が与えられて以降、医薬の開発者がノーベル賞を受けた例はありませんでした。

この沈黙が破られたのは2015年、大村智ら3名が受賞を果たしました。
熱帯に蔓延する寄生虫病やマラリアの治療薬を開発した功績が認められたのです。

実のところ、これを聞いた瞬間、筆者はかなり意表を突かれた思いになりました。
医薬分野から賞が出るなら、近年進展が著しい、抗がん剤を始めとした抗体医薬が対象になるのではと思っていたからです。

そうした中で大村博士ら3名が受賞を果たしたのは、ノーベル賞委員会からのメッセージが込められていたのではないかと思えます。
熱帯地域で寄生虫などによって病に苦しんでいる数億の人々よりも、先進国の金持ちの老人を数年生き長らえらせる薬の開発が優先される現状は、どこか歪んでいるのではないか――というものです。
巨大な資金力を持つ製薬企業の影響力を、ノーベル賞委員会は慎重に排除しようとしているという面もありそうです。

その意味で、抗がん剤開発などの受賞は難しくなってしまったのではないか――と思っていたところに、また予想を裏切る知らせが飛び込んできました。

本庶博士が発見したPD-1とは?

2018年度のノーベル生理学・医学賞が、本庶佑博士とジェームス・アリソン博士に贈られることが決まったのです。両博士の功績は、免疫チェックポイント阻害剤の開発により、がんの免疫療法の道を切り拓いたというものです。

がんは遺伝子の変異が積み重なって起きる病気であり、実は毎日5000個ものがん細胞が生成しているといわれます。しかし、異物を発見して処理する免疫系の働きによってこれらは素早く排除されるため、簡単にがんを発症することはありません。

このように免疫系は実に頼もしい存在ではありますが、問題もあります。
敵と味方を間違えて認識すると、自分自身の体を攻撃してしまい、深刻なダメージを与えるのです。これがいわゆる自己免疫疾患で、リウマチや多発性硬化症など重大な病気が少なくありません。

これを防ぐため、免疫系には「ブレーキ」が存在しています。免疫系の主要兵器であるT細胞の表面に発現している、PD-1という受容体がそれです。
抗原提示細胞の側にはPD-L1及びPD-L2というタンパク質が突き出ており、これがPD-1に結合することで「自分は味方である」と知らせ、攻撃を抑える仕組みです。

一部のがん細胞は、この仕組みを悪用します。細胞の表面にPD-L1を発現させ、「自分は味方である」とT細胞をだますことで、免疫系の攻撃をかわしているのです。本庶博士が発見したのは、こうしたPD-1の役割とメカニズムでした。

すなわち、この仕組みを妨害する医薬を創れば、免疫系による攻撃が復活し、がん細胞を駆逐してくれるはずです。この発想の下、生み出されたのが抗PD-1抗体ニボルマブ(商品名オプジーボ)にほかなりません。

オプジーボの薬価と副作用

オプジーボは今までならば手の打ちようがなかったようながんにも、著効を示すケースが報告されています。肺がんの臨床試験では、既存の医薬に対して遥かに優れていることがあまりに明らかであったため、これ以上の続行は対照薬を投与されている患者に不利になるとして、人道的見地から試験が中止されたほどです。

オプジーボは、免疫チェックポイント阻害というメカニズムであることから、多くのがんに有効である可能性があります。このため、オプジーボは悪性黒色腫から始まり、肺がん、胃がんなどへ適応拡大が進んでいます。

ただし、オプジーボはどんながんにも副作用なく効く、夢の薬などではもちろんありません
たとえば肺がんの場合、奏効率は20%ほどに過ぎません。また、免疫系のブレーキを外すというメカニズムですので、自己免疫疾患を引き起こす副作用も報告されています。

一方で、オプジーボは超高額の薬価という大きな問題を我々に突きつけています。
また、真の免疫療法であるオプジーボの登場は、世に溢れる根拠の不明確な「免疫療法」の存在に一般の目を向けさせ、再考を促すよい機会ともなりました。オプジーボはあらゆる面で、現代の医薬と医療を取り巻く状況を象徴する薬であると思えます。

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佐藤 健太郎(さとう けんたろう)

1970年生まれ。1995年に東京工業大学大学院(修士)を卒業後、国内製薬企業にて創薬研究に従事。2008年よりサイエンスライターに転身。2009年より12年まで、東京大学理学系研究科化学専攻にて、広報担当特任助教を務める。『世界史を変えた薬』『医薬品クライシス』『炭素文明論』など著書多数。2010年科学ジャーナリスト賞、2011年化学コミュニケーション賞(個人)。ブログ:有機化学美術館・分館

 

ベストセラー『炭素文明論』に続く、文明に革命を起こした新素材の物語。新刊『世界史を変えた新素材』(新潮社)が発売中。

佐藤 健太郎
(さとう けんたろう)

1970年生まれ。1995年に東京工業大学大学院(修士)を卒業後、国内製薬企業にて創薬研究に従事。2008年よりサイエンスライターに転身。2009年より12年まで、東京大学理学系研究科化学専攻にて、広報担当特任助教を務める。『世界史を変えた薬』『医薬品クライシス』『炭素文明論』など著書多数。2010年科学ジャーナリスト賞、2011年化学コミュニケーション賞(個人)。ブログ:有機化学美術館・分館

 

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