薬にまつわるエトセトラ 薬にまつわるエトセトラ

学べば学ぶほど、奥が深い薬の世界。もと製薬企業研究員のサイエンスライター・佐藤健太郎氏が、そんな「薬」についてのあらゆる雑学を綴るコラムです。

第54回

人類はいつ医薬を使い始めたか?

今でこそ日常生活にあって当たり前の医薬ですが、その起源はいったいいつなのでしょうか? サイエンスライター・佐藤健太郎氏が人類と医薬の歴史について紐解きます。

“最古のアイテム”

我々の身の回りにある数々の製品は、いったいいつから使い始められたのか、調べてみるとなかなか面白いものです。たとえば、最近では「EVシフト」などといって、ガソリン車から電気自動車への変換が世界的に進められています。しかし、実は電気自動車はガソリン車よりもずっと早く実用化されているのです(前者が1873年、後者は1885年)。ついでにいえば、チェーンのついた自転車の出現は1879年であり、自動車の後だというのも面白いところです。

もちろん、あらゆる製品は改良され、姿を変えてゆくので、一概に「何年に発明された」とはいえないものも多くあります。たとえばビールは、古代のエジプトにもあったとされていますが、この時代のビールはどろどろの液体であり、現代の我々が知るものとは全く別物でした。泡の浮かんだ金色のビール(ピルスナー)が誕生したのは意外に最近で、1842年のことです。西暦105年に突然ほぼ完成品として登場した紙のようなケースは、むしろ例外中の例外というべきでしょう。

さてこうして考えた時、我々の身の回りの製品のうち、最も古くから使われているものは何か、という疑問が出てきます。陶器や衣服などがまず頭に思い浮かびますが、実のところ最も昔から人類の傍らにあった品物は、医薬かもしれません

もちろん現代でも、医薬はいざという時なくてはならないものです。しかしはるか昔の時代には、衛生状態も悪く、敵や猛獣に襲われる危険も高かったことから、有効な医薬は今よりずっと切実に求められていたことでしょう。このため、文字が発明されるや否や、人類は医薬の製法を記録し始めています。このため、バビロニアの粘土板にもエジプトのパピルスにも、医薬の製法と使用法は多数書き残されています

神々が使った薬

世界各地の神話にも、医薬の神が必ずと言っていいほど登場します。たとえばギリシャ神話には、死者さえ甦らせたという名医アスクレピオスがいます。日本では、大国主命(おおくにぬしのみこと)や少彦名命(すくなひこなのみこと)が、医薬の神様として祀られています。

大国主命は、因幡の白ウサギが皮を剥がれて痛みに苦しんでいた時、体を真水で洗って、摘んできた蒲(がま)の花の上に寝転ぶとよい、とアドバイスしたという神話が残っています。古代の人々に、痛みを癒す薬がいかに切実に求められていたか、伝わってくる気がします。

中国の伝承には、三皇五帝の一人として神農が登場します。神農は、あらゆる草木を舐めてその効能を調べ、多くの医薬を見つけ出したと伝えられます。彼の胴体は透明で、毒を食べると内臓が黒ずむのを見て、その作用を解明したといいます。現代の生物学では、体組織の透明化や、蛍光化合物などによる作用部位の可視化が大きなトレンドとなっていますが、神農はこれを数千年も先取りしていたということになるでしょうか。

病苦に悩んだアイスマン

文字記録や神話ではなく、現物の医薬はどのくらい昔まで遡れるのでしょうか? 石器や土器と異なり、医薬は長い時間の流れに耐えられないので、その発見は難しいと考えられていました。しかし近年の科学の進歩により、いにしえの医薬の一端が明らかになりつつあります。

1991年、イタリアとオーストリアの国境付近の氷河で、一体のミイラが発見されました。詳しい調査の結果、「アイスマン」と名付けられたこのミイラは、約5300年前の新石器時代に生きた男性であったことが明らかになったのです。

彼の腸には鞭虫が寄生していました。そして彼の持ち物には、鞭虫に対する毒性を持つカンバタケというキノコを干したものが含まれていたのです。おそらく彼は、これを駆虫薬として利用していたのでしょう。アイスマンの発見は、考古学研究に多くの驚きと進展をもたらしましたが、医薬史にとっても画期的な出来事だったといえます。

ネアンデルタール人の鎮痛剤

しかし2017年、これよりはるかに古い医薬の使用例が報告されました。スペインで出土したネアンデルタール人の上顎骨を調べたところ、歯石からペニシリウム属の真菌や、サリチル酸を含んだポプラの破片が発見されたのです。

このネアンデルタール人の腸管内からは、激しい下痢を引き起こす病原体も見つかっており、かなり健康状態は悪かったものと推測されます。この治療のため、彼は抗生物質を作る青カビや、鎮痛効果のあるサリチル酸を含んだポプラの木を噛んでいたと推測されています。歯石からこれだけのことがわかるというのは、驚きという他ありません。

となれば、医薬の起源は約5万年前にまで遡れるわけです。医薬こそは人類の最も古くからのパートナーであったという言い方は、決して大げさではないのではないでしょうか。

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佐藤 健太郎(さとう けんたろう)

1970年生まれ。1995年に東京工業大学大学院(修士)を卒業後、国内製薬企業にて創薬研究に従事。2008年よりサイエンスライターに転身。2009年より12年まで、東京大学理学系研究科化学専攻にて、広報担当特任助教を務める。『世界史を変えた薬』『医薬品クライシス』『炭素文明論』など著書多数。2010年科学ジャーナリスト賞、2011年化学コミュニケーション賞(個人)。ブログ:有機化学美術館・分館

 

ベストセラー『炭素文明論』に続く、文明に革命を起こした新素材の物語。新刊『世界史を変えた新素材』(新潮社)が発売中。

佐藤 健太郎
(さとう けんたろう)

1970年生まれ。1995年に東京工業大学大学院(修士)を卒業後、国内製薬企業にて創薬研究に従事。2008年よりサイエンスライターに転身。2009年より12年まで、東京大学理学系研究科化学専攻にて、広報担当特任助教を務める。『世界史を変えた薬』『医薬品クライシス』『炭素文明論』など著書多数。2010年科学ジャーナリスト賞、2011年化学コミュニケーション賞(個人)。ブログ:有機化学美術館・分館

 

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