薬剤師と著名人エピソード 薬剤師と著名人エピソード
名作を著した作家や誰もが知っているような大企業の創業者。医療とは直接関わりのない業界で活躍した中にも、薬剤師資格や医師免許を持っていた人々がいるんです。彼/彼女は一体どんな人物だったのか? どんな人生を送ったのか? 意外な発見があるかもしれません。
第6回 ジョン・ペンバートン(1831年〜1888年)
プロフィール

薬剤師、医師、軍人。『コカ・コーラ』の開発者として有名。コカ・コーラは当初、コカの葉とコラの実を配合し、彼の生前は薬として飲まれていた。亡くなる数ヵ月前まで新しい薬用飲料の開発をしていたといわれる。1888年、57歳で没。

19世紀末 激動のアメリカ

南北戦争後、19世紀末のアメリカ。アメリカは農耕の国から工場の立ち並ぶ都市社会へと激動の時代を歩んでいた。
負傷した復員兵には売薬が必要であり、医者不足の農村部では心身の不調を癒やすため、売薬に頼っていた。また輸送手段の革命による移民の急増は国内に新しい消費者を呼び込んだ。まさに売薬ブームの時代であった。
時代の動きがあまりにも激しかったため、人々に神経症的な症状を特徴とした病気が広がった。そんななか、ジョン・ペンバートンが開発した『コカ・コーラ』は、「神経強壮薬」として発売された。

19歳で薬学の学位を所得、晩年にコカと出会う

ペンバートンは17歳で漢方医科大学に入学、19歳で卒業。さらに薬剤師の学校に1年間通った後、薬剤師として働き出す。そのかたわら、学者としての研究も怠らなかった。国内外を問わず医療系の文献に幅広く目を通し、何年にもわたって大量の医薬品に関する執筆に取り組んでいる。
1855年からペンバートンは何人かのパートナーと組みながら、強壮剤や薬用酒、香水などの開発販売で成功するが、1861年に西南戦争が勃発。「ペンバートン義勇軍」を組織し、戦闘中に重いケガを負った。軍を抜けた後はニューヨークで売薬の開発・販売に勤しんだ。

薬用ワイン『フレンチ・ワイン・コカ』

初期コカ・コーラの原料のひとつであるコカの葉は、現在では依存性が高く非難の対象になっているが、当時は興奮薬、消化薬、強壮薬、アヘンやモルヒネ中毒の治療薬としての研究と、大変もてはやされていた。コカの葉を使用した薬用酒もさまざまなものが出回った。
戦後の1879年、ペンバートンは初期のコカ・コーラに入っていたもうひとつの原料であるコラの実と出会う。彼が開発した薬用酒『フレンチ・ワイン・コカ』にもコカの葉とコラの実が入っている。
『フレンチ・ワイン・コカ』は「純粋なぶどう酒に、ペルーのエリトロクシロン・コカ、アフリカのコラの実、本物のダミアナの薬効エキスを溶かした(※)」もの。すでに人気のあったコカの葉と、新たなブームを起こしていたコラの実入りのこの飲料が大成功をおさめようとした矢先、禁酒運動が起こりペンバートンは大打撃を受ける。

『コカ・コーラ』の誕生とジョン・ペンバートンの死

禁酒運動を受けて、ペンバートンは『フレンチ・ワイン・コカ』からワインを外した調合を試みる。果物から抽出した植物油の実験、果糖、酸味の追加など試行錯誤を繰り返し、納得できる調合を探すのに躍起になった。そしてついに1886年5月、『コカ・コーラ』が誕生したのである。ペンバートンが亡くなるたった2年前のことだった。
ペンバートンは生涯をかけ、完璧な薬であり飲み物となるものを探していた。『コカ・コーラ』誕生後も、最高の調合を見つけようと仕事を続けた。その頃、胃がんに侵されていると判明したが、亡くなる数ヵ月前にも製薬工場に赴き新しい配合を試していたほどである。
しかし完璧な調合は見つからないまま、ペンバートンは1888年に57歳で死去。彼の訃報を載せた新聞は、彼を「アトランタで最も高齢の薬剤師で、最も有名な市民の一人……そしてとりわけ人気者の紳士(※)」と評していたという。

※参考文献
『コカ・コーラ帝国の興亡』マーク・ペンダグラスト 著 / 古賀林幸 訳(※引用元)
『神話のマネジメント』河野昭三・村山貴俊 著

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