薬剤師と著名人エピソード 薬剤師と著名人エピソード
名作を著した作家や誰もが知っているような大企業の創業者。医療とは直接関わりのない業界で活躍した中にも、薬剤師資格や医師免許を持っていた人々がいるんです。彼/彼女は一体どんな人物だったのか? どんな人生を送ったのか? 意外な発見があるかもしれません。
第8回 森鴎外(1862年~1922年)
プロフィール
 
 
本名は森 林太郎(もり りんたろう)。
東京大学医学部を卒業後、軍医となる。国の命でドイツへ留学し、帰国後は軍医のかたわら多くの小説・史伝を執筆。医学・文学の評論家としても知られ、ヨーロッパ文学の翻訳や紹介を行うなど、明治を代表する知識人であった。
代表作に『舞姫』『ヰタ・セクスアリス』『雁』など。

典医(※1)の家柄に、長男として生まれる

1862年、石見国津和野(現・島根県津和野町)に生まれる。代々典医の家柄で、鴎外は幼いころから論語や孟子、オランダ語に親しみ、前途を嘱望される賢い子どもであった。
 
10歳のときに父親と一緒に上京。翌年には家族全員が上京した。鴎外が11歳のときに第一大学区医学校(現・東大医学部)予科(※2)に入学。通常の入学時の年齢は14歳なので、年齢を2歳多く偽っていたことになる。本科を卒業したのは1881年、鴎外19歳の年であった。

ドイツ留学時代

卒業年の12月より、鴎外は東京陸軍病院に勤務。半年後に軍医本部付となり、1884年にドイツ(当時はドイツ帝国)陸軍の衛星制度の調査のため、留学を命じられ渡独、1888年に帰国した。
 
この留学期間に、軍医としては衛生学を修め、細菌学の入門講座をへてコッホ(※3)の衛生試験所へ入所。赤十字国際会議の通訳官として会議に出席、ウィーンの万国衛生会に日本政府代表として参加するなど、さまざまな活躍をする。
 
そのかたわら、私生活では舞踏会や夜会へ顔を出し、兵学者原田一道の息子・直次郎や華族の近衛篤麿など名士の子息と観劇に赴くなど社交的な日々を送っていた。ベルリン時代に出会ったドイツ人女性は代表作『舞姫』を創作する契機になった。

帰国後の文筆活動

1889年、海軍中将の娘と結婚し長男をもうけたが1年半後で離婚。このころに翻訳戯曲や翻訳詩を執筆し、1890年には前述の『舞姫』を発表した。
 
『舞姫』は、「ドイツに留学中の若者とドイツ人少女が恋に落ちる。少女は子どもを身ごもるが、若者は友人の忠告を受け帰国する決断をする。少女はショックを受け、治癒の望みがないほど精神のバランスを崩してしまう。若者は後ろ髪をひかれながらも帰国する……」というものであり、そのセンセーショナルな内容が世間を大いに驚かせた。
 
ちなみに『舞姫』のヒロイン・エリスのモデルとされるドイツ人女性は、1888年に来日し、1ヵ月の間日本に滞在した。女性の来日に鴎外の親族は驚き、鴎外の結婚を急がせたともいわれている。当時、国際結婚(特に官僚の)は一般的ではなかったためである。
 
鴎外は戦後、1899年に軍医監(少将相当)に昇進し、福岡県小倉へ転居する。1902年に母親が勧めるまま18歳年下の女性・志げと結婚。間に生涯で4人(内、1人は幼くして死去)の子どもをもうけた。後年の史伝執筆につながる掃苔(そうたい、探墓)(※4)の趣味を得たのも小倉時代だった。

陸軍軍医総監に就任、旺盛な執筆欲

1902年、第1師団軍医部長の辞令を受け、鴎外は妻と一緒に再び上京する。その後、日露戦争に第2軍軍医部長として出征、1907年には陸軍軍医の最高位である陸軍軍医総監、陸軍省医務局長(中将相当官)に就任した。
 
鴎外は公務のかたわら、戯曲や小説の創作、外国文学の翻訳、解説と意欲的に執筆活動を続けた。発表直後に発禁処分を受けた、『ヰタ・セクスアリス』(ウィタ・セクスアリス/ラテン語で欲的生活)もこの時期(1909年)の作品である。
 
1912年ごろからは、歴史小説に進み『阿部一族』『山椒大夫』、史伝『渋江抽斎』などを残す。ただし現代ものも平行して執筆しており、随筆『空車』『礼儀小言』などを著している。

「余ハ石見人森林太郎トシテ死セント欲ス」

1922年、親族や友人が付き添うなか、肺結核と萎縮腎のため満60歳で死去。遺言によって墓には一切の栄誉・称号を排して「森林太郎墓」とのみ記されている。鴎外は宮内省や陸軍での壮大な追悼儀式も固辞した。
 
『遺言は「余ハ石見人森林太郎トシテ死セント欲ス」の節が有名。「石見」は生まれの石見国津和野を指し、「私はただの石見の森林太郎として死にたい」という意味である。軍医として、また文筆家として大成しながらも、一切の縁から離れ「個」として旅立ちたいというのが鴎外の最期の望みであった。
 

※1 宮内省に属する医療・調薬を担当する部署(典薬寮)の医師
※2 予科:旧制大学入学前の段階で,旧制高等学校に相当する課程。
※3 ルイ・パスツールとならんで「近代細菌学の開祖」とされる細菌学者
※4 掃苔は墓石についた苔を掃き清めること、転じて墓参りのことを指す。文人的な趣味としての「掃苔」は、先達や著名人の墓を探して(探墓)、詣でることをいう。

 
参考文献
『作家の自伝 (2) (シリーズ・人間図書館) 』 森鴎外 著、 長谷川泉 編 日本図書センター刊

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