学べば学ぶほど、奥が深い薬の世界。もと製薬企業研究員のサイエンスライター・佐藤健太郎氏が、そんな「薬」についてのあらゆる雑学を綴るコラムです。薬のトリビアなどを伝えられると、患者さんとの距離も近くなるかもしれませんね。
書店の医学書コーナーで、いわゆる「医学否定本」を見る機会が増えたと感じます。既存の医療や医薬の限界を述べた上で、「この方法で真に健康になれる」「病気が治る」などと訴える構成が多いようです。もちろんそれで病気が治るのならよいのですが、実際には医学的根拠の薄い(あるいは、まったくない)ものが少なくありません。一時期話題となったホメオパシーなどは有名な例ですが、その後も感心するくらいに新手の健康法やらオリジナルの治療法やらが次々と登場し、書店の棚を埋めています。
医学否定本と一口にいっても、中身やレベルは多種多様です。さして害のない健康法のようなものから、壮大な陰謀論めいた本まで、ありとあらゆる本が登場しています。
もちろん、医師法や薬事法に反しない限り、どのような医療、どのような健康法を主張しても、書き手の自由ではあります。また、医学否定本に書かれていることすべてが、まったくの荒唐無稽というわけではありません。過剰な投薬への警鐘など、現在の医療のあり方に関して重要な指摘を含んでいるものもあります。しかし、医薬の副作用のみを言い立てて効能を全否定し、一切利用すべきでないというような極論は、さすがに問題視すべきでしょう。
困ったことに、こうした「医学否定本」はずいぶん売れているようです。抗がん剤は無効であり、がんになっても放置すべきだと主張する本は、100万部を超える売れ行きとなりました。その後も新書などで医薬否定本は続々と出版されており、医学書の売り上げランキングの常連となっているようです。こうした話は週刊誌などでも大きく紹介されますから、薬剤を扱う現場にもかなりの影響が出ていることと思います。十分に安全性の確立された薬を、適正に使うことまで拒絶されては、治る病気も治りません。
こうした本の内容は、プロが見れば何がおかしいかすぐわかりますが、一般の人にはウソを見抜くのは相当に困難です。本を書いているのは教授や医師、博士といった権威ある肩書きの人物ですし、中身には医学用語や生化学用語がもっともらしく並べられていますから、信じるなという方が難しいと思われます。
最近では、ネットで内容の真偽を調べることもできるようになっていますが、これも正しい情報に辿り着けるとは限りません。ウェブ上の感想やレビューなどは、医学否定本の著者に強く同調している人が書いたものが多く、医師など専門家によるものは少数です。専門家は、論文に書かれたものなら反論もしますが、一般向けの新書などはなかなか相手にしたがりません。
また、特にウェブ上での健康関連の情報は玉石混淆です。たとえば、いくつかの医学否定本では「医薬を摂取すると、限りのある体内の酵素を消費してしまう」という理由で、なるべく医薬を服用すべきでないと主張しています。これは「酵素栄養学」という古い理論に基づく考えで、現代の生化学でいう「酵素」とはかけ離れた、かなり頭の痛い内容です。
しかし、ウェブで「酵素」というキーワードで検索をかけてみても、上位にかかってくるのはほとんどがこのおかしな「酵素」に関するもので、まともな解説はごく少数しかヒットしません。他の代替医療やニセ医学についても事情は大同小異で、業者の宣伝や広告塔となる有名人の発信が、正しい情報を圧倒してしまっているのです。医薬に関する、捻じ曲げられた情報がはびこる現状には、かなり憂慮すべきものがあります。
正直いって、この状況を一挙に打破する名案はなかなか思い浮かびません。医薬否定本に対するカウンターとなる本も、最近いくつか出てきてはいますが、大きく話題を呼ぶには至っていません。内容も専門的で難しくなることは避け難く、どちらが正しいか判断を下しかねる人は多いと思われます。
もちろんこうしたカウンター情報が増えてきたことはとても重要で、薬剤師の皆さんとしてはこうした本に目を通しておく価値があると思います。しかし、人の心を動かすのはやはりデータの積み重ねではなく、結局は「説明する人がどれくらい信頼されているか」にかかっています。氾濫するニセ医学情報に対する最後の砦として、薬剤師が果たす役割はますます重くなりそうです。