学べば学ぶほど、奥が深い薬の世界。もと製薬企業研究員のサイエンスライター・佐藤健太郎氏が、そんな「薬」についてのあらゆる雑学を綴るコラムです。薬のトリビアなどを伝えられると、患者さんとの距離も近くなるかもしれませんね。
終わらないいたちごっこ
前回、いわゆる危険ドラッグのあらましについて書きました。今回は、なぜ危険ドラッグの取り締まりが難しいのか、新たな規制はどのようなものかについて、解説してみましょう。
前回述べた通り、麻薬や覚せい剤などの分子構造を変換して、鎮痛剤などの役に立つ医薬を作る研究は、盛んになされています。しかし、こうして作り出された化合物の中には、幻覚や陶酔作用など、麻薬としての性質を備えたものがあります。こうした化合物を密かに製造し、マーケットに流す者がいるのです。
たとえばMDMA(3,4-メチレンジオキシメタンフェタミン)は、かつてPTSD(心的外傷後ストレス障害)の治療薬として使われていました。これは、覚せい剤の一種であるメタンフェタミンに、いくつか原子を付加した構造です。しかしこの化合物には多幸感をもたらす作用があり、嗜好的に用いられてしまったため、麻薬の一種として規制されることになりました。しかし今もMDMAは「エクスタシー」などの通称で流通し、日本でも芸能人が使用して事件になるなど、代表的な麻薬のひとつとなっています。
麻薬を取り締まる法律はいくつかあり、国によってもシステムは異なりますが、基本的に特定の構造を持った化合物を指定し、その製造や販売、所持を禁止するという形式です。しかしこうして規制をかけるたびに、元の化合物に原子を加えたり除いたりして、指定範囲をすり抜けた化合物が次々出現してきます。下図を見れば、規制と回避のいたちごっこが繰り返される様子がわかるでしょう。
危険ドラッグの恐ろしさ
製薬企業での創薬研究では、多くの化合物を網羅的に作り、そのデータを特許書類に記載する必要があります。最善の化合物を探すため、また他社に特許を押さえられないためです。これが、新たなドラッグを製造しようとする者にとって、情報の宝庫となってしまっているのです。ひとつ化合物が規制されたら、特許を見て似た作用のありそうなものを作ればいいわけですから、抜け道はいくらでもあるのです。
近年の危険ドラッグが恐ろしいのは、法の網をすり抜けるために、きちんとした試験が行われていない化合物が出回っている点です。MDMAなどの古典的な麻薬は、医薬として研究されたことがあるため、危険性や対処法などもかなりわかっています。それに比べて近年の危険ドラッグは、よくて動物実験程度しか行われておらず、人体に投与したときの作用は未知の点が多いのです。危険ドラッグを使うことは、自らの体で人体実験を行なっているも同然といえます。
また危険ドラッグは、粗悪な合成技術や環境で作られているためか、濃度や不純物の量などが一定していません。粉飾のためにダミー成分が混ぜてあったりもしますから、ますますもってどのような作用があるか、わかったものではないのです。
新たな規制方針
危険ドラッグらしきものがあっても、成分を分析して分子構造を確定し、法に触れる薬物かどうか判定するには、相当の技術と時間を必要とします。堂々と店頭で売られていながら、取り締まりが難しいのはこのためです。分子構造をベースとした規制は、もはや現状に合わないといわざるを得ません。
そこで2014年12月から、危険ドラッグを規制する法律が改正されました。成分の分子構造などがわからなくとも、商品の名前やパッケージが規制薬物にある程度似ていれば、規制の対象とすることになったのです。現在では購入者や服用者の有無にかかわらず、店頭にそれらしき商品が並んでいただけで、販売停止処分にできるようになっています。
パッケージの見た目だけで判断するというのは、かなり目の粗いやり方ではありますが、もはや細かいことは言っていられない状況ということでしょう。また、ある店で販売停止になった商品は、自動的に全国で販売できないようになります。広告を出すことも禁止されたため、ネットでの販売も違反となりました。
これで安心かといえば、やはりそうはいきません。パッケージを変えたり、粉末を量り売りにしたりなどして、法を逃れようとする輩は出てくることでしょう。これ以上の蔓延を防ぐためには、危険ドラッグが一時の快楽に見合わぬ薬剤であることを、今以上にしっかりと周知することが必要です。そのために薬剤師の皆さんが果たすべき役割は、大きいのではないでしょうか。