学べば学ぶほど、奥が深い薬の世界。もと製薬企業研究員のサイエンスライター・佐藤健太郎氏が、そんな「薬」についてのあらゆる雑学を綴るコラムです。薬のトリビアなどを伝えられると、患者さんとの距離も近くなるかもしれませんね。
ドニゼッティ作曲のオペラ「愛の妙薬」をご存知でしょうか。主人公の純朴な青年ネモリーノは、恋する娘アディーナの心をつかむため、インチキ薬売りのドゥルカマーラから「愛の妙薬」を買い入れます。妙薬を飲み、愛を手に入れたも同然と信じ込んだネモリーノは気が大きくなってしまいますが、実は「妙薬」の正体はただの安ワインで……という筋書きです。
この妙薬の効き目は、今でいうところのプラセボ(プラシーボ)効果ということになるでしょう。本物の薬によく似た偽物の薬(プラセボ)を投与することで、実際にその症状が改善されてしまうことを指します。偽薬でなく、医者の「必ず治る」という言葉や、偽の手術、儀式などによる治療効果も「プラセボ効果」と呼ぶことがあります。「痛いの痛いの飛んでけ」といったおまじないなども、広くこの範疇に含めることができるでしょう。
プラセボは、多くの疾患に効果を示します。体中に腫瘍のできた患者に新薬を投与してみたところ、10日ほどでがんが溶けるように消えてしまったが、新薬に効果がないという報道を患者が読んだとたん、がんがぶり返して2日後に亡くなった、という話さえ伝わっているようです(「心の潜在力 プラシーボ効果」(広瀬弘忠著、朝日選書))。
さすがにこの話は少々まゆつばかと思えますが、プラセボ効果は単なる思い込みといったことではなく、たとえば鎮痛剤や抗精神病薬などで顕著に表れるようです。経験的にも、気の持ちようや状況によって痛みを軽く感じることはありますから、これは納得できる気がします。
痛みに関しては、生化学的な裏づけも存在します。たとえば、電気刺激による痛みを被験者の腕に与え、痛み止めだと称してプラセボの塗り薬を塗ると、痛みが和らぎます。fMRIという装置でこの人の脳や脊髄を調べたところ、延髄にある痛みをブロックする仕組みが活動していることがわかりました。また、この被験者にナロキソンという化合物を、それと知らせずに投与すると、痛みがぶり返してきます。このナロキソンは、モルヒネの受容体に結合してそのはたらきをブロックする作用がある薬です。つまりプラセボによる鎮痛作用は、モルヒネと同様の経路によっていることがわかります。プラセボは単なる気のせいでは決してないというわけです。
プラセボ効果は痛み以外にも多くの症状の改善に役立ちますが、その作用機序は不明な点が少なくありません。単一のわかりやすいメカニズムで説明できるような事柄ではなさそうで、その全貌解明にはまだ時間がかかりそうです。
ではプラセボが効果を最大限に発揮するには、どのような条件が必要なのでしょうか? 実験の結果、プラセボ効果が表れやすい性格の患者がいるとされます。臨床心理学者フィッシャーらは、「社会的黙従傾向の強い人」、つまり社会の規範や一般常識などを無批判に受け入れてしまいやすいタイプの人たちには、プラセボ効果が強く表れやすいという実験結果を発表しています。「愛の妙薬」のネモリーノもまた、ペテン師ドゥルカマーラが驚くほどものを信じやすい性格でした。200年近くも前の作品でありながら、プラセボ効果の本質に迫っていることに驚かされます。
医師の白衣や聴診器が、プラセボ効果を増強するという実験結果もあります。ペテン師ドゥルカマーラも、医者で博士を名乗っていました。また、高価な薬と聞かされるとプラセボ効果は高まりますし、有名なブランド名のラベルも効能を引き出す力があります。「これは効く薬だ」という思い込みが、実際にも薬効を高めてくれるわけです。人間の心とはなんと不思議なものか、と思わずにいられません。
もちろんプラセボ効果は万能の妙薬ではなく、その効能には限界があります。怪しげな代替医療がなくなっていかないのも、プラセボ効果の存在を隠れ蓑にしている面があるでしょう。伝統のある代替医療は、いかにもそれらしい用語と体系を整備しており、プラセボ効果を引き出す見事な舞台装置となっています。
現代の医薬は、プラセボ効果ではない薬効を持つことが臨床試験で立証されたものばかりです。しかし、薬の効能に加えてプラセボ効果を上積みできれば、鬼に金棒というものでしょう。患者さんに信頼されるような薬局の雰囲気、人間関係の構築などは、治療という面でも大きなプラスをもたらすのではないでしょうか。