映画・ドラマ
「たまには仕事に関連する映画を見てみようかな」と感じたことはありませんか? 医療や病気に関する映画・ドラマ作品は数多くありますが、いざとなるとどんな作品を見ればいいのか、迷ってしまう人もいるのでは。このコラムでは看護師ライターの坂口千絵さんが、「医療者」としての目線で映画・ドラマをご紹介します。
vol.6 「レ・ミゼラブル」(2012年・イギリス)
格差と貧困にあえぐ民衆が自由を求めて立ちあがろうとしていた19世紀フランス。ジャン・バルジャンは、パンを盗んだ罪で19年間服役した後、仮出獄するが、生活に行き詰まり、再び盗みを働いてしまう。
その罪を見逃し赦してくれた司教の真心に触れた彼は、身も心も生まれ変わろうと決意し、過去を捨て、市長となるまでの人物になった。
そんな折、不思議な運命の糸で結ばれた女性ファンテーヌと出会い、彼女から愛娘コゼットの未来を託されたバルジャンは、彼に疑いの目を向ける冷徹な警察署長ジャベールの追跡をかわしてパリに逃亡。
コゼットに限りない愛を注ぎ、父親として美しい娘に育てあげる。
しかし、パリの下町で革命を志す学生たちが蜂起する事件が勃発。
革命はやがてパリ中を巻き込む大暴動へと発展し、ジャン・バルジャンとコゼットの運命も激動の波に呑まれてゆく……
「レ・ミゼラブル」は多くの人々に愛され続け、これまでに何度も映画化、舞台化された作品です。人間の悲惨さや哀れさだけを描くのではなく、虐げられた人々の悲しみを救う「真実の愛」が感動的に描き出された作品です。
私にとって特に印象的だったのは、ジャン・バルジャンがファンテーヌの娘・コゼットを自分の娘として愛し、育てたことです。まったく血のつながりがない他人であるにも関わらず、どうしてここまで愛情を注ぐことができたのか。確かにファンテーヌが貧困に苦しんでいることを知っていたとはいえ、子どもを実際に引き取って育てるとなると現実的には難しい部分もあるはずです。しかし、最期までコゼットに無償の愛を注ぐジャン・バルジャンの姿には「彼は愛を貫くことによって非常に誇り高く生きた人なのだ」と胸打たれる思いでした。
もう一つの感慨深いエピソードは、コゼットを虐待していたテナルディエ夫妻の娘・エポニーヌがマリウスに対して一途な愛を注いでいたことです。のちに若き革命家となるマリウスは、エポニーヌの思いに気づかぬままコゼットと恋に落ち、夢中になります。しかしエポニーヌにとって、コゼットは“女中”です。彼女がどれほどの悔しさを感じていたのかと思うと、とても苦しい気持ちになりました。しかし、エポニーヌは嫉妬などの感情は一切見せず、ただひたすらにマリウスのことを想い、愛し続けます。私にとって彼女の生き方は、女性としての誇りを感じるものであり、「気高く生きる」ことの美しさに心打たれました。
彼らが生きた19世紀のパリは非常に貧しく不衛生で、下層階級には最低限度の生活すら保障されず、衣食住も十分に満たされない劣悪な環境が当たり前でした。そのような時代に誇りをもって気高く生き抜くことは、並大抵ではなかったでしょう。しかし、ジャン・バルジャンやエポニーヌを見ていると、人としての誇りは環境に冒されるものではないということに気づかされます。誰かに対する愛情や「人としてこうありたい」という強い思いが、生き方を作っていくのかもしれません。
私自身はまだまだ環境に振り回されることも多く、看護師としてのさらなる勉強が必要だと感じています。しかし、患者さんと向き合っているとき、無私の心で愛を注ぐような崇高な気持ちになることがあります。ちょっと大げさかもしれませんが、そんなときは看護師という職業に誇りを感じることを思い出し、少し救われた気分になりました。
本作はミュージカル作品であり、キャストの歌声も見どころの一つです。なかでも生活苦のために娼婦にならざるを得なくなったファンテーヌが歌う「夢やぶれて」(I Dreamed a Dream)は、悲愴さだけでなく美しさを兼ね備えていて、胸の奥が詰まるような思いになりました。吹き替えやレコーディングではなく、その場面で本当に歌っているそうで、演じているというより、ファンテーヌが実在していたのではないかと思うような迫力でした。
「何となく、自分の生き方がわからなくなってしまった」、あるいは「自分のことを見つめ直したい」という方におすすめしたい作品です。
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