映画・ドラマ

公開日:2017.12.26 映画・ドラマ

「たまには仕事に関連する映画を見てみようかな」と感じたことはありませんか? 医療や病気に関する映画・ドラマ作品は数多くありますが、いざとなるとどんな作品を見ればいいのか、迷ってしまう人もいるのでは。このコラムでは北品川藤クリニック院長・石原藤樹先生と看護師ライターの坂口千絵さんが、「医療者」としての目線で映画・ドラマをご紹介します。

vol.22「赤ひげ」(1965年・日本)

江戸時代に材を取った山本周五郎小説の映画化。黒澤監督は複数の長屋物語だった原作を大胆に脚色、一長屋の群像劇に凝縮。完成した作品を観た山本をして「原作よりいい」と言わしめた。

―現代の医療にも通じる死を見つめた時代劇の傑作―

 

今日ご紹介するのは黒澤明監督と三船敏郎の最後のコンビ作、1965年の日本映画『赤ひげ』です。私も何度か観ていますが、観るたびに新たな発見がある名作です。黒澤監督と言えば、『七人の侍』や『用心棒』など、多くの名作を生みだした日本を代表する映画監督の一人。医療を題材にした作品もいくつか撮っています。

 

『酔いどれ天使』には貧乏人相手の人情味あふれる酔いどれ医者が登場しますし、『生きる』は、胃がんで余命いくばくもないことを知った主人公が、人生の真の目的を見いだす感動的な物語でした。そして、ある意味で黒澤映画の集大成とも言える本作では、江戸後期の小石川療養所を舞台に、赤ひげと呼ばれた破天荒な医師と、彼を取り巻く人々の人間模様を描きました。人間の死に真正面から向かい合い、ヒューマニズムにあふれた一大叙事詩を完成させています。

 

主人公は長崎で蘭学の手ほどきを受けた、加山雄三演じる保本登という青年医師で、彼が意に沿わないままに療養所の医師として赴任するところから、映画は始まります。最初は療養所の所長である赤ひげの診療を、古めかしいものと馬鹿にしていた青年医師ですが、江戸の貧乏な庶民の現実を目の当たりにし、生と死のぎりぎりの世界を赤ひげと共に体験することで、次第にその感化を受け、医師としても人間としても成長してゆきます。師匠の赤ひげを演じているのは、もちろん三船敏郎です。

 

原作は、山本周五郎の連作短編形式の小説『赤ひげ診療譚』。設定などは原作に忠実ですが、後半に登場する心を閉ざした少女おとよが、しだいに心を開いてゆくという、この映画で最も感動的なエピソードは、原作にはないもの。ドストエフスキーの『虐げられた人々』などからヒントを得た、映画オリジナルの展開になっています。

 

私が最初にこの映画を観たとき、最も印象的だったのも、このおとよの物語でした。二木てるみ演じるおとよという少女は、遊郭にとらわれて心身を病んでいたのですが、赤ひげに救い出され、その回復が主治医として青年医師にゆだねられます。最初は心を完全に閉ざしていたものの、青年医師の献身的な介抱にしだいに心を開いてゆくおとよ。すると、今度は青年医師に独占的な愛情を振り向け、彼に好意を寄せる女性に敵意をむき出しにするのです。カウンセリングにおける陽性転移という現象が、極めて明晰かつ的確に描かれていて感心します。

 

その後、おとよは幼い泥棒の少年に弟を思う姉のような心情を寄せ、それにより独占的な愛情は、より広い人間への思いやりの心として、昇華してゆくのです。人間の心の成長というものが、ここまで精緻で感動的に描かれた例を、私はこの映画以外に知りません。

 

作品にはまた多くの死が描かれています。達観の上での死もあれば、無念を残した死もあります。香川京子演じる狂女のように、生きながら既に死んでいるような患者も登場します。それでも赤ひげは「死は荘厳なものだ」と言います。その意味を理解するのは難しいのですが、映画を観終わるころには、決して死が人間の敵ではないことが、何となく実感されるようになるのです。

 

映画として特筆するべきは、映像の完成度の高さ。緻密に造られた療養所のセットは、本当に実物なのではないかと思われるほどですし、全てが完璧に成立しているシネマスコープの構図は、動く絵画のような美しさです。この完成された動く構図は、多くの黒澤映画の中でも、『赤ひげ』以外に『天国と地獄』など、数本の映画にしか見られないものです。これほど手を掛けた映画は、今では絶対に作ることはできないでしょう。

 

医療は進歩を続けているはずですが、高齢化社会における医療費抑制の問題や、「死をどこで迎えるべきか」という議論などを見ていると、この映画が公開された時代よりも、今の日本の方が、むしろ映画で描かれた「現実」に近いようにも思われます。映画の赤ひげは「貧困と無知こそがほとんどの病気の原因だ」という意味の台詞を言いますが、貧困は格差社会として、無知は玉石混交の医療情報の氾濫として、形は変わっても存在しているように思います。

 

3時間を超える大作で、50年以上前の作品ですから、何かのついでに寝転んで観る…というような鑑賞には不向きです。じっくりと向き合うには最高の1本ですから、ぜひ気合いを入れてご覧ください。患者さんと向き合う心構えにも、必ず役に立つ何かを、鑑賞後に残してくれるはずです。

 

石原 藤樹(いしはら ふじき)

1963年東京都渋谷区生まれ。信州大学医学部医学科大学院卒業。医学博士。信州大学医学部老年内科助手を経て、心療内科、小児科を研修後、1998年より六号通り診療所所長。2015年より北品川藤クリニック院長。診療の傍ら、医療系ブログ「石原藤樹のブログ」をほぼ毎日更新。医療相談にも幅広く対応している。大学時代は映画と演劇漬け。

北品川藤クリニック:http://www.fuji-cl.jp/

ブログ:http://rokushin.blog.so-net.ne.jp/

石原 藤樹(いしはら ふじき)

1963年東京都渋谷区生まれ。信州大学医学部医学科大学院卒業。医学博士。信州大学医学部老年内科助手を経て、心療内科、小児科を研修後、1998年より六号通り診療所所長。2015年より北品川藤クリニック院長。診療の傍ら、医療系ブログ「石原藤樹のブログ」をほぼ毎日更新。医療相談にも幅広く対応している。大学時代は映画と演劇漬け。

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