薬にまつわるエトセトラ 公開日:2025.10.07 薬にまつわるエトセトラ

薬剤師のエナジーチャージ薬読サイエンスライター佐藤健太郎の薬にまつわるエトセトラ

学べば学ぶほど、奥が深い薬の世界。もと製薬企業研究員のサイエンスライター・佐藤健太郎氏が、そんな「薬」についてのあらゆる雑学を綴るコラムです。

第132回

緊急避妊薬の処方箋なしでの薬局販売が可能に…市販化了承までの経緯とは?

この8月29日、薬事審議会は緊急避妊薬「ノルレボ」(一般名:レボノルゲストレル)を、薬剤師の対面販売が必要な「特定要指導医薬品」として承認することを了承しました。性交後に服用することで排卵を抑え、望まぬ妊娠を防ぐ薬で、「アフターピル」とも呼ばれます。このまま行けば、2026年春ごろから販売が開始になると思われます。
 
緊急避妊薬は、ヨーロッパ諸国や米国などでは以前から広く用いられていましたが、日本ではようやく2011年に医療用医薬品として承認されました。
 
この薬は、性交後なるべく早く服用する方が、避妊成功率が高まります。24時間以内であれば避妊成功率は約95%ですが、48時間ですと約85%、72時間だと約58%にまで低下します。
 
参考:第17回 医療用から要指導・一般用への転用に関する評価検討会議 資料1-2 緊急避妊薬のスイッチOTC化に向けての要望|厚生労働省
 
ノルレボが医療用医薬品である限り、当然ながら医師の診断と処方箋が必要であり、服用までに時間がかかりやすくなってしまいます。医薬の性質上、受診の心理的なハードルも高いため、一般用医薬品へのスイッチが望まれていました。実際、世界保健機関(WHO)も「必須医薬品」に指定し、処方箋なしで入手できることを推奨しています。
 
参考:緊急避妊薬8年、勃起不全治療薬半年 市販化議論スピード格差の中身|毎日新聞

 

立ちはだかったハードル

緊急避妊薬のOTC化については、2017年ごろから検討が始まり、2020年には第5次男女共同参画基本計画に「処方箋なしで利用できるよう検討」と明記されました。
 
参考:第17回 医療用から要指導・一般用への転用に関する評価検討会議 資料1-1 再検討の経緯|厚生労働省
 
2023年になり、ようやく一部の薬局で試験販売が実施されましたが、この試験は2025年まで延長され、このほどついに承認の了承に至りました。OTC化の動きが始まってから、8年ほどの歳月を要したということになります。事情はあったにせよ、時間がかかり過ぎたことは否めません。

 

なぜ承認が遅れたのか

ここまでOTC化が遅れた理由は何だったのでしょうか。評価検討会議の資料を見ると、小中学校からの性教育の不足、大学生や成人に正しい避妊方法やその他のもつべき情報を与える機会がないといった点が挙げられています。
 
また、緊急避妊薬が手に入りやすくなることにより、望ましくない性行動を助長するのではという倫理的な懸念もありました。
 
参考:第24回 医療用から要指導・一般用への転用に関する評価検討会議 資料2 緊急避妊薬のスイッチOTC化に係る検討会議での議論での課題点等、その対応策・考え方等に対する主なご意見(各項目毎の整理)|厚生労働省
 
ただしこの懸念について、確かなデータによる裏付けは示されていませんでした。実際、海外の例を見る限り、緊急避妊薬の導入によって若者の性行動に大きな変化はなく、性感染症の増加なども起きていないようです。
 
参考:第17回 医療用から要指導・一般用への転用に関する評価検討会議 資料1-2 緊急避妊薬のスイッチOTC化に向けての要望|厚生労働省
参考:第19回 医療用から要指導・一般用への転用に関する評価検討会議 資料6 2017年の評価検討会議でスイッチOTC化する上で課題とされた点に対する主なこれまでの意見・調査結果等|厚生労働省
 
そのほか、性教育が不十分なままでこの薬が手に入りやすくなれば、誤用やトラブルが増えるのではないか。また、若年層が安易に利用することで、緊急避妊ではなく常用する恐れが出てくるとの指摘もなされました。
 
参考:第3回 医療用から要指導・一般用への転用に関する評価検討会議 資料5-1 要望された成分のスイッチOTC化の妥当性に係る検討会議結果(案)について|厚生労働省
 
こうしたことからこの薬は、研修を受けた薬剤師が服薬指導を行った上で対面販売し、その場で服用することが義務付けられました。薬剤師のみなさんにとっては、なかなかに難しい業務がひとつ増えることになったといえるかもしれません。
 
参考:「緊急避妊薬」(アフターピル)医師の処方箋なくても薬局などで販売へ 制度は?服用の注意点は【Q&Aも】|NHKニュース

 

試験販売の結果

2023年11月から行われた、緊急避妊薬の試験販売はどのような結果だったのでしょうか。実のところ、予想以上に販売点数が少なかったようで、開始から2ヶ月後の時点で2181件にとどまったということです。テスト期間が延長されたのは、販売数が少ないことによるデータ不足が原因の一つでした。
 
販売数が少なかったのは、テストが実施された薬局が少なかった上、周知が不足していたためのようです。もちろん、薬剤師に事情を話して購入することに対し、(病院で診断を受けるほどではないにしろ)心理的な抵抗があったこともありそうです。
 
服用者に対するアンケート結果としては、薬剤師による説明やプライバシーへの配慮といった点で、満足であったという答えが多数を占めました。また、今後、緊急避妊薬の服用が必要になった場合には、「医師の診察を受けずに、薬局で薬剤師の面談を受けてから服用したい」という回答が82.2%に上ったとのことです。
 
服用ミスなどのケースもなく、安易な繰り返し使用なども見られなかったとのことで、試験販売の段階では、懸念されていたことはほぼ杞憂であるという結果に終わりました。購入者からは「病院に行けない時間に買えて助かった」「病院よりも抵抗が少ない」など、肯定的な評価が多かったようです。
 
参考:緊急避妊薬のスイッチOTC化に係る環境整備のための調査事業 結果報告書|厚生労働省

 

今後の課題

時間はかかりましたが、女性の体を守る薬が手に入りやすくなるのは大きな進歩といえます。ただし、用途が特殊な薬であるだけに、特有の課題は残りそうです。
 
前述のように、この薬は薬剤師の説明を対面で受け、その場で服用するルールとなっています。都市部ではこうした状況に対応できる薬局が多いと思われますが、山間部や離島などではこれが難しいことが予想されます。
 
また、緊急避妊薬はあくまで「緊急」であり、最後の手段と位置づけるべきものです。基本的には他の避妊手段によるべきこと、また性病を防ぐことはできないことなど、しっかりした知識の周知が、今後必要となってきそうです。

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佐藤 健太郎(さとう けんたろう)

1970年生まれ。1995年に東京工業大学大学院(修士)を卒業後、国内製薬企業にて創薬研究に従事。2008年よりサイエンスライターに転身。2009年より12年まで、東京大学理学系研究科化学専攻にて、広報担当特任助教を務める。『世界史を変えた薬』『医薬品クライシス』『炭素文明論』など著書多数。2010年科学ジャーナリスト賞、2011年化学コミュニケーション賞(個人)。ブログ:有機化学美術館・分館

 

ベストセラー『炭素文明論』に続く、文明に革命を起こした新素材の物語。新刊『世界史を変えた新素材』(新潮社)が発売中。

佐藤 健太郎
(さとう けんたろう)

1970年生まれ。1995年に東京工業大学大学院(修士)を卒業後、国内製薬企業にて創薬研究に従事。2008年よりサイエンスライターに転身。2009年より12年まで、東京大学理学系研究科化学専攻にて、広報担当特任助教を務める。『世界史を変えた薬』『医薬品クライシス』『炭素文明論』など著書多数。2010年科学ジャーナリスト賞、2011年化学コミュニケーション賞(個人)。ブログ:有機化学美術館・分館

 

ベストセラー『炭素文明論』に続く、文明に革命を起こした新素材の物語。新刊『世界史を変えた新素材』(新潮社)が発売中。