学べば学ぶほど、奥が深い薬の世界。もと製薬企業研究員のサイエンスライター・佐藤健太郎氏が、そんな「薬」についてのあらゆる雑学を綴るコラムです。
明治維新から150年を迎える今年のNHK大河ドラマ『西郷どん』。ドラマでは鈴木亮平演じる恰幅の良い西郷隆盛が印象的ですが、実は病で…。
西郷の病、寄生虫と象皮病
西郷隆盛という人物はこれまで何度も大河ドラマで取り上げられていますが、やはりそれだけ魅力があるということなのでしょう。またその生涯には謎も多く、百数十年後の現代を生きる我々にとっても、興味の尽きない人物であるのは確かです。
塩野七生の著書『男の肖像』には、西郷に最後まで付き従った中津藩士の、こんな言葉が紹介されています。
――私は君らと違い、
将として本営の西郷先生に
(西南の役の間ずっと)接し続けてきた
それゆえ、もうどうにもならぬ
一日西郷に接すれば、一日の愛生ず
三日接すれば、三日の愛生ず
親愛日に加わり、今は去るべくもあらず
ただ、死生をともにせんのみ
大の男が「もうどうにもならぬ」とまで言い、命まで捧げて西郷と共にあろうとしたというのですから、その人間的魅力たるや途方もないものであったのでしょう。
ぜひ実際の姿を見てみたかったところですが、西郷は写真を一枚も残しておらず、銅像もあまり本人に似ていないといわれるので、ただ想像する他はありません。
120㎏巨体で潰瘍性大腸炎も
かくも部下や仲間に深く愛された西郷の魅力の源泉のひとつが、その並外れた体格にあったとは、多くの歴史家が指摘しているところです。
残された史料などから、西郷は身長178~180cm、体重は108~120kgほどあったと見られます。
これは現代でも相当の巨体の部類ですから、男性の平均身長が155cm程度だった幕末のころにおいては、まるで山が動いているかのように映ったことでしょう。この巨体が、味方には非常な頼もしさを、敵には絶大な威圧感を与えたことは想像に難くありません。
しかし西郷は、この肥満体に由来する数々の病気を抱えていたともいわれます。
特に明治に入って故郷鹿児島に戻ってからは、激しい下痢や発熱、腫れ物、胸痛、下血などに悩まされたとの記録があります。
彼は医者を嫌って診察を受けなかったため、病気の詳細はわかりませんが、潰瘍性大腸炎などに罹患した可能性が考えられています。
繊細で感受性の強い性格であった西郷にとって、幕末の戦乱や新政府での権力闘争が、非常なストレスとなっていたことは間違いないでしょう。
陰嚢が赤ん坊の頭ほど巨大化
間違いなくわかっているのは、西郷が寄生虫の感染症を抱えていたことです。
寄生していたのは、フィラリアの一種、バンクロフト糸状虫と考えられています。フィラリアは体長数ミリ程度の線状の虫で、蚊によって媒介されます。
バンクロフト糸状虫は、感染後数カ月して成虫になるとリンパ節に集まり、リンパ管をつまらせます。これによって皮膚や皮下組織が異常に増殖して硬化し、象の皮膚のような外観になります。これが象皮病で、西郷もこの症状を発していました。
西郷は陰嚢が象皮病によって巨大化し、赤ん坊の頭ほどもあったといいます。このため、後年は馬にも乗れず、駕籠で移動していたとの記録が残ります。
1877(明治10)年、西郷は鹿児島の不満士族に担がれて西南戦争を起こすものの、武運拙く敗れ、部下に首を打たせて壮絶な最後を遂げました。この時、首は別の場所に埋められていたため、膨れ上がった陰嚢によって西郷の遺体が特定されたといいます。
あったらよかったイベルメクチン
象皮病は、平安時代の絵にも患者らしき姿が描かれており、江戸時代にも多くの記録があります。作家の海音寺潮五郎(1901-1977年)は、少年時代に鹿児島で西郷と同じような症状の老人を何度も見たと書いており、決して珍しい病気ではなかったようです。
先に書いた通り、西郷は発熱や腫れ物などの症状に苦しんでいますが、フィラリア感染症がその原因であった可能性は高そうです。
晩年の西郷は、まるで死に急ぐかのような行動を見せ、最後は無謀とも思える西南戦争でその生涯を終えますが、彼の体調の悪化はこれと無関係ではなかったでしょう。
その後、バンクロフト糸状虫に対しては『ジエチルカルバマジン』という優れた薬が登場し、駆除が可能になりました。
また、大村智博士らが創出した『イベルメクチン』は、フィラリアに対して著効を示し、アフリカなど世界各国で多くの人々をその脅威から救いました。
この功績で、大村博士が2015年のノーベル生理学・医学賞を受賞したことは、記憶に新しいところでしょう。こうした薬や衛生状態の改善により、フィラリア感染症はすでに日本から姿を消しています。
西郷どんを苦しめた病には、今らならずっと有効な治療法があることでしょう。
筆者がもしタイムマシンに乗れたなら、いくつかの薬を携えていって西郷の苦しみを救い、その笑顔がどれほど魅力的なものだったのか見てみたい――と、そんなことを思うのです。
参考文献:『西郷隆盛』(家近良樹著、ミネルヴァ書房)、『西郷隆盛53の謎』(原口泉著、海竜社)