学べば学ぶほど、奥が深い薬の世界。もと製薬企業研究員のサイエンスライター・佐藤健太郎氏が、そんな「薬」についてのあらゆる雑学を綴るコラムです。
佐藤と申します。かつて某製薬企業で研究員をしていましたが、現在はサイエンスライターとして活動しております。このたび、こちらで薬に関するコラムを書かせていただくことになりました。どうぞよろしくお願いします。
さて第1回目の今回は、薬の名前について書いてみましょう。研究者としては、手塩にかけた新薬に名を与えるのは、最高の喜びのときです。しかしひとつの薬には、たいていいくつもの名前があります。使われる現場により、医薬の名称も変わっていくのです。
薬に最初につく名前は、製薬企業で用いられるコードナンバーで、たいていアルファベットと数字だけの味気ないものです。たとえば最近、エボラ出血熱に効果があるのではと話題を集めた「アビガン」は、当初「T-705」と呼ばれていました。アルファベット部分は、たいてい製薬企業の頭文字から取られており、「T」は開発元の富山化学を表しています。番号は多くの場合、その研究プロジェクトで何番目に作られた化合物だったかを表します。
一般名は、ある医薬品に対して国際的に通用する名称です。各国、各社で勝手な名称を使っていると混乱が生じるため、統一名称が必要なのです。実際、サリドマイド薬害事件においては、同じ有効成分の薬が各国でばらばらな名称で発売されていたことが、事態の正確な把握を難しくしました。
アビガンの一般名は「ファビピラビル」(Favipiravir)です。前半部分はおそらく、フラビウイルス(Flavivirus)に対して有効であること、ピラジン(pyrazine)骨格を持っていることから来ていると思われます。語尾の「ビル」(-vir)は、抗ウイルス剤に付けられることになっている語尾で、アシクロビル(商品名ゾビラックス)などもその例です。
なお、抗ウイルス剤の中でもノイラミニダーゼ阻害剤は語尾が-amivirに(例:オセルタミビル(商品名タミフル)やザナミビル(商品名リレンザ))、プロテアーゼ阻害剤は語尾が-inavir(例:ネルフィナビル(商品名ビラセプト)やインジナビル(商品名クリキシバン))になるなど、さらに細かく分類されています。語尾を見るだけで、その薬の作用機序などがある程度わかるわけです。
ほかに一般名の語尾としては、抗生物質の-mycin(ストレプトマイシンやカナマイシンなど)、アンジオテンシンⅡ拮抗剤(ARB、高血圧治療薬)の-sartan(オルメサルタン、バルサルタンなど)、HMG-CoA還元酵素阻害剤(高脂血症治療薬)の-statin(アトルバスタチン、ロスバスタチンなど)が有名でしょう。COX2阻害剤の-coxibは「cox inhibitor」から、抗体医薬の-mabは「monoclornal antibody」から来ているなど、由来もいろいろです。こうした一般名の語尾は、こちらのサイトにまとめられています。
ただしこうした一般名には、舌を噛みそうな長い名前も少なくありません。そこでこれと別に、覚えやすい商品名がつけられるのが一般的です。こちらの方は比較的自由に名付けられますから、会社の願いがこもったユニークなものが見られます。
たとえば睡眠導入剤マイスリーは「my sleep」から、同じくロゼレムは「バラ色の眠り」をイメージして「rose」+「レム睡眠」、一般用医薬品となったドリエルは「dream well」に由来しています。
武田薬品の降圧剤ブロプレス(Blopress)は、「blood pressure」を縮めたものです。同じくアデカット(Adecut)は、ACE阻害剤のAと、一般名デラプリルのde、アンジオテンシンを切断するという意味のcutを並べたものですが、一説には「TAKEDA」を逆に綴った「ADEKAT」をひねったものだとかいう話もあるようです。
ユニークなところでは、グラクソ・スミスクライン社の「ザイザル」(Xyzal)があります。この薬、アレルギー疾患に対する最終兵器との意味を込めて「XYZ」の文字を入れたのだそうです。さらに進歩した治療薬が出たら、どうするつもりなのでしょうか。
ひとつの薬に、いくつもの商品名がついていることもあります。たとえば免疫抑制剤タクロリムスは、臓器移植の拒絶反応を抑える医薬品としては「プログラフ」(「守る」を意味するprotect+「移植臓器」を意味するgraftから)の名が用いられますが、アトピー性皮膚炎治療薬としては「プロトピック」と名が変わります(protectと、局所的に作用するので「部分的」を意味するtopic、または「アトピー性」のatopicの組み合わせ)。さらにプログラフの徐放製剤タイプであるグラセプター、その海外版であるアドバグラフなど、多くの名前があります。
こうした多数の名称は、混乱の元になって大変に現場泣かせです。しかし語源から知っておけば、記憶の一助にもなるのではないでしょうか。薬剤名の由来にはほかにも面白いものがあるので、いずれまたご紹介したいと思います。