学べば学ぶほど、奥が深い薬の世界。もと製薬企業研究員のサイエンスライター・佐藤健太郎氏が、そんな「薬」についてのあらゆる雑学を綴るコラムです。薬のトリビアなどを伝えられると、患者さんとの距離も近くなるかもしれませんね。
医師の診断を受けてやってきた患者さんに、丁寧に服薬指導を行い、適切と思われる薬を出しているのに、全く効き目がない――。こうした場合、原因はいろいろ考えられますが、一番困るのは「患者さんが薬を飲んでいない」ケースではないでしょうか。飲まない薬は絶対に効きませんし、患者さんもそのことを正直に告げてくれないことが多いので、原因がわからず途方にくれてしまうこともしばしばでしょう。
患者さんが薬を飲まない理由もさまざまです。ある調査によれば、指示通り薬を飲まなかった経験のある人は約4割おり(実際にはもっと多そうな気もしますが)、その原因の第1位は単なる飲み忘れです。偉そうにこんな記事を書いている筆者もちょいちょいこれをやりますから、薬剤師のみなさまには平謝りする他ありません。
「もう治った」という自己判断で薬をやめる人が4分の1ほどいますし、副作用のつらさ、飲んでも効かないから、薬を紛失したなどなど、薬を飲まない理由はさまざまです。また、認知症の患者さんなどでは、きちんと毎回服薬してもらうことはどうしても難しいでしょう。
こうして、おそらくは膨大な量の医薬が、正しく服用されることなく捨てられています。たとえば処方された薬の2割が服用されていないとすると、日本の薬剤費は今や年間10兆円ほどに達していますから、約2兆円がゴミ箱に消えていることになります。
またこうして残ってしまった薬を、患者さんが別の機会に勝手に飲んでしまうといったことも起こりえます。これが思わぬ事故につながっているケースも、当然あると考えなければなりません。
というわけで、残薬の問題はなかなか深刻です。かといって、患者さんがきちんと薬を飲んでいるかひとりひとりに見張りをつけるわけにもいきませんから、この問題は長く解決策のないまま放置されてきました。
しかし最近、この古くて新しい問題を解決しうる薬が登場しました。大塚薬品と米プロテウスデジタルヘルス社が開発し、このほどアメリカで認可を得た「エビリファイ マイサイト」(以下「マイサイト」と略)がそれです。
エビリファイ(一般名アリピプラゾール)自体は、以前からある統合失調症の治療薬で、米国では2002年、日本では2006年に承認を取得しています(その後、双極性障害やうつ病に対しても使用が認可)。その性質上、きちんとした服薬が望まれるものの、徹底させることは難しい薬といえます。
今回認可された「マイサイト」は、エビリファイの錠剤に3ミリメートル大のセンサーを組み込んだものです。センサーはプロテウスデジタルヘルス社が開発したもので、胃酸に触れるとシグナルを発します。これを、脇腹に貼り付けた検出器でキャッチし、服用したことをスマートフォンに送る仕組みです。センサーは体に影響をあたえることなくトイレで排出され、使い捨てされます。
送られたデータは専用アプリで管理され、眠気や気分などを患者さん自身が記録することも可能です。また本人の同意があれば、家族や医療関係者にもデータを送り、情報を共有することもできるようになっています。こうした特徴から、大塚製薬ではこの薬を「世界初のデジタルメディスン」と銘打っています。
このような、医療機器と一体化した医薬が認可されるのは、これが世界で初めてのことになります。ただしこうしたアイディア自体は以前からあり、たとえば2007年にジョージア工科大学のチームは、「MagneTrace」という技術を発表しています。これは、錠剤に3ミリメートルほどの磁石を埋め込み、首輪型のセンサーでその磁力を感知することで、服用を確認するというものです。ただし、この首輪型の見た目に抵抗があったのか、実用化には至りませんでした。
今回の「マイサイト」は、目につかない場所に検知器を貼り付けられる点で勝りますが、やはりプライバシーなどの問題は残ります。実際、大塚製薬では「マイサイト」の承認申請を2015年に提出していましたが、米国食品医薬局(FDA)からの承認はすぐには下りず、実際に使われる条件でのデータを追加提出するよう求められています。今回の承認は、こうした経過を経てのものでした。
しかしこのシステムはいわば遠隔監視ともいえますから、抵抗を覚える患者さんもいることでしょうし、予想外の混乱が起きる可能性もありそうです。大塚製薬でも、まずは米国で少人数の患者さんに用いて製品の価値を確認するとしており、日本での実用化の予定はまだないとのことです。
問題をはらんだシステムではありますが、医療関係者側から見れば大きなメリットがあるのは間違いありません。冒頭で述べた、残薬の問題解消にも大きく貢献するでしょうから、一気に他の薬に同様の仕組みが広がる可能性もありそうです。「医薬版IoT」が成功するかどうか、しばらく要注目です。