学べば学ぶほど、奥が深い薬の世界。もと製薬企業研究員のサイエンスライター・佐藤健太郎氏が、そんな「薬」についてのあらゆる雑学を綴るコラムです。
新型コロナウイルスに対する消毒薬のウソ・ホント
近頃では、新型コロナウイルスの第2波に備えた「新しい生活様式」が、一般にも定着しつつあります。店に出入りする際、手指を消毒することはすっかり当たり前になりました。しかし消毒薬については、最近いくつか問題も指摘されています。そこで今回は、コロナウイルスの消毒に関してまとめてみたいと思います。
消毒の原理
まず、コロナウイルスの構造についておさらいをしておきましょう。通常のウイルスは、DNAまたはRNAをタンパク質でできた殻(カプシド)で包まれていますが、コロナウイルスやインフルエンザウイルスの外壁は「エンベロープ」と呼ばれる脂質の膜です。これはウイルスが動物細胞内で増殖した後、外部へ出ていく際に細胞膜をちぎり取って作るもので、何という図々しい奴らかと思ってしまいます。
このエンベロープは、石鹸やエタノールなどの作用で壊され、ウイルスは失活します。エタノールによる消毒は最も手軽で害も少ないことから、店頭などにもよく設置されており、その需要は急増しています。このため酒造メーカーなどが技術を生かしてエタノール製造に乗り出していますが、その濃度はややばらつきがあります。
エタノールは濃度70%付近で効果が最大になるとされますが、北里大学の片山和彦教授らの発表では、50~90%濃度のエタノールで1分間処理すれば、問題なくウイルスを失活させられたとのことです(30%以下では効果なし)。市販の消毒用エタノールは65%~80%の範囲なので、どれを使ってもそう大きな差はないと考えられます。
エタノール消毒は濃度よりもむしろ時間を気にすべきで、手に吹きかけてすぐ乾いてしまうようでは、十分な効果が得られません。少なくとも15秒程度は手が濡れている程度でないと、ウイルスは生き延びてしまいます。忘れがちな指先や爪の間の消毒も、しっかり行なうべきです。
また、消毒用エタノールの品薄から、スピリタスなどの強い蒸留酒が売れたりもしました。エタノール濃度が適切なら消毒効果はありますが、酒として売られているものには糖分や香気成分などが含まれており、雑菌の繁殖を招く恐れもあります。最近になって酒造メーカーが消毒用に作り始めたもの(酒税法などの関係で微妙な表記になっていますが)はこのあたりも考慮されていると思いますが、純然たる酒を転用するのはあまりおすすめできません。
その他、同じアルコール類であるイソプロピルアルコールも消毒用に用いられますが、脂溶性が高いだけに皮脂も洗い流されやすく、手荒れを引き起こしやすい欠点はあります。また、燃料用アルコール(メタノール)が消毒に使われたという報道もありましたが、メタノールは毒性が高いため、人体に用いるべきではありません。
次亜塩素酸をめぐる議論
エタノールの品薄から、注目を浴びたのが次亜塩素酸水です。ただしその効果については、様々な議論が起こっています。
次亜塩素酸は、食塩水の電気分解などによって生成するもので、分子式はHClOです。塩素原子と酸素原子の相性は悪いため、他の分子に酸素を押しつけやすい――すなわち、強い酸化力を持っています。これがウイルスのエンベロープを破壊するため、消毒に用いうるわけです。
ややこしい点の一つは、次亜塩素酸水と次亜塩素酸ナトリウム水溶液(NaClOaq)は別物であるということです。後者は漂白剤として市販されているものですが、アルカリ性のため皮膚を傷めやすく、手指の消毒には向きません。
また、次亜塩素酸は皮脂などの有機物とも反応して分解されますので、十分な効果を目指すには石鹸などでよく手を洗ってから――ということになります。であれば、手洗いだけすればいいではないか、という話にもなります。さらに、次亜塩素酸は保存状態が悪いと、徐々に分解してゆく他、危険な塩素が発生する可能性もあります。
一方、次亜塩素酸水を噴霧することで、「空間除菌」を行おうとする動きも出ています。しかし、感染者の咳などに含まれる飛沫は、一秒とかからず他人の鼻や口に到達します。このわずかな時間に、飛沫と次亜塩素酸水の粒子が空中で都合よく衝突し、ウイルスを破壊してくれる確率はほぼゼロでしょう。
また前述のように、次亜塩素酸は強い反応性を持ちますから、直接吸い込めば呼吸器を傷めることにもつながります。次亜塩素酸水の噴霧によるメリットが、デメリットを上回るとはとても思えません。
最近になり、次亜塩素酸水の用法について経済産業省から注意事項が発表されました。やはり噴霧は危険とされており、一定以上の濃度のものを物品の拭き掃除に用いることが推奨されています。消毒薬はそれぞれの特徴をよく知り、上手に使い分けるのが肝要でしょう。
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