学べば学ぶほど、奥が深い薬の世界。もと製薬企業研究員のサイエンスライター・佐藤健太郎氏が、そんな「薬」についてのあらゆる雑学を綴るコラムです。
タンパク質分解誘導薬とは何か
近年、創薬研究の世界では盛んに「モダリティ」という言葉が使われるようになりました。これはもともと「様式」「様相」を意味する単語ですが、医薬品の世界では低分子薬、抗体医薬、核酸医薬、細胞治療といった、治療手段の種別のことを指して使います。
そして現在、新たなモダリティとして大きな注目を受けているのが、タンパク質分解誘導薬と呼ばれる分野です。最近、この分野の新薬の臨床試験が、日本で初めて開始されるというニュースが流れて話題になりました。今回は、このタンパク質分解誘導薬について解説していきたいと思います。
標的タンパク質を破壊する
これまでの多くの医薬は、体内のタンパク質に結合し、その働きを調整することで効果を著すものでした。代表的なのは酵素阻害剤や受容体拮抗薬で、いずれも疾患にかかわるタンパク質に結びつき、その働きをブロックするタイプの医薬です。
ただし、疾患にかかわるタンパク質の全てが、医薬の標的になりうるわけではありません。標的になりえないタンパク質のことを「ドラッガブルでない」「アンドラッガブル」という表現をします。
アンドラッガブルとなる要因はいくつかありますが、その一つに「タンパク質のポケットが浅く、医薬分子が結合しにくい」というケースがあります。また結合だけはできても、タンパク質の機能の制御にはつながらないということもあります。となれば、これを攻略するには今までと異なるタイプのモダリティが必要になります。
そこで現れたのが、タンパク質分解誘導薬と呼ばれるタイプの化合物です。これまでの医薬のようにタンパク質の働きを阻害するのではなく、疾患の要因となるタンパク質自体を、きれいさっぱり消し去ってしまうという方法です。
といっても、体外から送り込んだ小さな分子ひとつで、このような芸当を行うのは不可能です。人体にあらかじめ備わったタンパク質分解システムの力を借りて、標的タンパク質を消し去るのです。
タンパク質分解もいくつかのタイプが研究されていますが、今回は中でも最もよく研究されている、PROTAC(proteolysis targeting chimera、タンパク質分解誘導キメラ)について紹介することとしましょう。
ユビキチン-プロテアソーム系
人間の体内では、約10万種ともいわれるタンパク質が働いています。しかしタンパク質のほとんどは永続的に働くわけではなく、いつか分解されて消えてゆきます。
その分解の一端を担うのが、ユビキチン-プロテアソーム系です。不要になったタンパク質には、ユビキチンという小さなタンパク質がいくつか取り付けられます。このユビキチン取り付けを担うのが、ユビキチンリガーゼという酵素です。
一方プロテアソームは、筒状の形をした巨大なタンパク質複合体です。ユビキチンのついたタンパク質を見つけるとこれを内部に取り込み、粉々に分解してしまう仕組みになっています。
いわばユビキチンは、タンパク質にとっての死の烙印であるわけです。ユビキチン-プロテアソーム系は古くなったタンパク質の分解の他、細胞分裂の制御などにも不可欠な役割を果たします。
PROTACの仕組み
PROTACは、このシステムをうまく活用し、狙ったタンパク質を分解する手法です。PROTAC化合物は、(1)ユビキチンリガーゼに結合する部分(2)標的タンパク質に結合する分子(3)この両者をつなぐリンカー、という3つの部分から成っています。
これを投与すると、分解したい標的のタンパク質と、ユビキチンリガーゼがPROTAC化合物を介してつながれます。するとユビキチンリガーゼは、手近に来た標的タンパク質にユビキチンを取り付けてしまいますので、これを見つけたプロテアソームに取り込まれ、破壊されてしまうという筋書きです。
当初報告されたPROTAC化合物は、かなりサイズが大きく膜透過性も低いものでした。しかしその後の研究で低分子化が進められ、経口吸収性のあるものも作れるようになりました。
今回、アステラス製薬で臨床試験を開始したASP3082という化合物は、がん細胞特有のタンパク質に結合し、これを分解することでがんの増殖を防ぐものです。これも含め、タンパク質分解誘導薬の分野では、がんの治療薬の研究が先行しています。しかし今後は、自己免疫疾患や認知症など、新たな応用へ向けて研究が進んでいくと見られます。
これまで、疾患に関連するタンパク質のうち、「ドラッガブル」なものは2割程度といわれてきました。PROTACをはじめとしたタンパク質分解誘導薬は、理論上この残り8割にもアプローチすることができるため、新規モダリティとして大変有望視されています。
ただし標的以外のタンパク質を分解してしまうようなことがあれば、重大な副作用につながる可能性もあります。このあたりは、今後の研究の進展を待たねばならないでしょう。今後しばらく、製薬業界の熱い注目が、この分野に注がれることになりそうです。