学べば学ぶほど、奥が深い薬の世界。もと製薬企業研究員のサイエンスライター・佐藤健太郎氏が、そんな「薬」についてのあらゆる雑学を綴るコラムです。
糞便移植とは?ヒトの大便から作った医薬品が米国FDAで承認
本連載でも以前に取り上げた通り、人類はその文明の発祥以前から医薬を使ってきました。メソポタミアの粘土板やエジプトのパピルスにも、医薬の製造法が残されています。
そうした記録によれば、この時代には非常に意外なものが医薬として使われていました。動物のフンやブタの耳垢といった、汚物が医薬として投与されていたのです。
なんでそんなものを使ったのだと思ってしまうところですが、実はその時代なりの理屈がありました。病気というものは体内に悪魔が入り込んで起こるものであるから、これを追い出すためには悪魔が嫌う汚物を与えればよいという考えだったのです。
もちろん実際には、動物のフンなどにプラセボ以上の効果があったわけもなく、ほとんどは症状を悪化させただけだったことでしょう。
ところが現代になり、ヒトの大便から作った医薬品というものが登場しました。嘘のような話ですが、米国の食品医薬品局(FDA)が正式に承認を与えた、れっきとした医薬品です。もちろん悪魔祓いのようなものではなく、きちんとした科学的根拠があります。
Rebyotaの登場
この新薬はRebyotaという名前で、クロストリディオイデス・ディフィシルという細菌による感染症(CDI)の治療薬です。米国では年間に50万人がこの病気に感染し、1万5千人~3万人が亡くなるといいますから、相当に大きな被害のある感染症といえます。
通常、C. ディフィシルはヒトの腸内にいても、他の腸内細菌の作用などによって繁殖が抑制され、問題は起きません。しかし抗生物質の投与などで腸内細菌叢のバランスが崩れると、C. ディフィシルが増殖して毒素を生産し、下痢や腸閉塞など危険な症状を引き起こします。
Rebyotaは、健康な人の大便から作られた、腸内細菌叢を含んだ製剤です。通常の抗菌薬による治療を行ったが、効果が十分でない患者に対して、150mlを肛門から注入する形で投与されます。これによって腸内細菌の多様性を回復させ、C. ディフィシルの活動を抑制する狙いです。
臨床試験では、プラセボ投与群では8週間後の再発率が57.5%であったのに対し、Rebyota投与群では70.6%であり、有意な改善が認められました。生活の質を大きく下げてしまう再発性CDIの治療に、新たな一歩をもたらしそうです。
このような、大便に含まれる腸内細菌叢を活用する製剤の承認は、初めてのことと見られます。ただし、大便そのもの(あるいは水に溶かしてろ過などの処置を行ったもの)を利用する「糞便移植」は、これまでにも用いられてきた例があります。
糞便移植の可能性
ヒトの腸内には数百兆個の細菌が棲んでおり、その数は宿主である人の細胞数すら上回るといわれます。これら腸内細菌は、有用物質を生産したり代謝を助けたりといった形で、我々の健康維持に欠かせない役割を負っています。
すなわち、腸内細菌叢のバランス崩壊によって起こる、あるいは悪化する病気は数多くあると考えられます。安倍元首相を悩ませた潰瘍性大腸炎の他、クローン病や過敏性腸症候群などがその例に挙げられます。こうした病気の治療に、Rebyotaのような製剤、あるいは糞便移植の手法が検討されています。
すでに米国などでは、様々な人種の便を収集、ストックした「便バンク」も設立されており、CDI治療などに生かされています。今のところ日本では、一部の病院での研究段階にとどまっていますが、Rebyotaの承認はこの分野の進展を後押しするかもしれません。
また腸内細菌叢は、肥満やうつなど様々な症状にも関与していることがわかってきています。将来的には、こうした思わぬ疾患に対して腸内細菌移植が適用されるような可能性もあるかもしれません。
デメリットは?
Rebyotaの副作用としては、腹痛、下痢、腹部膨満などが確認されています。そして懸念されるのは、やはり製剤に含まれる細菌による感染症です。ドナーは様々な感染症の検査を受けることになっていますが、やはりリスクはゼロではありません。
また、他人の大便(から作った製剤)を体内に注入することに対する、心理的抵抗感はやはり強いと思われます。しかし腸内細菌の組成は複雑であり、各種細菌を培養して人工的に似たような製剤を作ることは難しいでしょう。この抵抗感は、腸内細菌移植の普及にとってかなりの障壁になりそうです。
腸内細菌叢の組成や作用は、完全に解明されたわけではありません。肥満や糖尿病などにも腸内細菌は関与していると考えられていますから、治療を受けた患者が将来的に思わぬ症状や体質変化を起こす可能性も考えられます。
とはいえ腸内細菌の役割は想像以上であることが次々とわかってきており、そのバランス改善によってなせることは多そうです。この分野の、さらなる研究の進展を待ちたいところです。
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