学べば学ぶほど、奥が深い薬の世界。もと製薬企業研究員のサイエンスライター・佐藤健太郎氏が、そんな「薬」についてのあらゆる雑学を綴るコラムです。
「AlphaFold3」が発表!AI創薬の現在地と可能性とは?
今や、生活の中で「AI」の文字を見かけない日はないほどの人工知能ブームです。生成系AIは、画像ばかりか高精細の動画も作ってくれるようになりましたし、翻訳や画像加工などの形で、我々の日常生活にも入り込んでいます。
こうしたAIブームの原点になったのは、ディープマインド社(現グーグル・ディープマインド)が開発した囲碁対戦AI「AlphaGo」です。囲碁は盤面が広く、抽象性が高いため、それまでコンピュータは人類に対してまるで歯が立ちませんでした。しかしAlphaGoはその壁を破って一気に人類の世界王者を倒し、世に深層学習技術の有用性を知らしめたのです。
その後、開発元であるディープマインド社は、「その開発で得た技術を難病治療・エネルギー問題・画期的新素材などの方面に振り向けていく」と発表しました。これを聞いて筆者が思ったのは、「いよいよ『GIFT』が現実になるのかもしれない」ということでした。
『GIFT』は実現するか
『GIFT』というのは、2011年に出版された高野和明氏の小説「ジェノサイド」に登場する創薬ソフトウェアです(この小説のスケールと面白さは圧倒的です。医薬化学が重要なモチーフになっていますので、特に薬剤師のみなさんにはおすすめです)。
『GIFT』は、遺伝子の塩基配列のみからタンパク質の立体構造を推定し、それに結合する医薬分子をゼロからデザインしてくれます。それに加え、ヒトや動物での体内動態や薬効、毒性なども完全に予測してくれるという設定です。要は、十数年かかる創薬の過程をすべて代行してくれる、完全創薬ソフトウェアということになります。
グーグルの資金力と、ディープマインド社の技術力をもってすれば、あるいは3~4年でこうしたAIが実現するのでは――などとも思いましたが、現実はさすがにそう甘くはありませんでした。AlphaGoが世界王者を破ってから7年ほどが経過した今も、AIは『GIFT』の域に到達していません。
もちろん、創薬に関するAIの研究は盛んに行われ、成果はいくつも上がっています。AlphaGoと同じディープマインド社が開発した、「AlphaFold」は中でも有名なものでしょう。
タンパク質のアミノ酸配列から立体構造を推測するのは難しく、長らく「科学の未解決問題」に挙げられてきました。しかし2018年に登場したAlphaFoldは、高精度でタンパク質の折りたたみを予測することに成功し、これまでの常識を覆しました。これは、『GIFT』の機能の一部を実現したといえます。
2024年には、バージョンアップしたAlphaFold3(β版)が発表されました。タンパク質とDNAの複合体、タンパク質同士の複合体なども予測可能になっており、創薬の現場にも大きなメリットをもたらしそうです。
参照:AlphaFold3の登場!!再びブレイクスルーとなりうるのか~実際にβ版を使用してみた~|Chem-Station (ケムステ)
この他、毒性やADMETの予測を行うAIなども研究されており、市販されているものもあります。これらは、製薬企業の研究現場でもすでに広く取り入れられています。
ただし、『GIFT』のように一から医薬分子をデザインしてくれるAIが完成するには、まだ時間がかかりそうです。こうしたAIを実際に使ってみた研究者によれば、実際にはありえない構造を出力してくるようなことも多く、まだまだ信頼できる段階ではないといいます。
もちろん、人間の発想にはない構造も見つかったりするので、全くの無駄ではないということですが、今のところはまだ「万能」という存在にはほど遠いようです。
ひとつには、データの量の問題がありそうです。深層学習技術の肝になるのは、一にも二にも大量の良質なデータですが、日本の一社だけではなかなか十分なデータが揃いません。多数の企業が連合してデータを(互いには詳細がわからぬよう)共有する動きもあり、期待したいところです。
参照:競合17社の機密情報を学習した創薬AI、エーザイや小野薬品などが参画|日経クロステック(xTECH)
人間を進化させるAI
とはいえ、現状のAIには価値はないのかというと、そんなこともなさそうに思います。最近、カリフォルニア大学の研究チームから、AIと囲碁に関する興味深い研究が発表されました。AIの登場により、人類の棋士たちの実力が大幅にアップしているというものです。
参照:AIの登場で人間の囲碁のレベルが劇的に向上していることが明らかに、囲碁以外の分野でもAIが頭打ちになった分野に成長をもたらす可能性|GIGAZINE
同チームは、1950年以来のトップ棋士たちの棋譜を分析し、長らく横ばいであった人類の実力が、2017年以降急激に上昇していることを発見しました。しかも、それは棋士たちが、単にAIの手を真似したからではありません。手数が進み、AIの手をそのまま真似ることができない局面でも、棋士たちが正解手を打つ割合は向上しているのです。
これは、棋士たちがAIの手段のエッセンスや新しい考え方を吸収し、よりクリエイティブになったためと解釈できます。これと同じようなことが、創薬の現場でも起きるのではないかと筆者は期待しています。すなわち、AIのセンスを学び取った研究者が、今までにないデザインを次々に編み出すのではという期待です。
もっとも、囲碁の棋士の実力向上はAlphaGo登場直後に起きたのではなく、着手の検討が可能なAIツールが現れてから起きているようです。創薬の世界においても、いま必要なのは、研究者と対話してその創造性を引き出してくれるAIなのかもしれません。
🔽 AI創薬について解説した過去の連載記事はこちら
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