薬にまつわるエトセトラ 公開日:2026.03.05 薬にまつわるエトセトラ

薬剤師のエナジーチャージ薬読サイエンスライター佐藤健太郎の薬にまつわるエトセトラ

学べば学ぶほど、奥が深い薬の世界。もと製薬企業研究員のサイエンスライター・佐藤健太郎氏が、そんな「薬」についてのあらゆる雑学を綴るコラムです。

第137回

がんのウイルス療法とは?話題を集める最新治療の現状と課題

最近、鳥取大のグループから、がんのウイルス療法に関する成果が発表されて話題を集めました。がんをウイルスで退治するというのはなかなかイメージが湧きにくい話ですが、いったいどのようなものなのでしょうか。
 
参考:がんの根治を目指して-局所療法で全身のがんに極めて高い治療効果を発揮する次世代がん治療用ワクシニアウイルスの開発に成功-|鳥取大学医学部
 
がん治療は古くからさまざまなアプローチが行われており、ウイルス療法も起源をたどっていけば、ずいぶん古い時代にまでさかのぼります。
 
19世紀末、米国の医師ウィリアム・コーリーが、がん患者が溶血性連鎖球菌に感染した後、腫瘍が消失したケースを見出しました。これを元に彼は、加熱殺菌した溶連菌などを病巣に注入する方法を編み出します。
 
この「コーリーの毒素」は、長期生存する患者も出るなど一定の成果もありましたが、やはりあまりに危険な治療法であり、いつしかこの方法は消えていきました。
 
一見無茶なやり方とも見えるこの治療法ですが、現在でも膀胱がんに対してウシ型結核菌(BCG)を注入する方法が標準治療となっているなど、全く荒唐無稽なものとはいえません。免疫系を刺激することでがん細胞を叩くという意味で、医学史的にはがん免疫療法の先駆けと評価されています。
 
現代のウイルス療法は、コーリーの手法を洗練し、アップデートしたものといっていいでしょう。がん細胞のみを攻撃するように、ウイルスを人工的に改変した上で注入し、がん細胞に感染させてこれを殺そうという発想です。
 
がん細胞は、特定の受容体が過剰発現しているため、選択的に結合するウイルスを設計することは比較的容易です。また、がん細胞は細胞周期の制御が失われているため、ウイルスの複製には有利な環境といえます。
 
こうした改変ウイルスががん細胞に感染すると、ウイルスが増殖して細胞が破裂し、周囲のがん細胞が新たに感染して……といった具合に広がり、腫瘍を溶解させてしまいます。自己増殖して広がっていく生きた抗がん剤、というイメージです。
 
また、がん細胞が破裂すると、特有のタンパク質などが大量に放出されます。すると免疫系がこれを認識し、がん細胞と戦う免疫細胞を生産します。つまりウイルス療法は、この両面の効果でがんを縮小させるのです。
 
現在、国内で承認されているウイルス療法としては、第一三共と東京大学の開発によるデリタクト(テセルパツレブ)があります。単純ヘルペスウイルスの遺伝子を3か所改変し、正常細胞では増えず、がん細胞のみで増殖するようにしたものです。
 
デリタクトは、神経膠腫という脳腫瘍の一種の治療薬として用いられます。ただし、今後データを収集して有効性と安全性を評価する、条件付き承認という形です。
 
参考:ウイルスががんを治す?がんウイルス療法が国内で承認|「がん治療」新時代WEB
 
その他、食道がんやメラノーマ、膵がんなどのウイルス療法が臨床試験段階にあり、研究はますます盛んになっています。

 

ウイルス療法の弱点

こう見てくると、ウイルス療法は非常に有望そうに見えますが、やはり弱点と限界もあります。
 
ひとつは、ウイルスに対する免疫が働くため、通常の投与法ではすぐに体から排除されてしまう点が挙げられます。このため、がんの病巣に直接注入という手段に頼らざるを得ません。また、ウイルスは転移巣には届かず、また体内深部の臓器には投与困難という問題もあります。
 
またがん細胞は、体の免疫系の攻撃を避けるため、免疫抑制環境を作ります。たとえば免疫抑制性サイトカインを放出したり、バリアとなる線維性間質を作ったりといったことです。このため、ウイルスによる攻撃がうまく機能しないことも多いのです。
 
かといって治療用のウイルスの毒性を上げると、正常細胞に対してもダメージを与える可能性があります。古典的な抗がん剤と同じように、有効性と安全性のトレードオフが起きるわけです。このため、思うほど治療効果が上がらないケースも少なくありません。
 
そして、用いるのがウイルスである以上、体外に排出された際に他者に感染する可能性を考慮せねばなりません。変異を起こして危険な病原体が生まれてしまうようなことも、絶対にないとはいえないでしょう。規制当局としては、慎重にならざるを得ません。

 

今後のウイルス療法

というわけで、ウイルス療法と他の治療法を併用していくアプローチが試されています。そのひとつが、免疫チェックポイント阻害薬とウイルスを併用する手法です。ウイルスは、がん細胞を溶解させて抗原を放出させ、免疫細胞をがんの周囲に誘導することができます。このため、免疫チェックポイント阻害薬への感受性を高めることができると考えられます。
 
参考:腫瘍溶解性ウイルスによる抗腫瘍免疫の活性化とがん免疫療法との併用(Drug Delivery System 2023年 38巻 1号)|J-STAGE
 
また、免疫細胞を刺激するサイトカインの遺伝子を組み込み、がん細胞への攻撃性を高めたウイルスも作り出されています。これはT-VEC(商品名イムリジック)と命名されており、2015年にFDAに承認を受けています。
 
参考:IMLYGIC® (talimogene laherparepvec)|Patient Information
 
他にも様々な手法が考えられており、ウイルス療法は今後の展開次第で、がん治療の有力な選択肢に育っていく可能性も十分にありそうです。

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佐藤 健太郎(さとう けんたろう)

1970年生まれ。1995年に東京工業大学大学院(修士)を卒業後、国内製薬企業にて創薬研究に従事。2008年よりサイエンスライターに転身。2009年より12年まで、東京大学理学系研究科化学専攻にて、広報担当特任助教を務める。『世界史を変えた薬』『医薬品クライシス』『炭素文明論』など著書多数。2010年科学ジャーナリスト賞、2011年化学コミュニケーション賞(個人)。ブログ:有機化学美術館・分館

 

ベストセラー『炭素文明論』に続く、文明に革命を起こした新素材の物語。新刊『世界史を変えた新素材』(新潮社)が発売中。

佐藤 健太郎
(さとう けんたろう)

1970年生まれ。1995年に東京工業大学大学院(修士)を卒業後、国内製薬企業にて創薬研究に従事。2008年よりサイエンスライターに転身。2009年より12年まで、東京大学理学系研究科化学専攻にて、広報担当特任助教を務める。『世界史を変えた薬』『医薬品クライシス』『炭素文明論』など著書多数。2010年科学ジャーナリスト賞、2011年化学コミュニケーション賞(個人)。ブログ:有機化学美術館・分館

 

ベストセラー『炭素文明論』に続く、文明に革命を起こした新素材の物語。新刊『世界史を変えた新素材』(新潮社)が発売中。