映画・ドラマ
「たまには仕事に関連する映画を見てみようかな」と感じたことはありませんか? 医療や病気に関する映画・ドラマ作品は数多くありますが、いざとなるとどんな作品を見ればいいのか、迷ってしまう人もいるのでは。このコラムでは看護師ライターの坂口千絵さんが、「医療者」としての目線で映画・ドラマをご紹介します。
vol.7 「50/50 フィフティ・フィフティ」(2011年・アメリカ)
酒もたばこもやらない“普通”の青年アダムに突然告げられた病気は“がん”だった。
27歳という若さで、5年生存率50%のまさかの余命宣告。その日から、アダムの生活環境は一変。
よそよそしい会社の同僚たち、看病の重圧に負けそうな恋人、同居を迫る世話焼きの母親…。
病気のアダムに気遣って誰も今までどおりに接してくれない! ただ一人、女好きの親友カイルをのぞいては。
カイルと一緒に病気を“ネタ”にナンパしたり、新米セラピストのキャサリンと手探りのカウンセリングを通して、“がん”の日々を笑い飛ばそうとするアダム。
しかし刻一刻と進行する病魔に、やがてアダムは平穏を装うことができなくなる…。
2011年にアメリカで公開されたこの作品は、がんを克服した経験を持つこの作品の脚本家、ウィル・レイサーの実話が元になっています。闘病をテーマとした映画は暗く、重い雰囲気になりがちですが、本作はコメディの要素が多く織り交ぜられています。しかし、笑いをとることを狙っているのではなく、ふだんの生活に垣間見える“人間らしさ”が表現されているので、抵抗なく鑑賞することができました。
特に興味深かったのは、アダムが家族や恋人、友人らに自分の病気を打ち明けたときの反応や行動が大きく異なったところです。深刻に受け止めすぎてパニック状態になる母親、アダムを支える発言をしておきながら、看病の大変さを口実に浮気をする恋人のレイチェル、アダムの深刻な訴えに取り合わない友人カイル。そして、励ましのつもりが逆に不自然な応対をする周囲の友人たち……。
親しい人から深刻な病気であることを打ち明けられたとき、どのように反応したらいいのかわからない人は多いと思います。相手が大切な人であればあるほど動揺も大きくなりますし、受け止め方は人それぞれ違って当然です。しかし、作品を通して客観的な視点で見ると、「がん」という事実はひとつであるにも関わらず、これほどいろいろな反応があるものかと驚かされました。アダムの病気の告白を通じて、周囲との関係性や人間の内面が描かれています。
医療者の立場から言えば、患者さんと信頼関係を築いたり、患者さんの心に寄り添ったりするために必要なのは、「深刻さ」ではなく人として向き合う「真剣さ」なのではないかと思います。予後不良な患者さんだけでなく、再発の不安が強い方や、日常生活に支障が出るほどの症状を繰り返している方の場合、精神的な苦痛も強くなります。
そのために不安や苦しみを訴えたり、悲観的な発言が多くなったりすることもありますが、そのたびに同調していては医療者の負担も大きくなってしまい、健全な支えにはなれません。ですから私自身は、自分と患者さんとの間に心理的な「境界線」を引くことを意識しています。「切り離す」のではなく、「支える」ことを意識しながら冷静さを保つことが大事なのだと思います。
アダムはカウンセリングも受けましたが、新人セラピストであるキャサリンの教科書通りの接し方に嫌気がさします。しかし、本音をさらけだすうちに次第に互いの心が解きほぐされ、親密になっていくのを見ると、真の癒しは、肩書きや立場を超えたところに存在しているのではないかとも感じました。
その後、治療仲間の死をきっかけにネガティブになっていくアダム。友人のカイルはアダムの「がん」にはまったく取り合わないどころか、笑い飛ばすほどでしたが、ある日、酔いつぶれたカイルを送り届けたアダムは、彼の家であるものを発見します。これは、カイルがアダムを大切に想う心が痛いほど伝わってくる、見ごたえのある場面です。
カイルの姿を通し、人の本当の思いは表面的な言動や態度だけではわからないことをあらためて実感しました。アダムに対する接し方も彼なりの「命と向き合う真剣さ」のひとつなのだと思います。大切な人の「生と死」にどのように向き合えばいいのか。その考え方の幅に広がりが持てるような作品です。
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