映画・ドラマ
「たまには仕事に関連する映画を見てみようかな」と感じたことはありませんか? 医療や病気に関する映画・ドラマ作品は数多くありますが、いざとなるとどんな作品を見ればいいのか、迷ってしまう人もいるのでは。このコラムでは北品川藤クリニック院長・石原藤樹先生と看護師ライターの坂口千絵さんが、「医療者」としての目線で映画・ドラマをご紹介します。
vol.24「ディア・ドクター」(2009年・日本)
過疎が進む山あいの小さな村で、唯一の医師として慕われていた男が失踪する。村人は、男の素性を何ひとつ知らなかった。やがて警察の捜査により、失踪した医師・伊野の不可解な行動が浮かびあがってくる。
舞台は2ヶ月前。東京から研修医として村に赴任してきた相馬は、伊野という腰の据わった勤務医と出会う。日々の診察、薬の処方からボランティアの訪問健康診断まで、一手に引き受けて奔走する伊野に、相馬はしだいに共感を覚えるようになっていく。
ある日、かづ子という一人暮らしの未亡人が倒れる。死を覚悟した彼女の頼みごとを引き受けたことから、伊野がひた隠しにしてきた「たったひとつの嘘」が、少しずつほころびはじめる――。
―無医村に現れた理想の医者の正体は?―
今日ご紹介するのは、地域医療の重い問題を、抜群のアイデアで軽妙かつ感動的に描いた、2009年公開の日本映画「ディア・ドクター」です。完成度の高いオリジナルの作品を作り続け、新作が公開されるたびに話題となっている西川美和監督のヒット作で、映画初主演の笑福亭鶴瓶の演技も高く評価されました。
山あいの小さな村で、たった一人の常勤の医師として、村の健康を支えていた笑福亭鶴瓶演じる伊野医師が、ある日こつぜんと姿を消して大騒ぎになるところから物語は始まります。程なく、彼の意外な正体が明らかになり、そこから、瑛太演じる研修医の視点を借りて、伊野医師の診療の日常と、失踪に至った経緯が紡がれていきます。
伊野医師は村人から神さまのように慕われ、研修医も理想の医師として尊敬していました。本当の彼は何者で、村に何を残して去っていったのでしょうか。地域医療の問題と、人間の生死に責任を持つことの意味が、説得力を持って描かれてゆきます。
この映画のユニークさは、何と言っても主人公の設定にあります。へき地医療を扱った映像作品はたくさんありますが、超人的な医師がヒーローとして活躍するような作品がほとんどで、そこからは現実の地域医療の視点は抜け落ちています。一方で、正面からリアルにこの問題を取り上げれば、深刻なだけのドラマになり、娯楽作品としては成立しなくなってしまいます。西川監督はそれでも、医療の難しい現実を踏まえたうえで、娯楽作品として成立させる方法を、考えたのではないかと思います。
その答えが、医者であって医者でない、不思議な存在として主人公の伊野医師を描き、その役を鶴瓶に演じさせるという裏技でした。実際に作中の鶴瓶の存在感は抜群で、彼が主人公を演じるという時点で、この映画の成功は決まっていたのではないか、という思いすらします。
どう見ても鶴瓶演じる伊野医師は、普通のお医者さんとは思えませんし、超人でもありません。しかし、誰でも一度接すれば心を開いて悩みを打ち明けたくなるような、不思議な魅力を持っています。このユニークな主人公を入り口にすることによって、登場人物たちの深刻な生と死の難問を、観客は深刻になり過ぎることなく、一緒に考えることができるのです。
そこで最も時間を割いて語られるのは、八千草薫演じる一人暮らしの未亡人が、自分の病気の診断ばかりか、自分の死の責任をも、伊野医師に託そうとする物語です。普通の医者であれば、決してそんな責任を負うようなことはしません。しかし、伊野医師は悩んだ末にそうしようと決意するのです。その感動的な顛末は、ぜひ本編をご覧ください。
西川監督の映画は非常に緻密にできています。医師という立場を示す象徴として、白衣が使われていますが、村の男が田んぼから白衣を拾い上げるオープニングに、既に作品のテーマがすべて入っています。失踪する直前の主人公が、八千草薫演じる未亡人の眼前で、白衣を投げ捨てる場面も印象的です。
主人公の正体を、比較的早いうちに観客に明らかにすることで、その後は観客がより深く、主人公の心理に入り込むように誘導する、その構成もうまいと思います。わかりやすい描写が多い一方で、「なぜ主人公が突然失踪したか」という物語の最大のポイントは明確にはせず、観客の想像力にゆだねている点が、鑑賞後の余韻を生んでいます。
医療従事者の立場から言うと、この映画で描かれている医療行為は、実際とは少し違う部分もあります。たとえば、伊野医師は一人で八千草薫の胃カメラをするのですが、それでは組織の検査まではできない可能性が高いのです。医療器具の使い方などもチグハグな点が多く、薬卸しの営業マンという設定の香川照之の役柄にも、現実との違いに首をひねるようなところがあります。医療監修がしっかり機能していなかったのかな、という気もしますが、もちろんそれは映画としての傷ではありません。
医療崩壊や医師不足が騒がれてもうだいぶ月日がたちましたが、問題は解決しないばかりか深刻さを増しているように思います。意欲を持った医師が無医村に赴任しても、住民や行政とのあつれきがあったり、仕事の過酷さに疲弊して、短期間で退職したりする事例が跡を絶ちません。この映画はもちろんフィクションですが、映画の中に描かれている医師と住民との交流の中に、こうした問題を解決するヒントが潜んでいるような気がします。映画には薬剤師は登場しませんが、患者さんとのやり取りの中には、参考になる点が必ずあると思います。
加えてこの映画は、いくつかの親子の問題を掘り下げた、家族のドラマでもあります。適度なユーモアを交えたエピソードの数々はおもしろく、生きるということの厳しさを感じさせながらも、その素晴らしさにもあふれ、観た後には胸が少し熱くなるような余韻が残ります。皆さんもぜひこの素晴らしい映画を観て、明日の仕事の活力にしてみてください。
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