学べば学ぶほど、奥が深い薬の世界。もと製薬企業研究員のサイエンスライター・佐藤健太郎氏が、そんな「薬」についてのあらゆる雑学を綴るコラムです。
老眼を治す目薬が世界で初めて登場!メカニズムや副作用は?
人間誰しも、40歳を超えると様々な形で加齢を意識するようになります。疲労回復が遅くなったり、白髪が生えてきたりというのもありますが、老眼もその一つでしょう。特に最近は、スマートフォンなどで細かい文字を読む機会が増えていますから、かなりの不便が生じます。
老眼はなぜ起こる?
老眼は、目のピント調整機能の低下によって起こります。目の中には水晶体と呼ばれる器官があり、レンズのような役割を果たしています。見ようとするものの距離によって、レンズのピント位置は変わってきます。そこで、水晶体周辺の毛様体小帯と呼ばれる線維がゆるんだり縮んだりすることで水晶体の厚さが変化し、ピントを調節しています。
しかし年をとるとこの水晶体が固くなり、毛様体小帯がゆるんでも厚さが変わりにくくなります。すると近くのものを見てもピントが合わず、細かい文字などが見えにくいといった現象が起こるのです。これが老眼です。
というわけで老眼の対策としては、凸レンズのメガネ(老眼鏡)をかけてピントを合わせるのが一般的です。手術によって水晶体を取り除き、プラスチックレンズを埋め込む治療法などもありますが、費用がかなり高額であることもあり、あまり一般的ではありません。
治療薬の登場
しかし2021年10月、初めて老眼の治療薬が米国で承認を受けました(時事メディカル[2021年11月10日]より)。手術は尻込みする人が多くとも、一日に一度目薬を点眼するだけでよいなら、使ってみたいという方は多いことでしょう。
ピロカルピンはこれまで、経口薬としてシェーグレン症候群の治療薬として用いられてきました。この病気は、唾液の分泌が悪くなるという特徴的な症状があります。ピロカルピンは唾液腺のムスカリン受容体に作用し、唾液の分泌を増やしてくれます。
点眼薬としては、緑内障の治療薬として用いられます。緑内障は、眼球内部の房水が充満しすぎて眼圧が上がり、視神経を圧迫してしまうために起きる病気です。ピロカルピンは副交感神経を刺激することで、房水の排水路である隅角を開き、眼圧を下げてくれるのです。
効果とメカニズム
そのピロカルピンに、老眼の治療という意外な効果が発見されました。アラガン社の発表によれば、ピロカルピン塩酸塩を40~55歳の男女に点眼したところ、低照度状態での近距離視力が有意に改善されたということです。早ければ15分以内に老眼の改善が始まり、最大6時間ほど効果が続くといいます。
近くが見えるようになっても、遠くが見えにくくなるのでは価値半減ですが、遠方の視力には悪影響がないといいます。気になるのは副作用ですが、重篤な問題はみられず、頭痛と目の充血程度であったとのことです(時事メディカル[2021年11月10日]より)。
メカニズムとしては、ピロカルピンが瞳孔括約筋を収縮させ、瞳孔を小さくすることでピントが合いやすくなると考えられています。目に入ってくる光量が少なくなるので、暗いところでの視力が低下することになりますが、大きな問題にはなっていないようです。
近視は治せるか?
「Vuity」と名づけられた新薬の価格は1ヶ月あたり約80ドルとのことで、本稿執筆時のレートで1万円を超えます(fabcross for エンジニア[2022年1月27日]より)。日本での認可はまだだいぶ先でしょうが、薬価がどうなるかは興味のあるところです。あまり高いようなら、老眼鏡をかけておけばいいや、という方が多くなるかもしれません。
とはいえ、日本の40歳以上人口は7800万人にも及びますから、これはまさに手つかずの巨大市場です。今後、各社が類似の治療薬開発をめぐって、しのぎを削る可能性は高そうです。
老眼の治療が可能なら、近視は治せないのでしょうか?実は、低濃度アトロピンを点眼することで、子供の近視の進行を遅らせることはできます。副作用はほとんどありませんが、視力を改善することはできず、あくまで視力低下のスピードを遅らせるだけです。
シンガポールなどではこの治療がかなり行われているということですが、日本では保険適用がされておらず、自費診療ということになります。となると、費用対効果が引き合うかどうか、ちょっと考えものです。
目はいろいろとデリケートでもありますので、リーズナブルで安全な近視治療は、なかなか難しいかもしれません。医薬研究者にとっては遠い夢ということになりそうですが、実現する日はやってくるでしょうか。
<参考URL>
FDA・老眼を改善する点眼薬承認|時事メディカル[2021年11月10日]
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