薬にまつわるエトセトラ 公開日:2025.06.05 薬にまつわるエトセトラ

薬剤師のエナジーチャージ薬読サイエンスライター佐藤健太郎の薬にまつわるエトセトラ

学べば学ぶほど、奥が深い薬の世界。もと製薬企業研究員のサイエンスライター・佐藤健太郎氏が、そんな「薬」についてのあらゆる雑学を綴るコラムです。

第128回

動物実験がなくなる?医薬品開発における現状と廃止に向けた取り組み

創薬研究においては、薬効や毒性などを調べるために、マウス・ラット・サルなどの実験動物に化合物を投与する実験が行われます。人体での臨床試験に進むには、細胞などを用いる試験のデータだけでは不十分ですので、動物実験は創薬に不可欠というのが現状です。
 
しかし、動物に苦痛を与え、命を奪う動物実験は、やはり倫理的な問題があります。このため、動物実験には昔から多くの反対の声が挙げられてきました。
 
動物実験には、不必要な苦痛を動物に与えないよう、様々な規定が取り決められています。たとえば基本的なルールとして、以下に示す「3R原則」があります。

 

Refinement(改良):動物実験の実施方法を改良し、苦痛やストレスを軽減する。
Reduction(縮小):動物の数をできるだけ少なくする。
Replacement(代替):動物実験に代わる非動物実験法を積極的に活用する。

 

このように、動物たちの苦痛を最小限にする工夫がなされてはいるものの、その犠牲は決して小さいものではありません。
 
また、動物実験には限界もあります。マウスやサルは、持っているタンパク質や代謝機構に、ヒトと異なる点が多くあります。動物での試験で薬効や安全性が確認されたといっても、それがヒトでそのまま再現されるとは限りません。
 
こうしたことからEUでは、すでに2013年から化粧品会社における動物実験が全面禁止となっています。日本でも、ロート製薬は化粧品分野における動物実験を2016年に廃止しました。そして製薬業界にも、この動きは波及しつつあります。

 

代替技術の進展

といっても、動物実験を単純に省くだけというわけにはいきませんので、これに代わる技術が必要になります。
 
試験管内(in vitro)で実験を行う方法として、スフェロイドやオルガノイドを利用する方法が注目を集めています。スフェロイドは、細胞を3次元的に培養して球状の塊にしたもので、組織や腫瘍のモデルになりえます。
 
オルガノイドは、胃や肝臓などの臓器に特有な細胞から成る塊で、臓器のモデルとして利用できるものです。ここに試験したい化合物を作用させ、どのように反応するか見ることで、ある程度薬効や毒性などを推測できます。
 
また、生体機能チップ(organ-on-a-chip)というものも研究されています。これは、微細加工技術によって細かな流路を作り、その上に臓器の細胞を培養するものです。より生体内に近い環境を作ることができるため、現在精力的に研究が進められています。
 
これらは本物の生体にある臓器と完全に同一ではありませんが、動物ではなくヒト細胞を利用できるため、種間の相違を気にする必要がありません。倫理的な問題もありませんので、広く利用可能です。
 
これらと別に、過去のデータを人工知能(AI)に学習させ、毒性予測を行う技術も進展しています。毒性予測ソフトウェアは20年以上前から存在していましたが、近年の機械学習技術と結びつき、さらに精度を向上させています。

🔽 AI創薬について解説した記事はこちら

これだけで動物実験が完全になくせるわけではないでしょうが、こうして早期にふるいにかけられれば、必要な動物数の削減にはつながりそうです。

 

脱動物実験の波

こうした技術の進展を受け、規制当局側も動物実験を減らしてゆく方向で動き始めています。
 
たとえば米国食品医薬局(FDA)は、2022年に発表された「FDA近代化法2.0」において、1938年以来義務付けられてきた動物実験を、任意とすると発表しました。そして、前述のような動物実験に代わる手法(New Approach Method, 略称NAM)の開発を推進していく方針を打ち出しています。
 
2025年4月には、FDAは前臨床安全性試験での動物実験廃止へ向けたロードマップを発表しました。まず抗体医薬品分野における動物実験を削減し、徐々に低分子医薬や各種生物学的製剤に拡大してゆくというものです。
 
抗体医薬の開発の際、現在の基準では反復投与毒性実験が義務付けられています。これは100頭以上の霊長類を用いる必要があり、しかもヒトでの免疫反応を十分シミュレートできるものではありません。このため、NAMへの切り替えが推進されるようになったわけです。
 
参考:動物実験を段階的廃止へ~抗体医薬がターゲットに|薬読
 
実は、脱動物実験を後押しするもう一つの要因があります。実験用のサルはもともと高価でしたが、コロナ禍の影響などで約10年前と比べておよそ5倍にも高騰し、1匹1000万円レベルに達しているのです。さらに飼育費用や管理の人件費もここに乗ってきますから、小規模なバイオベンチャーはもちろん、メガファーマにとっても厳しい負担です。
 
参考:サル価格高騰、危機感の共有を|薬事日報
 
といったものの、完全に動物実験に代わりうる手法が開発されるには、まだ3年や5年では難しいという見方がなされています。ヒト臨床試験の安全を考えると、そう簡単に動物実験を全廃するわけにはいかないでしょう。
 
まずは代替できるところから少しずつ――ということになるでしょうが、上記のようなコスト要因なども考えると、転換は意外に早く進むのかもしれません。日本にもこの波は、遠からずやってくると思ってよさそうです。

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佐藤 健太郎(さとう けんたろう)

1970年生まれ。1995年に東京工業大学大学院(修士)を卒業後、国内製薬企業にて創薬研究に従事。2008年よりサイエンスライターに転身。2009年より12年まで、東京大学理学系研究科化学専攻にて、広報担当特任助教を務める。『世界史を変えた薬』『医薬品クライシス』『炭素文明論』など著書多数。2010年科学ジャーナリスト賞、2011年化学コミュニケーション賞(個人)。ブログ:有機化学美術館・分館

 

ベストセラー『炭素文明論』に続く、文明に革命を起こした新素材の物語。新刊『世界史を変えた新素材』(新潮社)が発売中。

佐藤 健太郎
(さとう けんたろう)

1970年生まれ。1995年に東京工業大学大学院(修士)を卒業後、国内製薬企業にて創薬研究に従事。2008年よりサイエンスライターに転身。2009年より12年まで、東京大学理学系研究科化学専攻にて、広報担当特任助教を務める。『世界史を変えた薬』『医薬品クライシス』『炭素文明論』など著書多数。2010年科学ジャーナリスト賞、2011年化学コミュニケーション賞(個人)。ブログ:有機化学美術館・分館

 

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