薬にまつわるエトセトラ 公開日:2026.02.05 薬にまつわるエトセトラ

薬剤師のエナジーチャージ薬読サイエンスライター佐藤健太郎の薬にまつわるエトセトラ

学べば学ぶほど、奥が深い薬の世界。もと製薬企業研究員のサイエンスライター・佐藤健太郎氏が、そんな「薬」についてのあらゆる雑学を綴るコラムです。

第136回

1回3000万円の薬「キムリア」の薬価はなぜ高いのか?

先日SNSで、1回3000万円の薬キムリアを投与された人の投稿が話題になりました。その反響は大きく、この高価な医薬が患者に大きな負担をかけることなく利用できる、日本の保険制度が改めて称賛されていました。
 
と同時に、いったいなぜこの薬はそんなにも高価なのかという点にも注目が集まりました。実のところキムリアは、通常思い浮かべる「薬」とは全く違ったもので、どちらかといえば「治療法」と呼ぶべきものであるからです。
 
キムリアの薬価については、本連載でもすでに取り上げたことがありますが、今後の医薬品業界を考える上でも意義があると思われますので、もう少し詳しく解説してみましょう。

 

 

キムリアはどのような「薬」か

キムリアは、ノバルティス社が製造・販売している、B細胞性急性リンパ芽球性白血病の治療薬です。アメリカでは2017年に、日本では2019年に承認となりました。
 
キムリアは細胞療法、中でもCAR-T細胞療法と呼ばれるタイプの治療薬です。患者自身の体内からT細胞を取り出し、がん細胞の表面に発現するタンパク質を認識して攻撃するよう改変します。そしてこのT細胞を培養し、体内に戻してがん細胞を退治させるというものです。旧来の医薬とは、全く異なる性質のものであることがおわかりいただけると思います。
 
キムリアはその効能の高さでも注目されました。他の治療法では難しい白血病ですが、キムリアでは奏効率が80%以上にも達します。しかも多くの抗がん剤と異なり、1回の投与で済むというのも、非常に大きな利点です。
 
参考:キムリア®の治療を受けられる方とそのご家族へ|ノバルティス ファーマ株式会社

 

キムリアの薬価はどう決まったか

キムリアの薬価は、2019年の薬価収載の際には33,493,407円でしたが、2021年に引き下げを受けて、現在は1回あたり32,647,761円となっています。この驚くべき薬価は、どのように決まったのでしょうか。
 
薬価は、基本的には既存の類似薬と比較して決められます。作用機序や薬効が似た薬を基準とし、その薬よりも優れた点があれば加算、劣った点があれば減算されるといった形です。
 
ただしキムリアは、作用機序も投与形式も、何もかも既存薬とは違う薬です。こうした場合は、原価計算方式によって決められます。この場合、製造原価や営業・流通経費、適正な利潤などを積み上げて算定されることになります。
 
キムリアの場合、この製造原価が極めて高価になります。ウイルスベクターや特殊な試薬、高価な部材が必要ですし、製造工程では熟練の技術者が、クリーンルームで無菌状態での作業を行わねばなりません。輸送も低温で行う必要があるなど、あらゆる面で高いコストがかかります。
 
また、対象となる患者数は極めて少ない(ピーク時で年間216人の想定)ため、開発費などもこの少数の患者から回収する他ありません。こうした事情があるため、キムリアの原価は患者一人当たり約500万~800万円になるといわれます。
 
さらに、薬価算定の際には各種の加算が乗せられます。効果が明らかに優れている、安全性が改善されているなどの場合に乗せられる有用性加算(5~60%)、新規の作用機序、治療方法の改善がなされた場合に乗せられる画期性加算(70~120%)、希少疾病用医薬に乗せられる市場性加算(5~20%)などです。キムリアの場合は、これらもかなり多く加算されたと考えられます。
 
さらに、外国平均価格調整というものもあります。医薬というものはグローバルな商品ですので、海外での価格とあまりに乖離があると問題が生じます。このため、アメリカ・イギリス・フランス・ドイツの4カ国の薬価と大きく食い違う場合には、その平均値に近づけるよう調整がなされます。
 
キムリアの場合、アメリカでの薬価が47万5000ドル(当時のレートで約5200万円)であったため、この調整も入ったと思われます。約3300万円という高薬価は、こうした要因が揃った結果です。
 
アメリカでは、キムリアには「成功報酬型薬価」という方式が採用されました。つまり、実際に使用して効果があった時だけ薬価を支払うというやり方です。ノバルティス社は日本でもこの方式を提案したのですが、採用されませんでした。

 

 

今後薬価は下がるのか?

CAR-T細胞療法はキムリアの他にもいくつか現れており、薬価は同水準です。またこれ以外の細胞療法も、多くは数百万円レベルの薬価となっています。これらの薬価は、今後どうなるのでしょうか。
 
抗体医薬では、バイオシミラーが登場して薬価が下がることがありますが、細胞療法においてはその仕組み上、こうしたことも考えにくそうです。患者ごとのオーダーメイドとなるため、量産によるコスト低下なども見込みにくいと考えられます。
 
製造技術の進歩や、同タイプの細胞療法の登場によって、多少薬価は引き下げられるかもしれません。ただしその先は、オーダーメイドでない万人向けの細胞療法の開発など、大きなブレイクスルーが必要になってくるのでは、というのが筆者の予想です。

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佐藤 健太郎(さとう けんたろう)

1970年生まれ。1995年に東京工業大学大学院(修士)を卒業後、国内製薬企業にて創薬研究に従事。2008年よりサイエンスライターに転身。2009年より12年まで、東京大学理学系研究科化学専攻にて、広報担当特任助教を務める。『世界史を変えた薬』『医薬品クライシス』『炭素文明論』など著書多数。2010年科学ジャーナリスト賞、2011年化学コミュニケーション賞(個人)。ブログ:有機化学美術館・分館

 

ベストセラー『炭素文明論』に続く、文明に革命を起こした新素材の物語。新刊『世界史を変えた新素材』(新潮社)が発売中。

佐藤 健太郎
(さとう けんたろう)

1970年生まれ。1995年に東京工業大学大学院(修士)を卒業後、国内製薬企業にて創薬研究に従事。2008年よりサイエンスライターに転身。2009年より12年まで、東京大学理学系研究科化学専攻にて、広報担当特任助教を務める。『世界史を変えた薬』『医薬品クライシス』『炭素文明論』など著書多数。2010年科学ジャーナリスト賞、2011年化学コミュニケーション賞(個人)。ブログ:有機化学美術館・分館

 

ベストセラー『炭素文明論』に続く、文明に革命を起こした新素材の物語。新刊『世界史を変えた新素材』(新潮社)が発売中。