学べば学ぶほど、奥が深い薬の世界。もと製薬企業研究員のサイエンスライター・佐藤健太郎氏が、そんな「薬」についてのあらゆる雑学を綴るコラムです。薬のトリビアなどを伝えられると、患者さんとの距離も近くなるかもしれませんね。
2015年9月、マーティン・シュクレリという人物が率いる米国の小さな製薬会社が、世界的な注目を浴びる事態が起きました。彼は、HIV感染に伴うトキソプラズマ症の治療薬である「ダラプリム」という薬の販売権を買い取り、一挙に50倍以上に価格を吊り上げるという暴挙に出たのです。
ダラプリムはとっくに特許の切れた古い薬ですが、一社が独占販売をしていたこと、治療に不可欠な薬であることから、シュクレリに目をつけられたのです。他の会社が許可を取って同じ成分の販売に乗り出すまでしばらくかかりますので、その間にしこたま儲けようというのが彼の考えでした。
販売元が薬価を自由に設定できる米国においては、これは別に法律に反することではありません。とはいえ、患者の命を人質に取るような正当性のない大幅値上げは、多くの人々を怒らせるに十分でした。シュクレリは「利益は新薬の開発に回す」と主張しましたが、それまでヘッジファンドのマネージャーで、医薬関係には何の知識もなかった彼の言うことを、そのまま信じられるわけもありません。
シュクレリは批判を浴びてもまるで堪えた様子もなく、テレビ番組で傲慢な態度をとったり、自分を追及する政治家やジャーナリストをツイッターで罵倒するなどやりたい放題を重ねました。この結果彼は多方面から糾弾を受け、「全米一嫌われた男」と呼ばれることになります。
しかし3ヶ月後、シュクレリは別件で逮捕され、会社のCEOも辞任するはめになりました。その後、別の会社から同じ成分を含んだ薬が安く販売されることになり、ダラプリムをめぐる騒動は一応落着しています。
しかし最近になり、ダラプリムの名が再びニュースをにぎわしました。シュクレリが1錠約9万円にも吊り上げたダラプリムを、オーストラリアの高校生たちが1錠約230円で合成することに成功したというものです。
この件は、鼻持ちならない強欲男から、高校生たちが鮮やかに一本を取ってみせたとして、世界的に大きく報道されました。これに対してシュクレリは「物理化学者をただで働かせられるなんて知らなかった」「研究室の設備を無料で使えるのなら、なぜ自分は設備を購入しなければならなかったんだろうな」とツイッターで混ぜっ返してみせた(AFPニュースより)といいますから、彼の露悪癖は相変わらず健在であるようです。
ただしこの件に関してはシュクレリの言うことにも一理はあり、設備投資や人件費を含まない試薬だけの価格を、最終的な薬価と比較することには無理があります。また、こちらのブログで詳しく解説されていますが、高校生たちは大学教授の指導の下、これまでより若干改良された合成法を確立しただけです。専門家をあっと言わせるほどの独創性とまではいえず、この方法が直接に量産に結びつくわけでもありません。高校生の実験としては実に大したもので、企画としても素晴らしく賞賛に値するとは思いますが、少々持ち上げられすぎではあったでしょう。
この件がここまで大きく報道されたのは、裏に「薬の値段は高すぎるのではないか」という、人々の思いがあるのではという気もします。昔から「薬九層倍」という言葉があるほどで、薬は原価よりもはるかに高く販売され、企業や医師は暴利をむさぼっているのではないか――とは、よく巷でもいわれることです。
もちろん、シュクレリの例は極端にせよ、近年世界的に薬価は上昇傾向にあり、中には正当性の薄い値上げもあるのは否定できません。ただし医薬の価格が、人件費や設備投資などを含めた製造原価よりもはるかに高いのは、それなりの理由があることでもあります。
医薬品の開発過程で最も費用がかかるのはどこかといえば、臨床試験の段階が圧倒的に高いのです。厳密に管理された環境下で、多くのボランティアや患者の協力を得て、数年から十数年という時間をかけて試験は行なわれます。これにより、服用された医薬は体内をどう動いてどう患部に届くか、どの程度の量を飲めば効くのか、副作用や安全性はどうか、他の薬と併用した場合どうなるかなどなどのデータが集められ、審査を受けます。こうした情報なくして、我々は安心して薬を飲むことはできません。
言い方を変えれば、医薬の価格のうち製造原価というのはごく一部に過ぎず、大半は医薬を正しく使うための情報料であるといえます(近年のバイオ医薬では、製造原価もかなり高くなりますが)。このあたりが、医薬という商品の理解されづらい特殊性でしょう。その情報を正しく伝える薬剤師という職業が、いかに重要かということでもあると思います。