学べば学ぶほど、奥が深い薬の世界。もと製薬企業研究員のサイエンスライター・佐藤健太郎氏が、そんな「薬」についてのあらゆる雑学を綴るコラムです。
香辛料と医薬の意外なつながりとは?漢方薬や感染症対策、創薬に活用
筆者は以前、世界の歴史を動かした化合物を取り上げた、「炭素文明論」と題する本を書いたことがあります。カフェインやニコチンなど、よく知られた化合物を紹介しましたが、中でも香辛料類の活躍ぶりには調べていて驚かされました。
ローマ帝国の貴族には、高価な胡椒がステータスシンボルとなり、その購入のために莫大な量の銀が国外に流出しました。15世紀には、アジアから香辛料を輸入するために各国の船乗りたちが長距離航海に乗り出し、有名な大航海時代が訪れます。
こうまで香辛料が珍重されたのは、肉の保存や臭み消しに不可欠であったためです。肉食があまり盛んではなかった日本人には、西洋における香辛料のもてはやされぶりはちょっと想像がつかない部分があります。
漢方薬としての香辛料
香辛料の用途は、何も食品を美味しくするだけではありません。古来、多くの香辛料は医薬としても利用されています。たとえばクローブは、原産地のモルッカ諸島の領有権をめぐって、イギリス・スペイン・オランダが血みどろの闘いを繰り広げたほど人気を集めた香辛料です。
一方でクローブは「丁子」という漢方薬の一種でもあり、嘔吐や虫歯の痛みを抑えるために広く用いられました。有効成分として、殺菌・鎮痛効果のあるオイゲノールを含んでいるためです。
感染症対策に使われた香辛料
歴史に大きな影響を与えた感染症はいくつもありますが、ペストはその筆頭に挙げられるでしょう。14世紀の流行では、ヨーロッパの人口の約3分の1が犠牲になったといわれますから、その恐ろしさはCOVID-19の比ではありません。
かつては、死体の放つ悪臭がペストの感染源であると考えられていました。そこで、よい香りの香辛料は、その防護になると考えられたのです。医師たちは、たっぷりと香辛料が詰め込まれたくちばしのような突起がついたマスクで顔を覆い、患者の治療に当たりました。
また当時のペスト対策として、香辛料をアルコールで抽出したもので体を拭うことも行われていました。これは、まんざら無意味な習慣でもなかったと思われます。
もともと香辛料は、昆虫による食害を防ぐため、植物が作り出す天然の農薬であると考えられています。つまり香辛料は、ペストを媒介するノミを追い払う効果があったわけです。アルコールによる殺菌作用もありますから、当時行われたペスト対策の中では最善の部類だったでしょう。
こうしたこともあり、香辛料は非常な高値で取引され、ナツメグ450グラムが、牛7頭と交換されたという記録さえあります。船乗りたちが、七つの海を越えてまで香辛料を求めた理由は、こうしたところにもあったのです。
現代の創薬と香辛料
薬が効果を示すメカニズムが解明され、様々な医薬が合理的に設計できるようになった現代においても、医薬品と香辛料の縁が切れたわけではありません。香辛料に関する研究が、医薬に結びつく例はいくつかあります。
たとえばトウガラシの味は英語で「hot」と表現されるように、食べると熱さと痛みを感じます。これは、トウガラシの辛味成分カプサイシンが、温覚・痛覚に関わる受容体である、TRPV1受容体に結合するためであることが明らかになりました。
こうしたことから、TRPV1受容体の発見者であるD・ジュリアス及びA・パタプティアンの両氏には、2021年のノーベル生理学医学賞が授与されています。
また、インフルエンザ治療薬としてポピュラーなタミフルも、違った意味で香辛料と縁がある薬です。タミフルは、香辛料の一種である八角から得られる、シキミ酸という化合物を元に製造されているのです。
タミフルの分子には不斉炭素が3ヶ所含まれており、通常の手法ではかなり合成が難しい構造です。そこで原料として、タミフルに似た構造で、比較的安価に手に入るシキミ酸が選ばれたのです。
2005年ごろには、原料の八角の入手が難しくなり、タミフルの供給が危機に陥ったことがあります。このため世界の化学者が、シキミ酸を用いないタミフルの合成法開発に乗り出す場面もありました。
■タミフル(オセルタミビル)とシキミ酸の分子構造比較
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