学べば学ぶほど、奥が深い薬の世界。もと製薬企業研究員のサイエンスライター・佐藤健太郎氏が、そんな「薬」についてのあらゆる雑学を綴るコラムです。

GLP-1受容体作動薬「夢のやせ薬」の現在地とは?
本連載の第111回で、肥満症治療薬ウゴービについて取り上げました(第111回 “やせる薬”が保険適用に? 肥満症治療薬「ウゴービ」とは)。あれから1年半が経った現在、ウゴービを含めたGLP-1受容体作動薬はさらに話題を集め、マスコミなどで取り上げられる機会も増えています。今回は、これらの薬の現在について書いてみましょう。
GLP-1受容体作動薬は注目の医薬ですので、薬剤師のみなさんならだいたいのところはご存知と思いますが、ざっとおさらいをしておきましょう。きっかけになったのは、糖尿病治療薬セマグルチド(商品名オゼンピック)が、2017年に米国で承認されたことです。
その臨床試験の過程で、この薬に体重減少効果があることが判明し、インフルエンサーなどによってその効果が広まっていきました。このため2021年には、肥満症治療薬として承認を受けることになり、こちらの目的では「ウゴービ」の名で発売されました。2023年には、日本でもウゴービが承認を受けています。
BMI30以上の肥満者が成人の40%以上を占めるアメリカにおいて、オゼンピック/ウゴービは爆発的な売れ行きとなりました。2024年のオゼンピックの世界総売上は458.78億ドルでダントツの首位、ウゴービも154.08億ドルと、すさまじい勢いで売上を伸ばしています。
参考:2024年に世界で最も売れた薬は―|AnswersNews
発売元であるノボノルディスク社の株価はうなぎ登りとなり、2023年には株式時価総額が母国デンマークのGDPを上回ったといいますから、ちょっと信じがたいほどの事態です。
オゼンピックの独走を許すまじと、イーライ・リリー社が送り込んだのがチルゼパチド(糖尿病治療薬としての商品名マンジャロ、肥満症治療薬としてはゼップバウンド)です。この薬はGLP-1受容体とGIP受容体のデュアル作動薬であり、臨床試験の結果オゼンピックを上回る体重減少効果を示すことがわかりました。
このため、将来的にマンジャロ/ゼップバウンドはオゼンピック/ウゴービを抜き去り、史上最大の医薬に成長すると見られています。肥満症治療薬市場は2030年までに800億ドルに達するとの予測もあり、これは日本の医薬品市場の総額に匹敵します。

第2ラウンド
ただ、これらGLP-1受容体作動薬はペプチド骨格を持つため注射剤であり、使いにくさが残っています。そこでノボノルディスクとイーライ・リリーの闘いの第2ラウンドは、経口肥満症治療薬の開発になっています。
すでにノボ社は、セマグルチドに吸収促進剤を配合した経口糖尿病治療薬「リベルサス」を発売しています。ただしその生物学的利用能は低く、体重減少効果はウゴービやゼップバウンドに比べて低いレベルにとどまっています。
中外製薬は非ペプチド型の経口GLP-1受容体作動薬オルフォルグリプロンを創出し、現在イーライ・リリー社が臨床試験を進めています。治験では10%程度の体重減少が確認されており、2026年の発売が見込まれています。
一方ノボ社は、GLP-1受容体作動薬とアミリンアナログを組み合わせた注射剤カグリセマの臨床試験を進めていましたが、体重減少効果はゼップバウンドに及ばず、大きく株価を落とすことになりました。
参考:ノボノルディスク、「カグリセマ」治験結果が期待下回る-株価急落|Bloomberg
こうしたこともあり、今年5月にはノボ社のラース・ヨルゲンセンCEOは退任に追い込まれています。ヨーロッパ最大の企業にまでのし上がってからわずか2年での退任ですから、何とも厳しいものです。
参考:ノボノルディスクのCEO退任へ 肥満症薬での優位性失う恐れ|ロイター
この宝の山ともいうべき領域には、他にも多くの製薬企業が参戦しています。ファイザーの経口剤ダヌグリプロンは吐き気や肝障害などの副作用で撤退しましたが、他にもロシュ、ベーリンガーインゲルハイム、アストラゼネカ、メルクなどの列強が臨床試験を進めています。来年あたりには多くの医薬が出揃い、熾烈な商戦が始まることになりそうです。

副作用騒動
今や米国では、成人の12%がGLP-1受容体作動薬を使用したことがあり、うち半数が現在も使用中であるといいます。それだけに、副作用の報告も相当な数に上っています。
吐き気、便秘、下痢などの消化管症状は最も多く、胆石や胆嚢炎、まれではありますが腸閉塞などのリスクも指摘されています。米国では有名人が重度の便秘で入院したケースなども報道され、改めてその副作用に目が向けられるきっかけとなりました。
日本でも、テレビ番組などでGLP-1受容体作動薬の副作用が取り上げられるようになりました。吐き気、脱毛や抑うつ症状に悩まされているといった話の他、一度打つと「また打っておかないと」という思いに囚われてしまうと語っている人もいました。これは、新しい形の依存症といえるのかもしれません。
以前にも述べた通り、これらGLP-1受容体作動薬はいずれも肥満「症」治療薬であり、放置すれば重大な疾患を併発しかねない状況の人が用いるべき薬です。ちょっと見栄えを良くしたいというような目的で使用すべきものでは本来ないのですが、やはり痩せたい、美しくなりたいという欲望は強烈で、過剰使用は止まらないようです。
いずれにせよ、今後しばらくはこの薬が医薬品市場の主役となりそうです。医薬に関わる者ならば、注視しておかねばならない存在でしょう。