映画・ドラマ
「たまには仕事に関連する映画を見てみようかな」と感じたことはありませんか? 医療や病気に関する映画・ドラマ作品は数多くありますが、いざとなるとどんな作品を見ればいいのか、迷ってしまう人もいるのでは。このコラムでは北品川藤クリニック院長・石原藤樹先生と看護師ライターの坂口千絵さんが、「医療者」としての目線で映画・ドラマをご紹介します。
vol.16「評決」(1982年・アメリカ)
本来、弱者のためにあるはずの法律が、強者によって利用され、弱者を追い詰めてゆく……。一体、法とは何なのか、そして正義とは? 演技派として数々の傑作を映画史に刻んできた名優ポール・ニューマンが、法律に、正義に苦悩し、自身の信念と勇気に立ち上がる弁護士を演じた衝撃の問題作。“自身の全てを出し切った”と語るほどの迫真の名演は、全世界で大絶賛を浴びた。
―骨太の医療裁判ドラマの秀作―
こんにちは。北品川藤クリニック院長の石原です。
今日ご紹介するのは、1982年(日本公開1983年)のアメリカ映画『評決』です。取り上げるには古いのですが、私が個人的には最も好きな映画の1本です。今回コラムを書くために久しぶりに見直して、やはり惚れ込んでしまいました。
ポール・ニューマン演じる主人公は、かつては敏腕弁護士だったのですが、裁判の陪審員への不正を疑われたことから、出世の道を絶たれてしまいます。毎日酒浸りで、新聞の死亡欄を見て、遺族にたかりに行くような生活。そんなある日、友人の紹介でひとつの仕事が舞い込みます。それは大病院の麻酔の事故によって、植物状態となった女性の妹からの依頼でした。
最初は簡単な示談で解決するはずの案件だったのですが、植物状態の女性のポラロイド写真を撮っているうちに、主人公の心に「ある変化」が起こります。そして、示談を拒否して裁判で大病院の医師の過失を証明しようとするのです。
ある種の一時的な高揚感で、主人公は依頼人の意思すら無視するように、裁判に猪突猛進します。しかし、頼みにする専門医の証人には逃げられてしまい、判事にも敵対され、裁判の直前で梯子を外されて途方に暮れてしまいます。そして、唯一の年長の友人だけを頼りに、ほぼ孤立無援の主人公の闘いが始まるのです。
果たして、主人公の一世一代の人生の賭けは、どのような結末を迎えるのでしょうか。
裁判の展開は極めてスリリングで、リアルで説得力があります。そして、ラストでは観客の全員が、自分の心の中の正義と向き合うような、静かな感動の余韻が待っているのです。これが名作といわれるゆえんだと思います。
監督は、社会派の名匠シドニー・ルメット。法廷劇では『十二人の怒れる男』が非常に有名です。この作品もリアルな描写の積み重ねで、観客が評決の場に居合わせているような迫真性を生んでいます。実際には理想論の絵空事でありながら、それを事実のように感じさせるのが、名匠の腕の冴えです。
『十二人の怒れる男』は、陪審員の評決への議論が主な舞台ですが、この作品では弁護士の活動が表にあって、陪審員のドラマは裏に隠されています。両者が合わせ鏡のようになっていて、併せて見るとまた、興味深いと思います。
本作品で何より素晴らしいのは、主役を演じた初老のポール・ニューマンです。自分の中の正義に目覚め、孤独な闘いに向かいながら、常に弱さと背中合わせの複雑な心境を、その立ち振る舞いと表情だけで、観客に知らしめる説得力が素晴らしいと思います。最近はもっと表面的で大げさな演技が好まれ、こうした渋い役者さんはあまり見なくなりました。
医療ドラマとしては、さすがに古めかしい感じはあるのですが、弱者の正義に真摯に向き合う姿勢は、現代にも通じるものがあると思います。物語の後半には鍵になる人物として、偽証を強要されて看護師の職を追われた女性が登場し、彼女の勇気が裁判の行方に大きな影響を与えることになります。医療に携わっている以上、こうした正義を求める気持ちは、常に忘れてはならないものではないでしょうか。現実は確かに、そう単純なものではないのですが、その一方で理想を求めることも、また大切であると思います。
余談ですが、劇中で「コード・ブルー」という用語が登場していて、これは病院で患者さんの急変などを示す符丁です。今ではドラマのタイトルなどで、一般にも浸透していますが、この作品では被告となった麻酔科の専門医は知っていて、主人公が証人として依頼した町医者は知らなかった、という設定で使用されていました。このように、昔の医療の状況などが、リアルにわかるのも映画の魅力です。
いずれにしても、今はあまり見ることのできない、骨太の社会派ドラマの秀作です。物語も完成度が高いですし、俳優陣も見応えがあります。予定のない休日の夜などに、現実のしがらみを離れ、静かな余韻に浸ってみるのはどうでしょうか。
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