映画・ドラマ
「たまには仕事に関連する映画を見てみようかな」と感じたことはありませんか? 医療や病気に関する映画・ドラマ作品は数多くありますが、いざとなるとどんな作品を見ればいいのか、迷ってしまう人もいるのでは。このコラムでは北品川藤クリニック院長・石原藤樹先生と看護師ライターの坂口千絵さんが、「医療者」としての目線で映画・ドラマをご紹介します。
vol.17「誰も知らない」(2004年・日本)
都内の2DKのアパートで大好きな母親と幸せに暮らす4人の兄妹。しかし彼らの父親はみな別々で、学校にも通ったことがなく、3人の妹弟の存在は大家にも知らされていなかった。ある日、母親はわずかな現金と短いメモを残し、兄に妹弟の世話を託して家を出る。この日から、誰にも知られることのない4人の子どもたちだけの『漂流生活』が始まる……。
―大人から見えなくなった子どもたちの、つらく切なく美しい物語―
今日ご紹介するのは、2004年の日本映画『誰も知らない』です。主演の柳楽優弥がカンヌ国際映画祭の主演男優賞に輝いたことでも有名で、是枝裕和監督の代表作のひとつになりました。観客一人ひとりの胸元に、刃を突きつけられるような重く厳しい作品ですが、詩情にあふれた美しい映画でもあります。
ストーリーの元になっているのは、1988年に豊島区で実際に起こった「巣鴨子ども置き去り事件」と呼ばれる事件です。複数の男性と交際して子どもを産んだ母親が、また別の男と交際するために、数人の子どもをアパートに置き去りにしてしまいます。その子どもたちは出生届も出されておらず、学校にも行ってはいませんでした。子どもだけの生活は長期に及び、悲劇的な事態が起こってしまいます。
80年代の日本で本当に起こったことが信じられないような、重く絶望的な事件を、是枝監督は10代の長男を主人公にして、大人不在の世界で子どもだけが力強く生き抜くという、絶望の中に一筋の希望が差し込むようなドラマとして描きました。
是枝監督の映画はいつもそうですが、作品の初めと終わりとで、主人公の心は変わっていないように見えて実は大きく変わっています。この作品でも、アパートに取り残された子どもたちは、最初から家族のように見えて、実はそうではありません。しかし、悲劇的な事件を経て、最後には同じ生活を続けながらも、しっかりと結びついた家族になっているのです。
普通、こうした悲惨な環境下にある子どもの世界を描いた映画では、大人がもう少し登場して、ある人は心ない態度を取ったり、ある人は子どもを擁護して演説をぶったりして、問題をわかりやすく見せようとすると思います。しかし、この作品は徹頭徹尾子ども目線で描かれていて、母親も無責任ではあるものの、憎めない人物として描かれています。どの子かの父親であろう無責任な男たちも登場しますが、その出番は少なく、ある種の背景としてしか描かれてはいません。実際は、大家の通報により警察が踏み込んで事件は明るみに出るのですが、この作品では大家は無関心さしか見せることはなく、事件の発覚自体も描かれることはありませんでした。
大人の無関心と悪意のない無責任こそが、子どもを絶望に陥れたのだということを、是枝監督が静かに告発しているのかもしれません。
映像はアップを多用していて、切り返しのカットなどがほとんどないのが特徴的です。実際、2人の人物が対話するような場面もほとんどありません。日常の風景がどんどん荒廃してゆくさまをアップの連続で冷徹に描くのですが、それでいて主人公の心が動く部分では、長い疾走やモノレールの移動が、映画的なカタルシスを呼ぶのです。悲劇の場面では不意に神話のような輝きを見せるキャメラも見事でした。言うまでもありませんが、主人公の柳楽優弥は抜群です。
医療に携わっていると、「これはひょっとしてネグレクト?」というような場面に、遭遇することがあります。薬剤師の皆さんも、お薬を取りに来たお子さんやお母さんの様子に、「あれっ」と思った経験はないでしょうか。プライバシーが重視される世の中ですから、どうしても大人の対応で、ことなかれに逃げてしまいがちになるのですが、子どもと目線を合わせて一言「困っていることはない?」と問いかけてみる勇気が必要なのかもしれません。この映画を観て、ふとそんなことを思いました。
かなり重い映画で上映時間も長いので、疲れた時にちょっと見る、というような鑑賞には不向きかもしれません。しかし、大切な何かをあなたに残してくれる映画であることは間違いがないので、ぜひ準備を整えてご覧ください。
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