薬にまつわるエトセトラ 薬にまつわるエトセトラ

学べば学ぶほど、奥が深い薬の世界。もと製薬企業研究員のサイエンスライター・佐藤健太郎氏が、そんな「薬」についてのあらゆる雑学を綴るコラムです。

第56回

「キムリア」など超高額薬続々……
細胞治療時代の幕開け

近年、超高額の治療薬として「オプジーボ」が話題となりましたが、今年に入り「キムリア」「ステミラック注」など細胞治療にかかわる高額治療薬の承認のニュースが相次いでいます。これらの治療薬の登場により、医療はどのように変化していくのでしょうか。

「キムリア」はなぜ高額なのか?

本連載で以前にも取り上げた、白血病治療薬「キムリア」(ノバルティスファーマ)が、保険適用を受けることが決定しました。キムリアは、米国などで採用された成功報酬型薬価方式(効果があった場合のみ対価が支払われる)が、日本でも適用されるかどうかも注目されていました。しかし今回は、この制度導入は見送られたようです。

そしてキムリアの薬価は、患者一人あたり3349万3407円と、過去最高額となりました。米国の47万5000ドル(約5400万円)よりははるかに低く抑えられたものの、やはり驚くべき額です。

肺がんなどの治療薬であるオプジーボでは、あまりの超高額から保険財政の破綻さえ危惧され、大きな問題となりました。ただしこれは、当初は希少ながんの治療薬として認可されたものが、肺がんなど患者数の多い疾患に適応拡大されたためでもあり、現在では薬価は大幅に引き下げられています。

今回のキムリアは、対象がB細胞性急性リンパ芽球性⽩⾎病という特殊な疾患に限られており、投与も1回限りで済みます。患者数はピーク時でも年間216人程度、売上でいえば72億円前後ですから、オプジーボとは比較にならないほど少額です。他のがんに適応拡大された場合、薬価を引き下げる仕組みも取り決められていますから、財政破綻といった問題には(直接には)ならないと考えられます。

キムリアがかくも高額になったのは、今までの医薬とは全く異なる「細胞治療」に属するものであるからです。がん患者本人から採取したT細胞に遺伝子改変を施し、がん細胞を認識して攻撃する抗体を発現させた上、培養して体内に再注入するというものです。果たしてこれは「医薬」と呼ぶべきものなのだろうかと思ってしまいますが、今やこうした手法を製薬企業が開発し、「新薬」として審査・承認を受ける時代に入っているということです。

「ステミラック注」の承認

細胞治療のジャンルでは、もうひとつ大きなニュースがありました。札幌医科大のグループが研究を進めている、脊髄損傷の幹細胞治療が、「ステミラック注」の名で承認を受けたというものです。事故などで脊髄を損傷し、体が麻痺した状態の患者の骨髄から、「間葉系幹細胞」と呼ばれる細胞を取り出し、体外で培養して静脈注射するというものです。

その効果は驚くべきもので、全身麻痺状態にあった患者が、投与翌日から手足を動かせるようになったケースもあったといいます。NHKではこの治療法を「ペニシリン以来の大発見」と銘打って報じ、他のマスコミなどもこれを大きく取り上げました。

注入された幹細胞が損傷部位に自発的に集まり、各種の伝達因子を放出することで、神経細胞の再生を促すことが、第一の効果と考えられています。さらに髄鞘(ずいしょう)と呼ばれる部位を再生させ、神経細胞のネットワークを修復させることで、数週間から数ヶ月かけて症状を改善してゆくと見られます。

何しろ、今までなら全く手の打ちようのなかった患者が、数ヶ月で自力で歩けたり、ピアノさえ弾けるようになったというのですから、まさに画期的な治療法です。この効果を見て厚労省は早期の承認に踏み切り、この5月から保険適用開始となりました。ただし今後7年間にわたって有効性と安全性を調査し、効果を確認できれば販売を継続できるとの条件つきです。

とはいえ、早期の承認には疑問を呈する声も上がっています。ここまで治験は13例しか行なわれておらず(うち12例が有効)、プラセボとの比較対照実験も実施されていません。副作用や長期的な影響、治癒の詳しいメカニズムなど、わかっていないことも多い段階です。優れた治療法を一刻も早く普及させたいのは当然とはいえ、懸念の声にも一理あるというべきでしょう。

ステミラック注の薬価は、1495万7755円に設定されました。その大半は、国庫からの支出となります。幹細胞の取り出しや培養、安全性検査などには、特殊な装置と高度なトレーニングを受けた多数のスタッフが必要であるため、この薬価でも採算は厳しいとみられます(文藝春秋2019年6月号の記事「脊髄損傷は治療できる――札幌医大『奇跡』の発見」による)。一方、全身麻痺の患者の介護費用、患者の社会復帰による経済効果などを考えれば、この額を支払う社会的意義は十分過ぎるほどと思われます。

細胞治療への期待と課題

この劇的な効能を見て、細胞治療分野に積極的に乗り出してくる企業はいくつもあることでしょう。小分子の医薬などより、はるかに高度な治療が可能になる分野も多いと思われます。しかしそうなった時、次々と現れる新たなタイプの「医薬」の効能と安全性をどう評価し、それをどのように薬価に反映させるのか。キムリアとステミラック注が「前例」となる以上、極めて高額の薬価がつくことは間違いないでしょう。医療費抑制が叫ばれる中、新しい医療は新しい難問をももたらしそうではあります。

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佐藤 健太郎(さとう けんたろう)

1970年生まれ。1995年に東京工業大学大学院(修士)を卒業後、国内製薬企業にて創薬研究に従事。2008年よりサイエンスライターに転身。2009年より12年まで、東京大学理学系研究科化学専攻にて、広報担当特任助教を務める。『世界史を変えた薬』『医薬品クライシス』『炭素文明論』など著書多数。2010年科学ジャーナリスト賞、2011年化学コミュニケーション賞(個人)。ブログ:有機化学美術館・分館

 

ベストセラー『炭素文明論』に続く、文明に革命を起こした新素材の物語。新刊『世界史を変えた新素材』(新潮社)が発売中。

佐藤 健太郎
(さとう けんたろう)

1970年生まれ。1995年に東京工業大学大学院(修士)を卒業後、国内製薬企業にて創薬研究に従事。2008年よりサイエンスライターに転身。2009年より12年まで、東京大学理学系研究科化学専攻にて、広報担当特任助教を務める。『世界史を変えた薬』『医薬品クライシス』『炭素文明論』など著書多数。2010年科学ジャーナリスト賞、2011年化学コミュニケーション賞(個人)。ブログ:有機化学美術館・分館

 

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