薬にまつわるエトセトラ 公開日:2021.04.28 薬にまつわるエトセトラ

学べば学ぶほど、奥が深い薬の世界。もと製薬企業研究員のサイエンスライター・佐藤健太郎氏が、そんな「薬」についてのあらゆる雑学を綴るコラムです。

第79回

日本の国産ワクチン開発はなぜ出遅れてしまったのか

COVID-19に対するワクチンの接種は、世界各国で非常なペースで進められています。しかし日本の接種ペースはOECD加盟37ヶ国中最下位という惨状を呈し、ワクチン敗戦ともいわれる状況が続いています(Yahoo!ニュース・高橋浩祐氏のコラムより)。

そうした中、4月16日に訪米した菅義偉首相は、ファイザー社のブーラCEOと電話で会談し、同社製ワクチンの供給を要請しました。これを受けて河野太郎ワクチン担当大臣は、日本の16歳以上の国民全員分のワクチンを確保し、9月末までに接種が終えられる見通しだと発表しています(ロイター、2021年4月18日)。

とはいえ、ワクチンの国際的な争奪戦が繰り広げられている現状を見ると、本当に9月末までにワクチンが入ってくるのか不安が残ります。また、供給の対価や条件なども、海外企業の言い分を丸呑みせざるを得なくなっており、大きな負担となっています。

そう考えると、やはり自国でワクチンを作り出せなかったのは、あまりに痛いと思えます。米、英、独、中国、ロシア、インドなどの国が自前でワクチンを作ったのに、世界有数の製薬企業を多数抱える日本がなぜまだワクチンを作り出せずにいるのか。これは誰もが疑問に思うところでしょう。

 

見落とされたワクチンの重要性

第一に、司令塔となるべき政府がワクチンのなんたるかを理解していなかったと言わざるを得ません。ワクチンは人々の健康、国の安全保障、経済と産業の興亡を左右する戦略物資だという認識が、どうにも薄かったように思えます。

また、ワクチンがどのように作られ、どのような試験を経て生まれるものなのかも、把握されていなかったと見えます。

昨年3月に東京オリンピックの延期が決まる際、森喜朗氏は2年延期を提案しましたが、安倍前総理は「日本の技術力は落ちていない。ワクチンができる。大丈夫です」と答え、1年延期を決断したといいます。

しかしコロナ禍以前、ワクチンの最速開発の記録は、おたふくかぜワクチンの4年でした。必要量のワクチンを製造し、それを接種するための時間も考慮すれば、2021年夏までに全国民が接種を終えられる可能性は、普通に考えてほぼゼロでした。つまり首相周辺には、ワクチンとはどのような性質のものなのか、適切なアドバイスを送れる人がいなかったことを意味します。

奇跡的な速度で成し遂げた米国

一方米国では、様々な技術革新と、政府の「ワープスピード作戦」と呼ばれた全面的バックアップによって、わずか1年という奇跡的な速度でのワクチン開発が成し遂げられました。これはアポロの月着陸に勝るとも劣らない偉業と思えます。

とはいえCOVID-19ワクチンは、単に金を積み上げ、事務作業を急がせただけの急ごしらえなどではありません。mRNAワクチンという真新しいように見える技術も、政府からの手厚い投資と、長い研究の積み重ねによって生まれてきたものです。

米国は世界での軍事行動に当たり、感染症が発生した場合いつでも接種を行えるよう、ワクチンは重要物資として位置づけられています。このあたり、日本のワクチンに対する意識とは比べようもありません。

 

日本のワクチン開発事情

日本で、ワクチン開発を行なう製薬企業への国からの投資が少なかったという点については、営利企業なのだから自分たちでワクチンビジネスを構築し、その利益で新たなワクチン開発を進めるのが当然ではないかという厳しい意見も耳にします。

ただしワクチンは薬価が安いため、歴史的に日本の大手製薬企業で直接手がけているところは少なく、長らくワクチン専業メーカーとの棲み分けに近い形態になってきました。ベンチャーへの投資も少なく、研究力が弱かったのは事実です。

そして日本国民の、ワクチンに対する強い不信感があります。1970年代からワクチンの副反応に関した訴訟は相次いでおり、近年ではHPV(ヒトパピローマウイルス)ワクチンの問題が大きく報道されたことが、それに輪をかけました。COVID-19ワクチンが承認された時も、いくつかのメディアで危険性を強調した報道がなされたことは、記憶に新しいところでしょう。

この忌避感がワクチン市場を縮小させ、結果として研究力をも低下させてきました。ワクチンは元来リスクコミュニケーションが極めて難しい製品ですが、そこでの失敗の積み重ねが、今の事態を招いていると思わざるを得ません。

偉そうに論評している筆者も、かつて製薬業界に籍をおいた身であり、現在はコミュニケーションに関わる立場です。今回のワクチン敗戦というべき事態については、非常に忸怩たる思いを抱えています。

もっとも、コロナ禍はまだ終わったわけではありません。ワクチンによる免疫はいつまで保持されるものかはまだわからず、ワクチンが無効な変異株が現れる可能性もあります。そしていずれは、次のパンデミックもやって来ます。

周回遅れというべき現状ではありますが、ようやく自民党のプロジェクトチームが、国産ワクチン開発促進の提言をまとめるなどの動きも出てきました(Yahoo!ニュース・FNNプライムオンライン、2021年4月26日)。関係者の奮起に期待するものです。

 


佐藤 健太郎(さとう けんたろう)

1970年生まれ。1995年に東京工業大学大学院(修士)を卒業後、国内製薬企業にて創薬研究に従事。2008年よりサイエンスライターに転身。2009年より12年まで、東京大学理学系研究科化学専攻にて、広報担当特任助教を務める。『世界史を変えた薬』『医薬品クライシス』『炭素文明論』など著書多数。2010年科学ジャーナリスト賞、2011年化学コミュニケーション賞(個人)。ブログ:有機化学美術館・分館

 

ベストセラー『炭素文明論』に続く、文明に革命を起こした新素材の物語。新刊『世界史を変えた新素材』(新潮社)が発売中。

佐藤 健太郎
(さとう けんたろう)

1970年生まれ。1995年に東京工業大学大学院(修士)を卒業後、国内製薬企業にて創薬研究に従事。2008年よりサイエンスライターに転身。2009年より12年まで、東京大学理学系研究科化学専攻にて、広報担当特任助教を務める。『世界史を変えた薬』『医薬品クライシス』『炭素文明論』など著書多数。2010年科学ジャーナリスト賞、2011年化学コミュニケーション賞(個人)。ブログ:有機化学美術館・分館

 

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