薬にまつわるエトセトラ 公開日:2021.06.03 薬にまつわるエトセトラ

学べば学ぶほど、奥が深い薬の世界。もと製薬企業研究員のサイエンスライター・佐藤健太郎氏が、そんな「薬」についてのあらゆる雑学を綴るコラムです。

第80回

「薬は毒」なのか?

筆者は、医薬に関する講演を行なった際などに、「薬は毒だというのは本当ですか?」と聞かれたことが何度かあります。「まあそういう面はありますね」などと答えると、驚きと納得の入り混じった表情をされたりします。

人の命と健康を守る「薬」と、害する「毒」が同じものだという話には強い意外性があり、大変に印象的なのでしょう。なのでこの「薬は毒、毒は薬」という言い方はよく使われ、書籍などにもそうしたタイトルのものがいくつか見受けられます。

毒を医薬に用いてきた

実際にも、医薬の歴史を振り返れば、毒を薬として用いた例は枚挙にいとまがありません。たとえば古代中国では、ヒ素を含んだ鉱石が長寿の秘薬として用いられました。古くからの薬草にも、附子(トリカブト)やハシリドコロなど、毒性のある植物を加減して用いているケースは少なくありません。

また16世紀ごろには、水銀が梅毒治療に使われたこともあります。水銀は病原体にもダメージを与えたでしょうが、それ以上に患者の身体を蝕み、命を縮めたものと思われます。

現在でも用いられるシクロホスファミドなどの抗がん剤のルーツが、戦場で用いられた毒ガスであることもよく知られた話です。これなどは、がん細胞に対する毒を、人体に対する薬として使っている例といえます。

「薬は毒」という刷り込みとワクチン忌避

現代の医薬でも、使い方や用量を間違えれば毒として働くものが多くあります。そう考えてくると、やはり「薬はすなわち毒」というのは、真実の一面を言い当てた物言いには違いありません。

ですが最近筆者は、やはりこの言い方は良くないのではないかと思うようになりました。薬は毒だという言い回しが、医薬やワクチンの忌避につながっているのではないかと思うのです。

実際、コロナ禍が始まった頃から「安全安心のためにPCR検査の拡大を!」という意見は声高に叫ばれてきましたが、治療薬の開発を求める声はそれに比べて低かったように思います。そして「一刻も早くワクチンの開発を」という声は、医療関係者以外からはほとんど聞かれませんでした。

そして、当初の予測より遥かに早くワクチンが登場した後にも、週刊誌などにその危険性を煽る記事が多数掲載されたのは記憶に新しいところです。

もちろん検査の拡充も、必要に応じて行なうべきではあります。ただしPCR検査陰性の判定は、「検査したその瞬間、7割程度の確率で感染していない」ということしか意味しません。また当然ながら、検査では感染も病状悪化も防げません。

治療薬も重要ではあり、今後さらなる新薬の登場が望まれるところではあります。しかし、治療薬にできるのは、死亡率をいくらか低下させ、回復までの日数をいくらか縮める程度です。飲めば一発で治る魔法のような薬など、今後も望めはしないでしょう。

しかし現在接種が進んでいるmRNAワクチンは、95%という高い確率で発症を抑え、重症化もほぼ完全に防いでくれる上、重篤な副作用もごく稀です。となれば、COVID-19を避けるのに必要なのはワクチン、治療薬、そして検査の順序でしょう。

しかし世の中の期待はその逆です。検査拡充を求める声は相変わらず高く、治療薬の早期承認を訴える声も聞かれますが、ワクチンには忌避論が強く残ります。3月末の世論調査では、ワクチンを打ちたくないとする人が37.3%に上りました(リーディングデック社によるコロナワクチンに関する意識調査)。

人々のこうした感じ方の根底には、やはり「薬は毒」という刷り込みがあるのではと感じます。人体に無害な検査には抵抗はないし、病気に苦しんでいる状態なら多少のリスクはあっても薬を飲むが、健康体に対してよくわからない物質を注入するワクチンには、強く忌避感が働くのでしょう。

 

現代の医薬は「毒」を卒業した化合物

もちろん医薬やワクチンを、いたずらに盲信すべきではありません。しかし、「薬は毒」という言い回しが不必要な忌避感を与え、社会全体に対して害になっているなら、それは改められるべきでしょう。

前述のように、薬は毒というのは一面の真実ではあります。しかし現代の医薬は、毒性を切り離すために大きな努力が払われています。水銀は病原体と人体の両方を蝕むものでしたが、現代の抗生物質は細菌に対して選択的に効果を発揮します。抗がん剤も、かつては見境なく健康な細胞をも攻撃するものでしたが、近年はがん細胞だけを狙い撃ちできるようになっています。

もちろんそれでも、医薬は使い方によって人体に害をなすものです。しかし、それを最小限に食い止めるために製薬企業は安全性情報を蓄積し、それを提供する薬剤師というプロフェッショナルが育成・配置されているわけです。

筆者がもし今度「薬というのは毒なのですか」と聞かれたら、「いいえ、薬は毒であることを卒業した化合物です」と答えようと思っています。きれいごとかもしれませんが、やはり医薬は病気に立ち向かってきた、人類の数千年にわたる勇気と努力の結晶であると思うのです。

 


佐藤 健太郎(さとう けんたろう)

1970年生まれ。1995年に東京工業大学大学院(修士)を卒業後、国内製薬企業にて創薬研究に従事。2008年よりサイエンスライターに転身。2009年より12年まで、東京大学理学系研究科化学専攻にて、広報担当特任助教を務める。『世界史を変えた薬』『医薬品クライシス』『炭素文明論』など著書多数。2010年科学ジャーナリスト賞、2011年化学コミュニケーション賞(個人)。ブログ:有機化学美術館・分館

 

ベストセラー『炭素文明論』に続く、文明に革命を起こした新素材の物語。新刊『世界史を変えた新素材』(新潮社)が発売中。

佐藤 健太郎
(さとう けんたろう)

1970年生まれ。1995年に東京工業大学大学院(修士)を卒業後、国内製薬企業にて創薬研究に従事。2008年よりサイエンスライターに転身。2009年より12年まで、東京大学理学系研究科化学専攻にて、広報担当特任助教を務める。『世界史を変えた薬』『医薬品クライシス』『炭素文明論』など著書多数。2010年科学ジャーナリスト賞、2011年化学コミュニケーション賞(個人)。ブログ:有機化学美術館・分館

 

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