薬にまつわるエトセトラ 公開日:2021.08.03更新日:2023.03.03 薬にまつわるエトセトラ

学べば学ぶほど、奥が深い薬の世界。もと製薬企業研究員のサイエンスライター・佐藤健太郎氏が、そんな「薬」についてのあらゆる雑学を綴るコラムです。

第82回

mRNAワクチンの開発はどこまで進む?可能性と限界

新型コロナウイルス感染症克服の希望の光として登場したmRNAワクチン。コロナのみならず、さまざまな疾患のワクチン開発に活かせるのではないかと各国で臨床試験が進められています。mRNAワクチンのこれまでの研究成果と展望について解説します。

 

ゲームチェンジャー

COVID-19の世界的流行開始から1年半ほどを経て、ようやく流れは大きく変わり始めました。その立役者が、ファイザー/ビオンテック及びモデルナ社の供給するmRNAワクチンであることは、言うまでもないでしょう。

米国では、2021年5月にCOVID-19で入院した人の99.8%以上、亡くなった人の99.2%が、ワクチン2回接種の未完了者でした(RollingStone、2021年6月28日より)。2回接種さえすれば、ほぼ入院も死亡も防げるわけで、驚異的な効果というべきでしょう。

これらmRNAワクチンは、アストラゼネカ社のウイルスベクターワクチン、中国製の不活化ワクチンなどに比べても、高い効果を示すと見られています。

 

ファイザーとモデルナの新型コロナワクチンの特徴と懸念

となれば、他の疾患に対してもmRNAワクチンは有効かもしれないと期待したくなります。実は、mRNAワクチンは1990年代には研究が始まっており、すでに様々な応用が図られています。

 

インフルエンザワクチン

たとえばモデルナ社では、インフルエンザ用のmRNAワクチンの臨床試験を開始しています。インフルエンザには多くの型がありますが、そのうち4種の型をまとめて予防するというものです(GIZMODO、2021年7月14日より)。

既存のインフルエンザワクチンの効果が低い理由の一つに、その年に流行する型を予測する難しさがありました。現在使われているインフルエンザのワクチンは不活化ワクチンと呼ばれるタイプであり、これは製造に半年以上を必要とします。

このため、冬にインフルエンザの流行が開始するはるか以前に、その年に流行る型を予測して製造しなければなりません。この予測が外れると、その年のワクチンは効果の低いものになってしまいます。

しかしmRNAワクチンでは、ウイルスの遺伝子情報さえわかっていれば数週間程度で製造が可能です。しかも複数の型をまとめて予防可能ということになれば、従来のワクチンよりもずっと高い予防効果が期待できます。

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エイズ制圧は成るか

もう一つ大きな期待が寄せられているのが、エイズを予防できるワクチンです。この病気は、医薬の普及が進まない国を中心として世界に3800万人以上の陽性者がおり、今も世界三大感染症の一角を占めています。

しかしエイズのワクチン開発は、思うように進んできませんでした。多くのアプローチが試されてきましたが、ウイルスの変異の速さなどもあり、臨床試験はことごとく失敗に終わっています。

エイズに対するmRNAワクチンも数社が開発に挑戦していますが、多くが失敗しています。しかしモデルナ社は2種のエイズワクチンの臨床試験を、2021年中に開始すると発表しました(モデルナ社 プレスリリースより)。極めて難しい挑戦ではありますが、新型コロナワクチンでモデルナ社が獲得した資金と名声は、新たなワクチンの開発を強く後押しすることでしょう。

 

がんワクチン

実は、mRNAワクチン研究の中でも進んでいる分野の一つが、がんの治療です。がん細胞の表面に存在するタンパク質をコードしたmRNAを患者に投与し、「この標的を攻撃せよ」と免疫系を刺激するのです。これにより、自分の免疫系にがん細胞を退治してもらうという方法です(ナショナルジオグラフィック、2021年7月12日より)。

一口にがん細胞といっても、患者によって変異している遺伝子は異なります。このがんワクチンでは、患者の遺伝子情報を元にオーダーメイドでmRNAを作成し、投与するような手法も研究されています。

mRNAワクチンを用いる方法の特色は、変異さえ特定できれば、様々な部位のがんに適用可能であることです。近年、抗体医薬によるがん治療が大いに進んでいますが、その多くは特定の部位の、特定の遺伝子変異を起こしたがんのみを対象にするものです。この点は、既存の治療法に対するmRNAワクチンの大きなメリットです。

すでに、ビオンテック社・モデルナ社などいくつかの企業が、がんmRNAワクチンの臨床試験を行なっており、一部は第二相に進んでいます。mRNAががん医療の現場で活躍する日は、そう遠くないかも知れません。

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マラリアワクチンは可能か?

またこの7月27日には、ビオンテック社がマラリアに対するmRNAワクチンを開発すると発表しました。すでに世界保健機関(WHO)やアフリカ疾病管理予防センター(アフリカCDC)がこれを支援すること、アフリカに生産拠点を置く構想まであるようです(日本経済新聞、2021年7月27日より)。

ただしマラリア原虫は、ヒトの免疫防御をかいくぐる仕組みを発達させており、いかにmRNAワクチンといえども難しい敵かもしれません。とはいえマラリアは年間40万人以上の生命を奪う恐ろしい感染症であり、成功すればそのインパクトは計り知れませんから、期待したいところです。

 

mRNAワクチンの限界

このように、mRNAワクチンは今後さらに適用範囲を広げそうです。しかし、残念ながらやはり限界はあり、全てがこれ一つで解決とは行かなそうです。

mRNAワクチンは、その情報を元に抗原タンパク質を作らせるという原理ですので、それ以外が抗原となる細菌感染症などは、おそらく対象になりえません。たとえば肺炎球菌やヘモフィルスインフルエンザ菌b型(Hib)などは、菌の表面にある多糖体が抗原となりますので、mRNAワクチンの守備範囲外ということになるでしょう。

また、毎年多くの感染者を出すノロウイルスも、ワクチンが強く望まれています。しかしこのウイルスは極めて多くの型が存在する上、変異も非常に速いことが知られています。これは、mRNAワクチンをもってしても難しい敵といえそうです。

とはいえ、mRNAワクチンが極めて有望な手法であることは間違いありません。細胞内にmRNAを持ち込めるようになったブレイクスルーの意義は大きく、今後も新たな応用が続々と生まれてくることと思われます。

 

日本の国産ワクチン開発はなぜ出遅れてしまったのか

※本稿は2021年8月2日時点の情報をもとにしています。


佐藤 健太郎(さとう けんたろう)

1970年生まれ。1995年に東京工業大学大学院(修士)を卒業後、国内製薬企業にて創薬研究に従事。2008年よりサイエンスライターに転身。2009年より12年まで、東京大学理学系研究科化学専攻にて、広報担当特任助教を務める。『世界史を変えた薬』『医薬品クライシス』『炭素文明論』など著書多数。2010年科学ジャーナリスト賞、2011年化学コミュニケーション賞(個人)。ブログ:有機化学美術館・分館

 

ベストセラー『炭素文明論』に続く、文明に革命を起こした新素材の物語。新刊『世界史を変えた新素材』(新潮社)が発売中。

佐藤 健太郎
(さとう けんたろう)

1970年生まれ。1995年に東京工業大学大学院(修士)を卒業後、国内製薬企業にて創薬研究に従事。2008年よりサイエンスライターに転身。2009年より12年まで、東京大学理学系研究科化学専攻にて、広報担当特任助教を務める。『世界史を変えた薬』『医薬品クライシス』『炭素文明論』など著書多数。2010年科学ジャーナリスト賞、2011年化学コミュニケーション賞(個人)。ブログ:有機化学美術館・分館

 

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