知れば知るほど奥が深い漢方の世界。患者さんへのアドバイスに、将来の転職に、漢方の知識やスキルは役立つはず。薬剤師として今後生き残っていくためにも、漢方の学びは強みに。中医学の基本から身近な漢方の話まで、薬剤師・国際中医師の中垣亜希子先生が解説。
第74回 中医学の永遠のテーマ「腎精」のおはなし
「腎精(じんせい)」とは「腎の中に貯蔵されている精」のこと。腎精は、人間の生命現象・生命の全てを支える最も根源的なちからと言えます。
「いかに腎精(じんせい)を守るか」は中医の養生の核心であり、中医学の永遠のテーマといっても過言ではありません。今回は、これまでのコラムで度々登場してきた「腎精(じんせい)」についてお話しします。
- 1.元気の源、腎精のはたらき
- 2.養生の真髄は「いかに腎精を充実させるか」
- 3.女性は7の倍数、男性は8の倍数で歳をとる
- 4.腎精が不足するとどうなる?
- 5.腎精は日々の生活で養うことができるもの
- 6.腎精を守る養生法
- 7.養生とは(情報に流されないために)
1.元気の源、腎精のはたらき
日常生活であいさつとして交わされる「お元気ですか?」の「元気」は、中医学では専門用語として使われます。「元気」とは、全身を満たす気のこと。生命の原動力であり、最も基本的なエネルギーなどと説明されます。そして、元気は腎精からつくられます。
► 【関連記事】人体をつくる気・血・津液とは (3)気の種類
【腎精の働き】として、おおまかに以下の6つがあげられます。
1.生殖能力の発達・強さを支える
2.生命(肉体や知能の発育)を支える
人間の一生をあらわす「生・長・壮・老(生まれる、成長する、盛りを迎える、老いる)」のプロセスを支える
3.「髄」を生み、「骨」や「脳」の元となる
4.血の生成と関係する
飲食物の消化・吸収でつくられる血とは別に、腎精から血がつくられるルートがある
▶【関連記事】人体をつくる気・血・津液とは (4)血(けつ)の生成
5.外邪から体を守り、病気を予防する
6.腎陰と腎陽を生む。腎陰と腎陽は体全体の陰陽の根本である
2.養生の真髄は「いかに腎精を充実させるか」
「腎」は「精」を蔵し、生長・発育・老化・生殖などをつかさどります(受け持ちます)。腎精が不足すると、子どもでは発育不良(肉体的発育や知能発達の遅れ)につながり、大人では老化が早まります。腎精の問題は「不足」のみで、「過剰」になることはありません。
成長しきった大人にとって「補腎=腎の働きを補う」とは、腎虚によるさまざまなトラブルを改善するほか、「抗老防衰=アンチエイジング」も意味します。また、発育不良の子供にとっては、発育を助けることにつながります。
健康的な人の加齢による腎精(腎中の精)の変化を、以下にイメージ曲線で示しました。子どものころは低めで成長するにつれて上昇し、女性は28歳をピークになだらかに下り坂になり、35歳を過ぎると確実に低下し、49歳あたりで「生殖に必要な腎精ライン」以下となり、その後も下降を続ける傾向にあります。
この曲線が示すように、腎精が弱いのは幼い時と歳をとった時です。これは、どんなに健康な人の身にも起こるあらがえない生命のプロセスであり、病気ではありません。増加する際にいかに腎精を高い位置まで充実させるか、高い時期をいかに長く維持するかが重要です。
■健康な人の加齢と人生の量の関係
『黄帝内経』を参考に作成
3.女性は7の倍数、男性は8の倍数で歳をとる
幼すぎるがゆえに腎精が未熟だったり、大人の加齢により腎精が減ったり弱ったりするのは当然だとしても、年齢相応よりも弱り過ぎている場合は治療の範疇に入ります。「年相応の腎精を備えている」とはどのような状態だと思いますか?
中国最古の医学書『黄帝内経素問』の上古天真論には、「女性は7の倍数、男性は8の倍数の年齢を節目に身体が変化する」といった記述があります。その内容を簡単に表にしてみました。
<女性と男性の年齢ごとの身体の変化>
・任脈(にんみゃく)、太衝脈(たいしょうみゃく):性の成熟に必要な経絡。月経・妊娠に関わる。
■女性の年齢ごとの身体の変化
7歳 | 腎の精気がみなぎり始める ・乳歯から永久歯に生えかわる ・髪が伸びる |
---|---|
14歳 | 腎精から天癸(※)が生まれ、が通じ、太衝の脈が旺盛になる ・月経がはじまる=生殖能力が備わる=子供を産むことができる |
21歳 | 腎気がさらに充実する ・親知らずが生えて、身長が伸びきる |
28歳 | ・筋骨が丈夫になり、髪の毛も豊かになる ・生命として最盛期 |
35歳 | 陽明の脈(顔面に気血を送る経脈、十二経脈のうちの二本)が衰え始める ・顔面部がやつれ始める ・髪が抜け始める |
42歳 | 三陽の脈(顔に気血を送る経絡)がすべて衰える ・顔面部はやつれ、顔の輝きがなくなる ・白髪が生える |
49歳 | 任脈は空虚となり、太衝脈は衰える。腎の精気が衰え、天癸(※)が尽きる ・身体が全体的に老いる ・閉経する(=生殖能力を失う) |
■男性の年齢ごとの身体の変化
8歳 | 腎の精気がみなぎり始める ・乳歯から永久歯に生えかわる ・髪が伸びる |
---|---|
16歳 | 腎精から天癸(※)が生まれる ・射精できるようになる=生殖能力が備わる |
24歳 | 腎気がさらに充実する ・筋骨が丈夫になり、親知らずが生えて、身長が伸びきる |
32歳 | ・筋骨がますます逞しくなる ・生命として最盛期 |
40歳 | 腎精が衰え始める ・髪が抜け始める ・歯は痩せてツヤがなくなる |
48歳 | 体の上部で陽気が衰える ・顔面がやつれて顔の輝きがなくなる ・白髪が生える |
56歳 | 肝の気も衰え始め、筋脈の活動が自由でなくなる。腎の精気が衰え、天癸(※)が尽きる ・腎臓の気が衰え、肉体疲労が極まる(身体が衰える) |
64歳 | ・歯が抜け、頭髪が落ちる |
表の参考文献:
・小金井信宏『中医学ってなんだろう(1)人間のしくみ』東洋学術出版社 2009年 『生命と死』
・南京中医学院(編)、石田秀実(監訳)『現代語訳 黄帝内経素問 上巻』 2014年 東洋学術出版社 “上古天真論 第一”
・南京中医学院(編)、石田秀実(監訳)、白杉悦雄(監訳)『現代語訳 黄帝内経霊枢 下巻』 2012年 東洋学術出版社 “天年篇 第五十四”
4.腎精が不足するとどうなる?
腎精が不足すると、男女ともに生殖能力(卵巣機能、子宮機能、性欲、精子の形成、勃起など)が弱くなります(※1)。高齢での妊活のほか、若いのに腎精が少ない人もいて、高度生殖医療を受けながら漢方専門薬局へ不妊症の相談へ訪れるカップルが増えています。
女性であれば、経血量の減少・月経周期の乱れ・卵胞の発育不良・卵胞の質の低下・子宮内膜の薄さ・卵巣や子宮機能の弱り・早期閉経・AMHが低い・若いのに閉経並みのホルモン値・その他不妊症や不育症に関わる検査値の異常・不妊症・不育症などの婦人科系のトラブルにもつながります。
そのほか腎精の不足は、足腰のだるさや弱り、難聴、耳鳴り、骨や歯のトラブル、骨髄系の疾患、物忘れや認知症(脳)などの症状としてあらわれます。子供であれば、肉体の発育や知能の発達に遅れや異常があらわれます(五遅・五軟)。
腎精の不足は加齢によって起こるほか、先天性の虚弱、不摂生、慢性的な病気、虚弱体質、不必要なダイエット、栄養バランスの悪い食事、体質に合わない飲食、夜更かし、睡眠不足、過労(労力・労神・房労※2)、女性の妊娠・出産・授乳、大病、色々な出血、眼の使い過ぎなどによっても、引き起こされます。直接的な原因と、巡り巡っての間接的な原因が考えられます。
※2 労力…過度な肉体労働
労神…過度な思慮や心配、頭脳労働
房労…過度な性生活
肝と腎はお互いを支えあいながら、生命の根幹を支えています。肝血が少なくなると腎精が転化して肝血がつくりだされ、同様に、腎精を消耗すると肝血の在庫があれば肝血から補充されます。ですから、日々の養生では補腎とともに補血も大切です。
このように、肝血・腎精が互いに転化し助け合う関係を「肝腎同源(かんじんどうげん)」とか「精血同源(せいけつどうげん)」といいます。以下の記事でおさらいできます。
▶【関連記事】人体をつくる気・血・津液とは(4)血(けつ)の生成
▶【関連記事】人体をつくる気・血・津液とは(5)血(けつ)の働き
▶【「腎」について詳しく知りたい方は】冬に養生が必要な「腎」
▶【「肝」について詳しく知りたい方は】中医学では更年期をどう捉える?
5.腎精は日々の生活で養うことができるもの
腎中の精気(腎精)は、両親から授かり腎の中に貯蔵された「先天の精(せんてんのせい)」が元となり、それを「後天の精(こうてんのせい)」が培ったものです。
「後天の精」とは、主に飲食物を脾胃が消化・吸収することによって得られるもの(水穀の精)です。腎中の「先天の精」は、「後天の精」を常に受けて補充されます。
生まれ持った「先天の精気」が薄弱だとしても、「後天の精気」は養うことができますから、この世に生まれてからの養生がとても大切。逆に言えば、「先天の精気」が充実していても不摂生をすれば腎精を損ない、心身が弱まったり病気になったりします。
古典医学書『景学全書』には、「最初は先天が不足していても、後天が養えば先天不足を補える。だから半分以上は後天である。このように脾胃の気は、人の生と相当な関係がある」という内容が書かれています。
それだけ「後天の精気」を養えるかどうかが重要だということです。
6.腎精を守る養生法
「後天の精」は特に飲食物を消化・吸収することでつくられますから、脾胃(消化器系)を大事にすることはとても重要です。
脾胃(消化器系)に負担をかけると脾胃が弱って「後天の精」がうまくつくられないので、夜遅くの飲食や、肥甘厚味(脂っこいもの、甘いもの、味の濃いもの)・生冷飲食(なまもの、冷たいもの)・刺激物(唐辛子などの刺激のつよい香辛料・コーヒー・アルコールなど)の多食、暴飲暴食は避けましょう。
腎精を守る養生はお金と一緒で、消耗しすぎない&貯蓄すること。夜更かししない、寝不足をしない、ムリしない、疲れすぎないなど無駄遣いを減らすという基本的なことの積み重ねです。「やってはいけないことを徹底的にやめること」はあらゆる養生の基本です。「4.腎精が不足するとどうなる?」で述べた腎精の不足を引き起こす原因を極力減らしましょう。
「後天の精」の二大原料は、「水穀の精(飲食物)」と「清気(吸い込んだ空気)」。特に前者を重要視して語られることが多いですが、森林浴や気功などで良い空気を鼻から深く吸うことも大切です。
そのほか、舌を口の中でグルグル動かして唾液を出しては飲み込む養生法(唾液は腎精から生まれるため、唾液を捨てることは腎精を捨てることと同義)など、中医学には腎精を保つための養生法がたくさんあります。具体的に悩んでいる症状や疾患があるときは、養生法+体質に合った漢方薬を用いるとよいでしょう。
不老長寿と謳われる薬や薬膳には、たいてい腎を補うニュアンスがあります。前回、紹介した黒ゴマは精血不足による、白髪・めまい・眼のかすみなどに用いられる生薬でしたね。「精血不足」とは、腎の中に貯蔵されている精(=腎精)と、肝に貯蔵されている血(肝血≒血液)が不足しているという意味です。
黒ゴマのほか、腎精を補う作用がある薬食は、山芋(山薬)、枸杞の実、黄精(おうせい)、熟地黄(じゅくじおう)、何首烏(かしゅう)、菟絲子(としし)、紫河車(しかしゃ:プラセンタ)、阿膠(あきょう)、蛤蚧(ごうかい)、亀板(きばん)、亀板膠(きばんきょう)、鹿茸(ろくじょう)、鹿角膠(ろっかくきょう)などがあります。
7.養生とは(情報に流されないために)
「養生(ようじょう)」とは、読んで字のごとく、「生き方を養うこと」。ここでいう「生き方」とは、睡眠のとり方、呼吸の仕方、衣服の選び方、住居の整え方、食事の内容や摂り方、心の在り方、考え方、歩き方、座り方など、「生きることすべて」につながるものです。
巷には、あれをしよう、これを食べよう、といった健康情報がたくさん出回っています。特に悩んでいる症状がこれといってない時は、そうした情報を試してみても構いません。けれども、体質や症状で悩んでいる時は、「やった方がいいと言われていることをアレコレする」よりも、「自分の体質にとって、決してやってはいけないことを、徹底的に止める」ほうが効果が出やすいです。
さらに言えば、世の中で評判になった「健康にいいこと」が、自分の体質に合わない可能性もあります。人の体質は十人十色だからです。万人に当てはまる健康法があったら、誰も病気に苦しんではいないでしょう。
情報に流されず、自分を知り、自分にとって必要なものを見極める目(ものさし)を手に入れてください。「中医学(気功・薬膳・漢方薬・鍼灸・推拿…等)」はそのものさしの一つとして、自分や家族を守る一生モノの知恵になってくれると思います。
参考文献:
・小金井信宏『中医学ってなんだろう(1)人間のしくみ』東洋学術出版社 2009年
・南京中医学院(編)、石田秀実(監訳)『現代語訳 黄帝内経素問 上巻』2014年 東洋学術出版社
・南京中医学院(編)、石田秀実(監訳)、白杉悦雄(監訳)『現代語訳 黄帝内経霊枢 下巻』2012年 東洋学術出版社
・田久和義隆(翻訳)、羅元愷(主編)、曽敬光(副主編)、夏桂成・徐志華・毛美蓉(編委)、張玉珍(協編)『中医薬大学全国共通教材 全訳中医婦人科学』 たにぐち書店 2014年
・王財源(著)『わかりやすい臨床中医臓腑学 第3版』医歯薬出版株式会社 2016年
・戴毅(監修)、淺野周(翻訳)、印会河(主編)、張伯訥(副主編)『全訳 中医基礎理論』たにぐち書店 2000年
・凌一揆(主編)『中薬学』上海科学技術出版社 2008年
・中山医学院(編)、神戸中医学研究会(訳・編)『漢薬の臨床応用』医歯薬出版株式会社 1994年
・神戸中医学研究会(編著)『中医臨床のための中薬学』医歯薬出版株式会社 2004年
・日本中医食養学会(編著)、日本中医学院(監修)『薬膳食典 食物性味表』燎原書店 2019年
・許 済群 (編集)、 王 錦之 (編集)『方剤学』上海科学技術出版社2014年
・神戸中医学研究会(編著)『中医臨床のための方剤学』医歯薬出版株式会社 2004年
・伊藤良、山本巖(監修)、神戸中医学研究会(編著)『中医処方解説』医歯薬出版株式会社 1996年
・李時珍(著)、陳貴廷等(点校)『本草綱目 金陵版点校本』中医古籍出版社 1994年
・鄧明魯、夏洪生、段奇玉(主編)『中華食療精品』吉林科学技術出版社 1995年
・翁維健(主編)『中医飲食営養学』上海科学技術出版社 2007年
・梁 晨千鶴 (著)『東方栄養新書―体質別の食生活実践マニュアル』メディカルコーン2008年