学べば学ぶほど、奥が深い薬の世界。もと製薬企業研究員のサイエンスライター・佐藤健太郎氏が、そんな「薬」についてのあらゆる雑学を綴るコラムです。薬のトリビアなどを伝えられると、患者さんとの距離も近くなるかもしれませんね。
最近の製薬業界での話題といえば、何といっても武田薬品によるシャイアー社の買収でしょう。買収額は約6兆8千億円とされ、これはソフトバンクによる米アーム・ホールディングス社の買収(約3兆3千億円)をはるかに上回る、日本史上最高額になります。
買収がこのまま成立すれば、両社の売り上げは単純に合算して3兆円を超え、世界のトップ10入りを果たします。武田の海外売り上げは8割に達し、名実ともにグローバル企業へ羽ばたくことになります。
これだけ聞けば恐ろしく景気のいい話ですが、新聞や経済誌などではこの買収の先行きを危ぶむ声が多いようです。シャイアー社は、血友病などの希少疾患に強みを持つ会社で、その収益力は高く評価されています。ただし主要な医薬の特許が数年内に切れ始めること、株式時価総額で上回るシャイアーを武田が買収する「小が大を飲む」形であること、買収後の有利子負債が約6兆円にも膨らむことなどから、先行きを危ぶむ声が強いのです。いくつかの格付け機関は、武田薬品株を格下げする方向で動き始めているようです。
武田はこれまでにも、2008年に米国のミレニアム・ファーマシューティカルズ社を約88億ドル(約8900億円)で、2011年にスイスのナイコメッド社を96億ユーロ(約1兆1千億円)、2017年に米国のアリアド・ファーマシューティカルズ社を約54億ドル(約6200億円)で買収していますが、これらは必ずしも成功とはみなされていません(レートはいずれも当時)。この中ではミレニアム社のベルケイド(多発性骨髄腫治療薬)が収益の柱になっている程度で、他は高い買収額のわりに利益への寄与が低いとみなされているのです。
武田は、総売り上げの約3分の2を稼ぎ出してきた4製品、リュープリン(1カ月製剤)・タケプロン・ブロプレス・アクトスの特許が2010年前後に相次いで切れ、その穴を埋める新薬を自前で創出できていません。今までの低分子医薬から、抗体医薬を始めとしたバイオ医薬への流れにも乗り遅れています。このため、「時間を買う」目的で買収を続けたものの、十分な成果には結びついていません。この焦りが、武田を今回の超大型買収に踏み切らせた要因という推測は、少なくとも真実の一部を言い当てているだろうと思えます。
そうまでしてシャイアーの買収を決断した要因は何だったのでしょうか。米国での販路拡大、希少疾患市場の開拓などももちろんですが、遺伝子治療の技術を取り込むためということもありそうです。
本連載第37回でも取り上げた急性リンパ性白血病治療薬「キムリア」のように、遺伝子操作によって疾患の治療を行なう「遺伝子治療」が、医薬として認められるようになっています。安全かつ高精度な遺伝子編集技術も進展しており、これから大きく拡大する分野と見られます。シャイアーはこの分野でも先行しており、武田はそこに目をつけたというわけです。単に有望な製品を取り入れるというだけでなく、こうした新技術をも取り込んで次々と新薬を創出できるようになれば、買収も成功とみなされるでしょう。
また、これをきっかけに他の国内製薬企業にも再編が起きるのでは、あるいは再編をすべきだとの言説もよく見かけます。アステラスや第一三共などの大手は、武田の動きを見て何らかのアクションを起こす可能性はありそうです。
ただし、会社の規模さえ大きくすれば何でもよいというものでもないでしょう。新薬の創出数と研究費は、必ずしも比例しません。小野薬品や塩野義製薬は、売り上げでいえば武田+シャイアーの10分の1程度の規模ですが、それぞれオプジーボやゾフルーザなどの優れた新薬を送り出し、好調を維持しています。
合併や買収は企業としての体力はもちろん、働く社員もリストラや転勤、環境の変化を強いられて消耗します。また巨大企業は、画期的な新製品の研究に対して、既存製品や部署とバッティングしてしまうために後ろ向きになり、保守的になってしまう傾向がありますから、いたずらな規模拡大のみが、生き残りへの打開策ではないと思えます。
いずれにしろ、この買収をきっかけとして、国内製薬企業は
- 1. 海外に打って出るグローバルメガファーマ
- 2. 特定の分野に集中したスペシャリティファーマ
- 3. 長期収載品やジェネリック医薬、OTC薬を扱う企業
――という色分けが、さらに鮮明になってゆくと思われます。当然その流れは、医薬を扱う現場全体に大きな影響を与えることでしょう。武田の超大型買収が何をもたらすか、今後に注目です。