学べば学ぶほど、奥が深い薬の世界。もと製薬企業研究員のサイエンスライター・佐藤健太郎氏が、そんな「薬」についてのあらゆる雑学を綴るコラムです。
製剤も3Dプリンタの時代
科学技術の進歩により医療の常識が一変する日が訪れるかもしれません。これまでも注目されてきた“3Dプリンタ”の技術によって、医療や医薬はどのような進化を遂げ、私たちの生活にどのような影響を与えるのでしょうか。
3Dプリンタで臓器も作れるようになる?
3Dプリンタという言葉が一般に知られるようになってから、10年ほどが経過しました。AIやビッグデータなどの新しい流れに押されてか、一時期ほどその名を聞かなくなりましたが、ブームの時期を過ぎて定着・普及のフェーズに入ったためともいえるでしょう。
3Dプリンタは、要するにコンピュータ内の3Dデータどおりに立体を成形する機器であり、さまざまな方式が考案されています。液体状の樹脂に紫外線を当てて硬化させる方式もありますし、粉末状の素材を層状に積み上げ、バインダー(接着剤)で固めていく方法、液状の材料をインクジェットで噴射し、固めながら成形する方法などもあります。それぞれに一長一短があり、コストや精度、用いたい材料などに応じて適切な方法を選ぶことになります。
医療分野でも、3Dプリンタの利用は広がりを見せています。たとえば、患部の組織をスキャンして得られた3次元データを3Dプリンタで成形し、これをモデルとして手術の事前シミュレーションを行なう方法が広がっています。コンピュータの画面上であれこれ考えるよりも、手に取れる3次元モデルの方がイメージを持ちやすいのは当然で、手術の成功率アップにつながっているといいます。
もっと直接に医療に役立てる方法として、3Dプリンタで臓器を作り、移植するような手法も研究されています。細胞を培養してできた団子状の塊を、3Dプリンタの技術で串刺しにして積み上げてゆき、培養して一体化させることで、血管などを作り上げるというものです。ベンチャー企業も立ち上がって実用化に近づいており、将来はさらに複雑な臓器なども作れるようになるかもしれません。
世界初の3Dプリンタ製・医薬が誕生
そして医薬の世界にも、3Dプリンタはすでに入り込んでいます。米国のアプレシア・ファーマシューティカルズ社は、ZipDoseと名付けられた3Dプリンティングによる錠剤成形技術を開発しています。この技術で作られた抗てんかん薬スプリタムは、2015年に米国FDAから新薬として承認を受けました。3Dプリンタによって作られた医薬が承認されたのは、これが世界で初めてのことでした。粉末状の有効成分と、バインダーの層を繰り返し積み重ねて成形していく方法で作られています。
ZipDose技術の特長は、水中に入れると数秒で崩壊する優れた速崩性、そして最大で1000mgまでを1錠に製剤できるという点です。これまで口腔内崩壊錠としては製剤できなかった量を1錠に詰め込める点で、薬を飲み下す力が弱った患者などには、大いにメリットのある手法でしょう。また、苦い薬などはマスキング剤と一緒に成形することにより、味をカバーすることも可能です。
今年3月には、国内の医薬製造受託会社がアプレシア社と提携し、技術の導入を行なうことを発表しています。また、製薬企業にとっては、この技術の導入で既存の医薬の効能を高められる可能性があり、そうなれば特許保護期間延長にもつながり得ます。というわけで今後、他の薬にもこの技術が適用されていくことになると思われます。
薬もカスタマイズの時代に
3Dプリンタ製剤のもうひとつの利点は、カスタマイズが行いやすい点です。同じ病気の患者でも、病状・体重・代謝能力・副作用の出やすさなどは人によって千差万別です。しかし現在の医薬は、工場で生産された同サイズの医薬を一律に投与するだけで、せいぜい「子供は1錠、大人は2錠」などの粗い場合分けがされているに過ぎません。
たとえば薬局に3Dプリンタが配置され、その場で最適な錠剤を製造できるようになれば、これを細かくカスタマイズできるようになるわけです。患者の体格や合併症、既往症などに合わせて適切にいくつかの薬を配合し、最も吸収性のよい状態に成形された錠剤をその場で作って渡す――というような未来図も想像できます。
もちろんコストや在庫スペースなどいろいろな問題もありますので、すぐにこうなっていくというものではないだろうと思います。しかし、創薬研究に携わっていた立場からすれば、こうして毒性や副作用がかなり細かくコントロールできるようになるなら、もう少し「踏み込んだ」医薬創りも可能になるのではという気がします。医薬の未来を変えうる技術のひとつとして、3Dプリンタは改めて注目を集めてよい存在ではないでしょうか。
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