薬にまつわるエトセトラ 更新日:2023.03.03公開日:2023.02.07 薬にまつわるエトセトラ
薬剤師のエナジーチャージ薬読サイエンスライター佐藤健太郎の薬にまつわるエトセトラ

学べば学ぶほど、奥が深い薬の世界。もと製薬企業研究員のサイエンスライター・佐藤健太郎氏が、そんな「薬」についてのあらゆる雑学を綴るコラムです。

第100回

アトピーの新薬候補になるか?佐賀大・富山大がアトピーのかゆみの原因を解明

アトピー性皮膚炎は、日常の中でもよく耳にする疾患の一つと思います。家族や知り合いに、誰しも一人や二人はアトピーの人がいるのではないでしょうか。筆者自身も軽度ではありますが、アトピー持ちの一人です。

厚労省の調べによれば、アトピーの患者は2008年に約35万人であったものが、2017年には約51万人へと急増しているそうです。増加の理由は判明していませんが、実際には潜在的な患者がもっと多くいるのではという気もします。

アトピーの主な症状は皮膚の湿疹とかゆみですが、重度になるとストレスや睡眠不足などを招き、大きく生活の質を落とす疾患でもあります。このため、アトピーの治療薬は社会的要請の最も高い医薬の一つといっていいでしょう。

 

アトピーのかゆみの原因を佐賀大・富山大の研究グループが解明

現在、広くアトピー治療に使われているのはステロイド剤ですが、効果が高いものは副作用も強く、決して扱いやすい薬ではないことはご存知の通りです。免疫抑制剤やヤヌスキナーゼ(JAK)阻害剤、PDE4阻害剤など新しいタイプの医薬も登場していますが、合う人と合わない人があり、いずれも万能ではありません。

こうした中、佐賀大と富山大のグループがアトピーのかゆみの原因を解明したというニュースが流れました。アトピーに苦しむ人は多いだけに、この件はSNSでも大きな話題になったようです。

出原賢治教授らは長年アトピーの病態について研究しており、ペリオスチンというタンパク質が大きな役割を演じていることを発表していました。ペリオスチンは細胞外マトリックスタンパク質の一種で、骨や歯の形成に関与することが知られています。

しかしアトピー性皮膚炎になると、このペリオスチンが過剰に産生されます。これが細胞表面にあるインテグリンというタンパク質に結合して、炎症を引き起こす物質を作らせるという流れで、アトピーを悪化させるのです。

そして今回、出原教授らはこのペリオスチンの受容体に結合し、その結合を妨げる化合物を報告しました。明治製菓の研究グループが作り出したCP4715という化合物で、もともとは抗血栓剤として開発されたもののようです。

富山大学のプレスリリースによれば、アトピー性皮膚炎を発症させたマウスの腹腔内にこのCP4715を注射すると、湿疹の症状が改善し、ひっかき行動もおさまったということです。

出原教授は、この化合物は現在特許申請中であり、今後医薬として承認を目指したいとしています。安全性などについてはある程度確認済みであることから、開発期間の短縮が見込めるとも述べられています。

 

アトピー新薬への期待

ただし、このCP4715がすぐ薬になるかといわれれば、そう簡単でもないだろうと思われます。ヒトでもマウスと同じような効果が出るとは限りませんし、長期にわたる投与になると、慎重な安全性試験も必要です。

また前述のように、この化合物はもともと抗血栓剤として作り出されたものです。こうした別の作用は、アトピー治療薬としては副作用として現れる可能性があります。

というわけで、このCP4715の構造を変換して、よりよい化合物を創り出す研究が必要になるかもしれません。おそらく、他の製薬企業もこうした研究に乗り出してくると思われます。

ですので、もしこの化合物が理想的なコースを歩んでも市場に出るのは数年先であり、化合物の改善などの過程を経ることになれば、十数年先になってしまうことも十分ありえます

当然、この方向性は医薬として適さないことが判明し、撤退を余儀なくされる可能性も十分ある――というより、この可能性の方が高いかもしれません。このあたりは創薬という事業の常です。

 

研究から新薬誕生までの道のり

新聞などを見ていると、「○○がんの原因を解明」「✕✕の治療薬開発に期待」といった記事を毎日のように見かけますが、本当に医薬に結びつくケースは実際のところごくまれです。期待ばかり持たせて、研究者はいったい何をやっているんだ――と言われそうです。

とはいえ、科学の営みというものはこうして知見を一つずつ積み重ね、一歩一歩登っていくことしかできません。大きなブレイクスルーは、その積み重ねの上のみに現れます

医薬品業界では、一つ一つの新薬開発に十数年もの時間がかかり、その歩みは遅々として進まないように見えます。しかし長い目で見てみれば、いつの間にか大きく進歩しているというのがこの世界です。

今回の知見が直接に医薬に結びつかなかったとしても、それは決して無駄ではありません。後に続く者のための、重要な道標となることでしょう。こうした研究者たちの地道な闘いを、暖かく見守っていただければと思う次第です。

 
<参考URL>
・平成29年患者調査(傷病分類編)|厚生労働省
・塩野義のコロナ経口薬ゾコーバ、第2/3相試験の第3相部分で主要評価項目を達成|日経バイオテク[2022年9月28日]


佐藤 健太郎(さとう けんたろう)

1970年生まれ。1995年に東京工業大学大学院(修士)を卒業後、国内製薬企業にて創薬研究に従事。2008年よりサイエンスライターに転身。2009年より12年まで、東京大学理学系研究科化学専攻にて、広報担当特任助教を務める。『世界史を変えた薬』『医薬品クライシス』『炭素文明論』など著書多数。2010年科学ジャーナリスト賞、2011年化学コミュニケーション賞(個人)。ブログ:有機化学美術館・分館

 

ベストセラー『炭素文明論』に続く、文明に革命を起こした新素材の物語。新刊『世界史を変えた新素材』(新潮社)が発売中。

佐藤 健太郎
(さとう けんたろう)

1970年生まれ。1995年に東京工業大学大学院(修士)を卒業後、国内製薬企業にて創薬研究に従事。2008年よりサイエンスライターに転身。2009年より12年まで、東京大学理学系研究科化学専攻にて、広報担当特任助教を務める。『世界史を変えた薬』『医薬品クライシス』『炭素文明論』など著書多数。2010年科学ジャーナリスト賞、2011年化学コミュニケーション賞(個人)。ブログ:有機化学美術館・分館

 

ベストセラー『炭素文明論』に続く、文明に革命を起こした新素材の物語。新刊『世界史を変えた新素材』(新潮社)が発売中。