薬にまつわるエトセトラ 公開日:2023.10.16 薬にまつわるエトセトラ

薬剤師のエナジーチャージ薬読サイエンスライター佐藤健太郎の薬にまつわるエトセトラ

学べば学ぶほど、奥が深い薬の世界。もと製薬企業研究員のサイエンスライター・佐藤健太郎氏が、そんな「薬」についてのあらゆる雑学を綴るコラムです。

第108回

歯が生える薬は実現するか?

筆者は歯が弱く、昔から何度も歯医者通いを繰り返してきました。抜いて義歯にしてしまった歯も何本かあり、無傷で残っているのは下の前歯と犬歯くらいという、情けない体たらくです。子供の頃から、毎日しっかり磨いているつもりではいるのですが、おそらく磨き方と心がけが悪いのでしょう。
 
歯を失ったまま放置すると、口腔内のバランスが崩れてしゃべりにくくなるなど、様々な弊害が生じます。特に、ものが食べにくくなることによって体が衰弱する「オーラルフレイル」は、老年期医療における大きな問題です。単純に、義歯の作成や手入れだけでもかなりの手間と費用がかかるので、自分の歯を保つのに越したことはありません。

 
サメのように、人間も抜けた歯が生え変わってくれればいいのに――とは、誰しもが思うところですが、これは夢に過ぎませんでした。しかし最近になり、この「歯の生え変わり薬」が現実に近づきつつあるのです。
 
歯科領域においては、麻酔薬や鎮痛剤はよく用いられるものの、「虫歯を治療する」タイプの医薬はほとんど存在しませんでした。以前の本連載で取り上げた、歯の象牙質を再生させる医薬(臨床試験中)が、その数少ない例です。

► 虫歯を治す医薬はできるか?

 

歯が生える原理

「生え変わり薬」を開発しているのは、京都大学発のバイオベンチャー企業トレジェム・バイオファーマ社です。「トレジェム」という名前自体、「TOoth REGEneration Medicine」から来ており、完全に歯の再生治療薬に特化して立ち上げられたベンチャーです。この会社の元になったのは、京都大学の高橋克准教授による研究成果でした。
 
生まれつき歯が生えてこない、「先天性無歯症」という病気があります。高橋氏らは、その鍵がUSAG-1というタンパク質にあることを発見したのです。
 
このタンパク質は、骨形成作用を持ったタンパク質BMPなどの働きを阻害する作用があります。これが過剰に働くことで、結果として歯の生育を阻んでいると考えられます。そこで、このUSAG-1に結合してその作用を封じる中和抗体を作成し、先天性無歯症のモデルマウスに投与したところ、見事歯が生えてきたのです。
 
要するに、無歯症の生物は歯を作る能力がないのではなく、これを封印する悪いタンパク質がいるためだったのでした。このタンパク質の働きを抑え込んでやれば、きちんと歯は生えてくるというわけです。
 
これから始まるヒトでの臨床試験では、先天性無歯症の患者を対象にしたテストが行われる予定です。まずは安全性や有効性を検証し、順次試験を進めて、2030年の上市を目指す予定ということです(京都新聞より)。
 
先天性無歯症の子供は、十分な栄養を摂取しにくく、成長にも悪影響を与えます。新薬が登場すれば、こうした患者にとって大きな福音となることでしょう。

► 「ドラえもん」に登場する、ひみつ薬はできるか?

 

抜けた歯は再生する?

しかし、一般の人にとって興味があるのは、虫歯などで抜けて(あるいは抜いて)しまった歯を再生できるのか、という点でしょう。上記の先天性無歯症の場合は、「歯のもと」になる組織が存在しており、その封印さえ除いてやれば歯が生えてきました。永久歯を抜いてしまった後には、そうした組織は残っていないはずです。

しかし実のところ、ヒトは「第3歯堤」という、乳歯・永久歯に続く「第3の歯のもと」を持っているのだそうです。ただしこれは一種の痕跡器官であり、利用されずに退化して消えてしまう運命にあります。
 
しかし先のUSAG-1抗体を投与することで、この「第3歯堤」の封印を取り払ってやれば、3番めの歯が生えてくる可能性があります。すでにマウスでは、完全な形の新しい歯の再生に成功しているということです(トレジェムバイオファーマ株式会社インタビューより)。
 
最近の研究によれば、30歳を過ぎても44%の人には、この第3歯堤が残っていることが明らかになっています(日刊ゲンダイヘルスケアより)。若いうちであれば、再生の可能性はあるということになります。

 

新たな道を開けるか

もちろん、この「歯生え薬」が無事に実用化にこぎつけるかは、現状ではなんとも言えません。その難しさを一言で言うなら、「全く前例がないこと」に尽きます。
 
それまでに類例がある医薬なら、体内での吸収・分布・排泄などのパターン、各種の副作用、効果がなかった時の改良すべきポイントなど、過去のデータからかなりの部分を推測することができます。

しかしこうした全く新規な医薬では、難航する道中を照らしてくれる「先例」がありません。歯が生えてきたとして、その歯は通常の歯と同じように機能するのか、長期的な副作用はないのかなど、懸念すべき材料はいくらでもあります。
 
逆に言えば、この薬が成功して道を切り開けば、今まで真空地帯であった歯科領域に、新しい大きな可能性が生まれるということでもあるでしょう。様々な困難は予測されますが、先行きを期待したいところです。

<関連記事を読む>
・不老不死の薬は実現するか?
・クリックケミストリーとは?2022年ノーベル化学賞で注目の功績

<参考URL>
・トレジェムバイオファーマ株式会社(京都企業紹介)|京都府
・夢の「歯生え薬」開発進む、マウスや犬で成功 先天性無菌症の患者のために|京都新聞ON BUSINESS
・永久歯が抜けても“第3の歯”が生える…「歯生え薬」にかかる大きな期待 来年にも臨床試験計画|日刊ゲンダイ ヘルスケア


佐藤 健太郎(さとう けんたろう)

1970年生まれ。1995年に東京工業大学大学院(修士)を卒業後、国内製薬企業にて創薬研究に従事。2008年よりサイエンスライターに転身。2009年より12年まで、東京大学理学系研究科化学専攻にて、広報担当特任助教を務める。『世界史を変えた薬』『医薬品クライシス』『炭素文明論』など著書多数。2010年科学ジャーナリスト賞、2011年化学コミュニケーション賞(個人)。ブログ:有機化学美術館・分館

 

ベストセラー『炭素文明論』に続く、文明に革命を起こした新素材の物語。新刊『世界史を変えた新素材』(新潮社)が発売中。

佐藤 健太郎
(さとう けんたろう)

1970年生まれ。1995年に東京工業大学大学院(修士)を卒業後、国内製薬企業にて創薬研究に従事。2008年よりサイエンスライターに転身。2009年より12年まで、東京大学理学系研究科化学専攻にて、広報担当特任助教を務める。『世界史を変えた薬』『医薬品クライシス』『炭素文明論』など著書多数。2010年科学ジャーナリスト賞、2011年化学コミュニケーション賞(個人)。ブログ:有機化学美術館・分館

 

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