薬にまつわるエトセトラ 薬にまつわるエトセトラ

学べば学ぶほど、奥が深い薬の世界。もと製薬企業研究員のサイエンスライター・佐藤健太郎氏が、そんな「薬」についてのあらゆる雑学を綴るコラムです。

第70回

新型コロナウイルス関連の臨床試験で浮上する新たな課題

今年4月7日から5月25日にわたって発令された緊急事態宣言により、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の流行はいったん落ち着いたかに見えました。しかしウイルスは首都圏を中心にさっそくぶり返し、第1波に劣らぬ勢いで拡大しつつあります。

個人的には、宣言解除を焦らず、もう少し頑張って自粛を続け、ウイルスを殺し切ることが必要であったのではないかと思っています。たとえば台湾は、海外からの帰国者や軍艦の乗員を除けば、4月以来新規感染者を出していません。日本も、やりようによってこれに近い水準が達成できたのでは、と残念に思います。

とはいっても、現実には再びウイルスが猛威を振るいつつあります。日本経済の現状を考えれば、厳しい「自粛」はもうできそうにありません。この後、懸念される感染拡大を考えれば、やはり希望の光はワクチンと治療薬の開発となるでしょう。

ワクチン開発の現状

ワクチン開発で先行している米国モデルナ社は、初期段階の安全性試験において、被験者45人全員が抗体を獲得したと発表しました(Bloomberg、2020年7月15日)。これはmRNAワクチンという今までにないタイプのワクチンで、目論見通り抗体が得られるか危ぶむ声もあったのですが、まずは第一関門突破というところでしょう。また、アストラゼネカ社が開発中のワクチンも、臨床試験で抗体の生成が確認されています。

しかし最近、新型コロナウイルス感染者の体内から、治癒後数ヶ月で抗体が消失あるいは減少しているケースが報告され、ワクチン開発(及び集団免疫の獲得)を悲観する声も上がっています。もしワクチンができたにせよ、複数回の接種あるいは数ヶ月に一度ペースの繰り返し接種が必要になる可能性があります。となれば、世界の数十億人がワクチンを必要としている現状においては、供給が大きな問題となりそうです。(Bloomberg、2020年7月22日)

日本では、大阪府・市、大阪大学、公立大学法人大阪、府立病院機構、大阪市民病院機構のオール大阪体制によるワクチン開発が進められ、6月30日に治験開始と発表されました。しかし、この治験はあまりに前のめりで、政治的に過ぎるとの批判も上がっています(毎日新聞、2020年7月4日)。

ワクチンの投与によってできた抗体が、かえって免疫細胞などへのウイルス感染を増強してしまう「抗体依存性感染増強」(ADE)という現象も知られており、新型コロナウイルスのワクチンにおいてもこれが懸念されています。となれば、安全性の試験にはどうしても時間と十分な検証が必要になります。そこが政治の力で歪むことのないよう、しっかりとした監視が必要でしょう。

臨床試験をめぐるパニック

一方、治療薬の方では、7月21日にデキサメタゾンが「コロナ診療の手引き」に掲載され、国内2点目の治療薬となりました。また、日本発の薬として大きな期待を受けていたファビピラビル(商品名アビガン)臨床試験の結果が、7月10日に開示されました。

89名の治験参加者(1名は辞退)のうち、半数に対しては1日目から内服、もう半数は6日目から内服してもらい、ウイルスの消失率を比較するという試験デザインでした。ただしうち19人は、参加時にすでにウイルスが消失していたことがわかり、試験から除外されています。

その結果、ウイルス消失率は1日目から投与された群は66.7%、6日目からの群は56.1%でした。一応ウイルス消失に至りやすい傾向は見えているものの、統計学的に有意な差はつかなかったという結論です。

一見して、これでは参加人数があまりに少なすぎ、よほど劇的に効く薬でもない限り、有意差は出なかっただろうと思えます。諸外国に比べ、感染者数が比較的低く抑えられた日本では、あまり患者が集まらなかった事情もあるでしょうが、やはり無理があったと言わざるを得ません。このような治験が行われた裏には、「とにかく一刻も早く治療薬を」という各方面からの強いプレッシャーがあったのでは、という気がします。

こうした状況は、海外でも起きているようです。ある分析によれば、COVID-19治療薬に関する臨床試験の39%が、対象者が100名以下であったということです。こうして規模の小さい治験が乱立すれば、統計的に有意な結果が得られる可能性は当然低くなります。

また、クロロキン及びヒドロキシクロロキンの臨床試験には、23万7千人もの患者ボランティアが参加しましたが、これらは効果なしという結果でした(STAT、2020年7月6日)。世界の臨床試験に参加した貴重な患者の3分の1以上が、こうして効かない薬の試験に無駄に割り当てられてしまったのは、非常に悔やまれるところです。

こうした、一種のパニックによって、本来有効性が立証できた医薬が世に出られないとなれば、極めて大きな損失です。今後、効率のよい臨床試験のため、どのような管理体制を作るべきか。予想される第2波を迎え撃つにあたり、各国にとって大きな課題といえそうです。

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佐藤 健太郎(さとう けんたろう)

1970年生まれ。1995年に東京工業大学大学院(修士)を卒業後、国内製薬企業にて創薬研究に従事。2008年よりサイエンスライターに転身。2009年より12年まで、東京大学理学系研究科化学専攻にて、広報担当特任助教を務める。『世界史を変えた薬』『医薬品クライシス』『炭素文明論』など著書多数。2010年科学ジャーナリスト賞、2011年化学コミュニケーション賞(個人)。ブログ:有機化学美術館・分館

 

ベストセラー『炭素文明論』に続く、文明に革命を起こした新素材の物語。新刊『世界史を変えた新素材』(新潮社)が発売中。

佐藤 健太郎
(さとう けんたろう)

1970年生まれ。1995年に東京工業大学大学院(修士)を卒業後、国内製薬企業にて創薬研究に従事。2008年よりサイエンスライターに転身。2009年より12年まで、東京大学理学系研究科化学専攻にて、広報担当特任助教を務める。『世界史を変えた薬』『医薬品クライシス』『炭素文明論』など著書多数。2010年科学ジャーナリスト賞、2011年化学コミュニケーション賞(個人)。ブログ:有機化学美術館・分館

 

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