薬にまつわるエトセトラ 公開日:2022.03.08 薬にまつわるエトセトラ

学べば学ぶほど、奥が深い薬の世界。もと製薬企業研究員のサイエンスライター・佐藤健太郎氏が、そんな「薬」についてのあらゆる雑学を綴るコラムです。

第88回

ブリスター包装はいつから始まった?医薬包装の歴史

本連載でも何度か取り上げている通り、医薬品は人類と共に歩んできたといってよいほどに長い歴史を持ちます。その歴史の中で、医薬品の包装もさまざまに工夫されてきました。今回はその変遷をたどってみましょう。

 

正倉院の薬

日本の医薬の記録は、古事記(712年成立)にさかのぼります。その記載によれば、草木や動物の角、内臓などを乾燥・粉砕し、わらや木の葉、たけのこの皮などに包んだとされています。

現存する最古の医薬の包装は、奈良の正倉院に光明皇太后が献納したものと思われます。麻布の風呂敷、陶製の壺、漆塗りの櫃などが用いられ、それぞれに薬品名・内容量・使用日などが記載されているということです。ここに収められた医薬は、当時としては宝物といっていいほど貴重なものであったでしょうから、容器にも最高レベルの技術が傾けられていることが伺えます。

素焼きの壺。画像はイメージです。

もちろん庶民も医薬を利用していたと考えられ、素焼きの壺などが利用されたと思われますが、記録も現物もほとんど残っていないようです。これに限らず、庶民の暮らしの様子というものはわざわざ記録されることが少なく、研究が難しいのです。

鎌倉から室町時代にかけては、医療の主な担い手は僧侶たちでした。戦乱の時代であったことから、傷に塗る軟膏、気付け薬、矢じりを抜くための薬などが工夫され、多く用いられたようです。軟膏の容器としては、焼き物や貝殻が利用されました。

► 【関連記事】人類は人類はいつ医薬を使い始めたか?医薬の起源をさぐる

 

薬包紙という文化

安土桃山時代には、曲直瀬道三(まなせ どうさん、1507-1594)が活躍し、天皇や織田信長の診察を行うなど「医聖」と称されました。彼は多くの著書を残し、薬包紙の折り方や内容の記載法などを記しています。

薬包紙と漢方薬

江戸時代に入ると「富山の置き薬」が人気を呼ぶなど医薬が量産化され、ブランドも確立してゆきます。湿気や光による医薬の変質を防ぎ、名称などの記載が行いやすい薬包紙は、ここでも医薬包装の主流でした。

薬包紙の折り方も、半井流、五雲子流などいくつかの流派ができあがりました。今でも一部の風邪薬などに、この薬包紙の折り方が受け継がれています。これはもう、立派な日本の伝統文化の一つと言っていいでしょう。

また、ふだん常備薬を持ち歩くために、印籠が普及しました。当初はその名の通り印鑑を携行するためのものでしたが、徐々に医薬を収める用途に変わってゆきます。多くは紙製で、漆を塗って巻き重ねることで強度を確保していました。

印籠

江戸時代中期以降になると、印籠は装身具から愛玩品へと変化し、美術工芸品としての価値を高めてゆきます。武士の権威の象徴としても扱われ、有名な水戸黄門の印籠はその最たるものでしょう。

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近代の医薬包装

一方ヨーロッパでは、1650年ごろにコルク栓が発明され、ワインなどにガラス瓶が広く用いられるようになりました。医薬にもこの技術が転用され、広がりを見せます。江戸時代後期には、いわゆる蘭学とともにガラス瓶入りの医薬も輸入され、「ギヤマンの薬瓶」として珍重されました。薩摩藩の島津斉興は1846年に製薬館を開設し、ここでガラス製薬瓶の製造も行っています。

明治期にはガラスアンプルも製造されるようになり、1902年には日露戦争に出征する兵士への予防注射用として、100万本が製造されるまでになっています。1955年ごろには、機械による自動製造が行われるようになりました。

金属材料が用いられたのは、明治以降のことです。1901年にブリキ缶が、1921年にスズ製チューブが登場したと記録にあります。

戦後にはプラスチックがコストダウンし、医薬包装にも採用されるようになりました。プラスチックは耐久性が高く、無菌で製造でき、デザインの自由度も高いため、医薬を包むには最適といえます。

1965年には、現在広く用いられているブリスター包装がヨーロッパから導入されました。押すだけでアルミ箔を破って手軽に取り出せるこの包装は、画期的なものでした。これによって錠剤やカプセルの医薬が増加し、粉薬は少なくなってゆきます。

ブリスター包装

ブリスター包装の利点はこれだけではありません。現在の医薬包装は、熱や湿気への耐久性、酸素や湿気の遮断、また偽造防止のため、一度開封したら元に戻せないような包装であることも規定されています。ブリスター包装は、これらを問題なく満たします。

近年では誤用を防ぐため、包装に商品コード・有効期限・製造番号などを記録したバーコードが印刷されるようにもなりました。また、プリントされたQRコードをスマホなどで読み取ると、使用上の注意が表示されるようなものもあります。時代とともに移り変わってきた医薬包装は、まだまだこれからも進化してゆきそうです。

<参考文献・URL>
『薬史学雑誌』22巻 P.59 1987年
健康豆知識 “くすり”の包装のひみつ|日本薬学会
学芸員のちょっとコラム 印籠の起源|くすりの博物館

<関連記事はこちら>
・薬にまつわるエトセトラ 第9回 プラセボ効果の不思議
・薬にまつわるエトセトラ 第55回 薬学者は紙幣の「顔」になれるか
・薬にまつわるエトセトラ 第80回 「薬は毒」なのか?


佐藤 健太郎(さとう けんたろう)

1970年生まれ。1995年に東京工業大学大学院(修士)を卒業後、国内製薬企業にて創薬研究に従事。2008年よりサイエンスライターに転身。2009年より12年まで、東京大学理学系研究科化学専攻にて、広報担当特任助教を務める。『世界史を変えた薬』『医薬品クライシス』『炭素文明論』など著書多数。2010年科学ジャーナリスト賞、2011年化学コミュニケーション賞(個人)。ブログ:有機化学美術館・分館

 

ベストセラー『炭素文明論』に続く、文明に革命を起こした新素材の物語。新刊『世界史を変えた新素材』(新潮社)が発売中。

佐藤 健太郎
(さとう けんたろう)

1970年生まれ。1995年に東京工業大学大学院(修士)を卒業後、国内製薬企業にて創薬研究に従事。2008年よりサイエンスライターに転身。2009年より12年まで、東京大学理学系研究科化学専攻にて、広報担当特任助教を務める。『世界史を変えた薬』『医薬品クライシス』『炭素文明論』など著書多数。2010年科学ジャーナリスト賞、2011年化学コミュニケーション賞(個人)。ブログ:有機化学美術館・分館

 

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