薬にまつわるエトセトラ 公開日:2023.06.09 薬にまつわるエトセトラ
薬剤師のエナジーチャージ薬読サイエンスライター佐藤健太郎の薬にまつわるエトセトラ

学べば学ぶほど、奥が深い薬の世界。もと製薬企業研究員のサイエンスライター・佐藤健太郎氏が、そんな「薬」についてのあらゆる雑学を綴るコラムです。

第104回

ポストコロナの製薬業界で何が起こるか

この5月5日、世界保健機関(WHO)は、COVID-19感染拡大による「国際的に懸念される公衆衛生上の緊急事態」の宣言を終了すると発表しました。またご存知の通り、日本でも5月8日より、COVID-19の感染症法上での位置づけが2類相当から5類へ移行となっています。
 
もちろん、新型コロナウイルスの脅威が去ったわけではありません。いまだ多くの感染者が出ており、新たな変異株も出現しています。とはいえ、3年以上COVID-19に脅かされてきた世界は一つの節目を越え、新たな局面を迎えたとはいえるでしょう。
 
というわけで今回は、ポストコロナの製薬業界はどうなるのかを考えていきたいと思います。

 

コロナワクチン・治療薬の需要が一巡

まず最も直接的な影響は、コロナワクチンの需要が減少することでしょう。たとえばファイザーは、2022年に1003億ドル(約14兆円)という医薬品業界史上最大の売上を記録し、うち約340億ドル(約4.7兆円)をコロナワクチンで稼ぎ出しました(REUTERS[2022年11月1日]より)。
 
しかし今年2023年は、コロナワクチンの売上は前年比64%減と見込んでいます。ざっと3兆円の売上減の影響は、やはり大きいと言わざるを得ません。
 
一方モデルナ社は、2022年度にコロナワクチンを184億ドル(約2.5兆円)売り上げました。しかし23年度予測は最低約50億ドル(約6900億円)と、やはり前年の3分の1程度の売上にとどまる見通しを発表しています(REUTERS[2023年1月9日] より)。

中外製薬は、2022年にCOVID-19治療薬ロナプリーブ(抗体カクテル)が2037億円を売り上げ、業績を大きく押し上げました。しかしロナプリーブはオミクロン株には効果が弱く、このため今年は1225億円の減収となる見込みです。こうしたことから、今年は会社全体として8%程度の減収減益となるとの予測が出ています(ミクスOnline[2023年2月3日] より)。
 
もちろんこれらは「特需」であり、売上減はどの社も織り込み済みではあるでしょう。とはいえ、各社とも次なる成長エンジンを求めていかねばならない状況には違いありません。

 

新たな収益源

たとえばモデルナ社は、コロナワクチンで確立したmRNAワクチンという強力なプラットフォームを活用し、多くのワクチン創成に乗り出しています。たとえばRSウイルス感染症に対するmRNAワクチンは、臨床試験において82%の有効性を示しており、2024年の発売を見込んでいるということです。
 
一方で、インフルエンザに対するmRNAワクチンは、B型インフルエンザについては不十分であるものの、A型に対しては強い免疫反応を引き出せたとの結果が出ています(REUTERS[2023年4月12日]より)。その他にも同社ではメラノーマ(黒色腫)などいくつかのがんワクチンの開発も進めており、今後多くの製品が登場することになりそうです。
 
またファイザーも、2030年までにmRNAワクチンの売り上げが100億~150億ドルに達する可能性があると発表しています(REUTERS[2022年12月13日]より)。コロナワクチン製造で得たノウハウや設備を生かしていく体制は、すでに整っているようです。
 
COVID-19の経口治療薬ゾコーバを送り出した塩野義製薬は、2023年度の売上高4210億円(うちゾコーバが1000億円)を見込んでおり、過去最高の業績となる見通しです。

ただしこれも、COVID-19の感染状況に大きな変化がない限り、来年度以降の売り上げは落ち込むことが予測されます。同社はコロナ禍以降、8割の経営資源をコロナワクチン及び治療薬に投入してきたと表明しており、今後どのように方向転換を図るか注目されます。

 

開発が急がれる後遺症治療薬

今後、需要拡大が見込まれる医薬として、コロナ後遺症の治療薬が挙げられます。統計の取り方によって患者数は大きく変わりますが、日本国内だけで100万人単位の人々が後遺症に苦しんでいるとの見方もあり、その治療法開発は急務です。
 
以前も本連載で取り上げた通り、コロナ後遺症の原因にはまだ不明の点が多々あります。当然、治療薬の開発も手探りにならざるを得ません。

► 新型コロナ後遺症は治せる? 原因や治療法を研究結果から考える

最近になり、アルツハイマー病治療薬としてよく知られたドネペジルに、コロナ回復後のうつ症状や倦怠感に対して効果があるとの報告がなされ、臨床試験も開始されています(テレ朝news[2023年4月5日]より)。また米国でも、オピオイド依存症治療薬であるナルトレキソンなど、いくつかの臨床試験が進みつつあります。
 
もちろん、コロナ後遺症向けに一から設計した新薬の研究も、あちこちで進められているはずです。今後の医薬品業界にとって、高い優先度で取り組むべきテーマの一つといっていいでしょう。
 
ここでは主に創薬分野におけるコロナ禍の影響を記しましたが、製薬企業では他の分野でも多くの影響を受けています。対面での営業が難しくなった結果、オンラインでのコミュニケーションが発達しました。

いわゆる本社業務でもリモートワークが普及し、コロナ禍後にもそのまま定着する部分が多くありそうです。COVID-19による負の影響は莫大なものでしたが、これをくぐり抜けることで得たものも大きく、その成果をどう生かすかが今後の製薬業界の行方を左右しそうです。

 
► 【関連記事】新型コロナウイルス感染症(COVID-19)はどのように終わるのか

 
<関連記事を読む>
・ファイザー、コロナワクチン通年売上高見通し340億ドルに上方修正(REUTERS、2022年11月1日)
・製薬会社、コロナ後模索=ワクチンや治療薬の需要鈍化で(時事通信ニュース、2023年2月25日)
・米モデルナ、22年頃ナワクチン売上高184億ドル 見通し達成(REUTERS、2023年1月9日)
・中外製薬・奥田社長CEO 22年通期売上高が初の1兆円突破 リーディングカンパニーへ足場固め着々(ミクスOnline、2023年2月3日)
・米モデルナのmRNAインフルワクチン、後期試験で早期成功基準満たせず(REUTERS、2023年4月12日)
・ファイザーmRNAワクチン、30年までに年間売上高最大150億ドル(REUTERS、2022年12月13日)
・新型コロナ“後遺症”に認知症の薬が有効か 患者から期待の声(テレ朝news、2023年4月5日)


佐藤 健太郎(さとう けんたろう)

1970年生まれ。1995年に東京工業大学大学院(修士)を卒業後、国内製薬企業にて創薬研究に従事。2008年よりサイエンスライターに転身。2009年より12年まで、東京大学理学系研究科化学専攻にて、広報担当特任助教を務める。『世界史を変えた薬』『医薬品クライシス』『炭素文明論』など著書多数。2010年科学ジャーナリスト賞、2011年化学コミュニケーション賞(個人)。ブログ:有機化学美術館・分館

 

ベストセラー『炭素文明論』に続く、文明に革命を起こした新素材の物語。新刊『世界史を変えた新素材』(新潮社)が発売中。

佐藤 健太郎
(さとう けんたろう)

1970年生まれ。1995年に東京工業大学大学院(修士)を卒業後、国内製薬企業にて創薬研究に従事。2008年よりサイエンスライターに転身。2009年より12年まで、東京大学理学系研究科化学専攻にて、広報担当特任助教を務める。『世界史を変えた薬』『医薬品クライシス』『炭素文明論』など著書多数。2010年科学ジャーナリスト賞、2011年化学コミュニケーション賞(個人)。ブログ:有機化学美術館・分館

 

ベストセラー『炭素文明論』に続く、文明に革命を起こした新素材の物語。新刊『世界史を変えた新素材』(新潮社)が発売中。