薬にまつわるエトセトラ 更新日:2024.01.16公開日:2022.02.03 薬にまつわるエトセトラ

学べば学ぶほど、奥が深い薬の世界。もと製薬企業研究員のサイエンスライター・佐藤健太郎氏が、そんな「薬」についてのあらゆる雑学を綴るコラムです。

第88回

抗体医薬の「マブ」がなくなる?命名ルールの変更が決定

医薬品の一般名は、一定の規則に従って命名され、世界で共通の名称が使われることになっています。ジャンルによって共通した語尾が用いられるよう規定されており、たとえば抗ウイルス剤には「ビル」(-vir)が、DPP-4阻害剤には「グリプチン」(-gliptin)がつくといった具合です。長い名前の薬も多いので、薬剤師のみなさんは覚えるのも一苦労と思います。

ところが最近、ちょっと気になる知らせが飛び込んできました。2021年10月に行なわれた世界保健機関(WHO)の専門家会議で、抗体医薬の命名ルールが変更されることが決まったのです。かなり大きな影響がありそうですので、ご紹介しておきたいと思います。

 

これまでの命名規則

これまで、抗体医薬にはステム(語幹)として語尾に「マブ」(-mab、monoclonal antibodyの略)がつけられるルールになっていました。その前には、どの生物のDNA由来かを示す「サブステム」が置かれました。マウス由来なら「-o-」、キメラ抗体なら「-xi-」、ヒト化抗体なら「-zu-」、ヒト抗体なら「-u-」が「mab」の前につけられるルールです。

さらにその前に、対象疾患や臓器を示すサブステムがつけられます。腫瘍(tumor)に対する医薬であれば「-ta-」(2017年以前は「-tu-」)、免疫系に作用するものなら「-li-」がつくという具合です。ここに、開発者が自由につけられる接頭辞が加えられて、医薬としての一般名となります。

たとえばリウマチなどに用いられるインフリキシマブ(商品名レミケード)の名はinf-li-xi-mabと分解でき、免疫系に作用するキメラ抗体であることがわかります。またトラスツズマブ(商品名ハーセプチン)はtras-tu-zu-mabで、抗腫瘍作用を持つヒト化抗体であることが、名前から読み取れるわけです。

ただし近年では、アレルギーなどのおそれがあるマウス抗体やキメラ抗体がほとんど使われなくなったため、「-o-」や「-xi-」などのサブステムは出番がなくなりました。そこで2017年以降はこの部分は削り、対象疾患を表す部分プラス「-mab」だけの語尾が用いられています。たとえばCOVID-19の重症化を防ぐ医薬カシリビマブとイムデビマブ(いわゆる抗体カクテル)は、抗ウイルスを示す「-vi-」と「-mab」だけの語尾となっています。

抗体医薬分野の隆盛によって、すでにその名称は880種にも及んでおり、「-mab」を語尾に持つ医薬は全カテゴリーでも最多となっています。現状でも、発音しづらく覚えにくい医薬名が多いというのに、今後も抗体医薬は増え続けることが確実です。このままでは区別のつきにくい名前が増え、混乱を招くのが目に見えています。このようなわけで、新たな命名ルールが検討されたのです。

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新命名法

新たな体系では、「-mab」のステムが廃止され、以下の4種のステムに分割されます。

-tug:グループ1 未修飾抗体(unmodified immunoglobulins)
-bart:グループ2 人工抗体(antibody artificial)
-mig:グループ3 多重特異性抗体(multi-immunoglobulin)
-ment:グループ4 フラグメント抗体(fragment

未修飾抗体はその名の通り、特別な改変が施されていない抗体を指します。グループ2の「人工抗体」には、フルサイズの抗体に対して何らかの人工的な改変(アミノ酸配列の変異、糖鎖の除去など)が施されているものが分類されます。

グループ3の多重特異性抗体は、複数の標的に結合できるよう改変された単一抗体を指します。グループ4のフラグメント抗体は、抗体の一部だけを切り出した形のものを指します。

また、対象疾患などを示すサブステムも一部変更されています。これまで免疫調節作用を持つものには、「-l-」または「-li-」というサブステムが与えられていましたが、これが3つに分割されました。アレルゲンを意味する「-ler-」、免疫賦活を指す「-sto-」、免疫抑制を指す「-pru-」が登場し、「-li-」は廃止となります。

また、サイトカインの一種であるインターロイキンを表していたサブステム「-ki-」は、サイトカイン類全般及びサイトカイン受容体を指すように変更されています。

その他、細かな分類はWHOのサイトにあるPDFファイルに掲載されていますので、詳細はこちらをご覧下さい。また英語版ウィキペディアの「モノクローナル抗体の命名法」のページには、これまでの命名法の変遷と、過去・現在の分類の対応が一覧表にまとめられており、参考になります。

抗体の作用は複雑であり、そのメカニズムが完全に解明されているものばかりではありません。また、当初とは全く異なる疾患へと適応拡大されることもあります。このため、つけられたサブステムが必ずしも実際の用途と一致しないケースもあることに、注意が必要です。

というわけで、「マブ」のつく抗体医薬はもう打ち止めとなり、今後は「○○タツグ」「××ストバルト」といった名称のものが登場してくることになるでしょう(日本語での読み方などは未発表)。

ここまで大きな命名法の変更はおそらく珍しいことで、最初は多少の混乱もあるかもしれません。しっかりと覚え、対応していく必要がありそうです。

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・薬にまつわるエトセトラ 第8回 薬はなぜ色とりどりか?
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佐藤 健太郎(さとう けんたろう)

1970年生まれ。1995年に東京工業大学大学院(修士)を卒業後、国内製薬企業にて創薬研究に従事。2008年よりサイエンスライターに転身。2009年より12年まで、東京大学理学系研究科化学専攻にて、広報担当特任助教を務める。『世界史を変えた薬』『医薬品クライシス』『炭素文明論』など著書多数。2010年科学ジャーナリスト賞、2011年化学コミュニケーション賞(個人)。ブログ:有機化学美術館・分館

 

ベストセラー『炭素文明論』に続く、文明に革命を起こした新素材の物語。新刊『世界史を変えた新素材』(新潮社)が発売中。

佐藤 健太郎
(さとう けんたろう)

1970年生まれ。1995年に東京工業大学大学院(修士)を卒業後、国内製薬企業にて創薬研究に従事。2008年よりサイエンスライターに転身。2009年より12年まで、東京大学理学系研究科化学専攻にて、広報担当特任助教を務める。『世界史を変えた薬』『医薬品クライシス』『炭素文明論』など著書多数。2010年科学ジャーナリスト賞、2011年化学コミュニケーション賞(個人)。ブログ:有機化学美術館・分館

 

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