薬にまつわるエトセトラ 公開日:2023.11.13 薬にまつわるエトセトラ

薬剤師のエナジーチャージ薬読サイエンスライター佐藤健太郎の薬にまつわるエトセトラ

学べば学ぶほど、奥が深い薬の世界。もと製薬企業研究員のサイエンスライター・佐藤健太郎氏が、そんな「薬」についてのあらゆる雑学を綴るコラムです。

第109回

フェニレフリン以外にもある?実は効果がない医薬

米国で、広く使われてきた医薬が「実は効果がない」ということがわかり、ちょっとした騒ぎになっています。問題になっているのはフェニレフリンという薬で、鼻詰まりを改善する医薬として、米国では市販の風邪薬によく配合されています(Yahoo!ニュースより)。

フェニレフリンは、アドレナリンのベンゼン環上のヒドロキシ基が一つなくなった構造を持ちます。ここから想像される通り、この薬はアドレナリン作動薬として働き、α1受容体を選択的に活性化させる作用を持ちます。

フェニレフリンの薬効に対する疑念が持ち上がったのは、昨日今日のことではありません。今から16年も前の2007年に、フェニレフリンとプラセボの間で効果に差がないという実験結果が示されていました。今年になって、FDAがようやくこれを認めたことで、市民の間に動揺が広がっているのです。

ただし、「フェニレフリンに効果がない」というのは経口投与の場合の話で、鼻腔スプレーや静脈注射で投与された場合には、十分に効果を発揮します。経口投与されたフェニレフリンは、大半が肝臓で代謝を受けてしまうため、効果が出ないのです。

しかし、なぜそんな薬が大手を振って流通していたのでしょうか?ひとつには、フェニレフリンが第2次世界大戦前から使われている、非常に古い薬であることが原因です。

当時は、医薬品に対して今のような厳しい試験は課されておらず、薬物動態などの概念もまだ定まっていませんでした。こうしたころに、現代の基準で見れば雑なテストによる評価がなされ、今まで生き延びてきてしまったと思われます

また、他の鼻詰まりの医薬が、副作用問題などから流通に制限がかかり、問題の少ないフェニレフリンが盛んに用いられるようになったという事情もあるようです。

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日本にも「効かない薬」はあるのか?

こうした「実は効き目のない古い薬」は、日本にもあるのでしょうか?日本には「再評価制度」というものがあり、その時点での知見に基づいて、過去の医薬品を改めて評価することが取り決められています。

この再評価は、サリドマイド薬害事件などをきっかけに、1971年に初めて行われ、この時には1967年以前に承認を受けた医薬品が対象とされました。近年では、5年ごとに再評価が行われることになっています。

一定の年限が過ぎた医薬品に対し、その薬の効能・安全性について記された論文のスクリーニングが行われ、疑念があるものに対しては再試験が指示されます。新しい基準での試験で、有効性・安全性が示せなかった医薬については、効能が削除されるなどの措置が取られます。

再評価制度で引っかかった一例として、武田薬品が消炎酵素製剤として1968年から発売していた「ダーゼン」があります。この薬は、1995年に行われた再評価で有効性について問題を指摘され、厚生省(当時)から必要な試験を行うよう指示を受けました。

同社は試験を行ったものの、プラセボに比べて有効性を示すことができませんでした。この結果ダーゼンは、2011年に自主回収処分となっています(薬事日報より)。

このころ、筆者がある県の医師会で行った講演の席で、「ダーゼン回収の件はどういうことなのか、どうしても説明してほしい」と聴衆の医師に食い下がられ、閉口した記憶があります。筆者が所属したわけでもない会社が、筆者の生まれる前に発売した薬について問い詰められても、何も言えることはないのですが。信頼して処方していた医師としては、よほど頭に来ていたのかもしれません。

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無効な薬に費やされた8000億円

再評価制度によって最も大きな影響があったのは、脳循環代謝改善薬のケースでしょう。このジャンルの最初の薬であった「ホパテ」は、田辺薬製薬(現・田辺三菱製薬)から1978年に発売され、1983年に脳血管障害の後遺症改善が効能として追加されました。これを追いかけて国内主要各社から同様の医薬が発売され、その売上は総計8000億円にも及んでいたといいます。

しかし1996年、これら医薬は再評価の対象となり、各社に臨床試験の指示が下りました。その結果、多くの医薬はプラセボと差がないという結果に終わり、その多くが承認を取り消されたのです。この件はマスコミでも大きく取り上げられ、かなりの騒動になりました(朝日新聞アピタルより)。

これほど大ごとになるケースはさすがにもうない――と思いたいところですが、マイナーな医薬をよく調べてみれば、怪しそうなもの、現代の基準を満たせないものはまだいくつもありそうです。

しかし、製薬企業からすれば貴重な商品が命脈を断たれるわけですから、再評価の過程には様々な圧力や抵抗もあることと思われます。これらをいかに排し、真に有効な医薬だけを残してゆくか。医薬の信頼を保ってゆく作業は、生半可なことではありません。

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<参考URL>
・かぜ市販薬に使われてきた成分に「効果なし」、科学者は知っていた、なぜ今まで放置?|Yahoo!ニュース(ナショナルジオグラフィック)
・【武田薬品】「ダーゼン」の有効性検証を断念-自主回収へ|薬事日報
・「あの薬、実は効きませんでした」何年も使われた治療薬が、なぜ?|朝日新聞アピタル


佐藤 健太郎(さとう けんたろう)

1970年生まれ。1995年に東京工業大学大学院(修士)を卒業後、国内製薬企業にて創薬研究に従事。2008年よりサイエンスライターに転身。2009年より12年まで、東京大学理学系研究科化学専攻にて、広報担当特任助教を務める。『世界史を変えた薬』『医薬品クライシス』『炭素文明論』など著書多数。2010年科学ジャーナリスト賞、2011年化学コミュニケーション賞(個人)。ブログ:有機化学美術館・分館

 

ベストセラー『炭素文明論』に続く、文明に革命を起こした新素材の物語。新刊『世界史を変えた新素材』(新潮社)が発売中。

佐藤 健太郎
(さとう けんたろう)

1970年生まれ。1995年に東京工業大学大学院(修士)を卒業後、国内製薬企業にて創薬研究に従事。2008年よりサイエンスライターに転身。2009年より12年まで、東京大学理学系研究科化学専攻にて、広報担当特任助教を務める。『世界史を変えた薬』『医薬品クライシス』『炭素文明論』など著書多数。2010年科学ジャーナリスト賞、2011年化学コミュニケーション賞(個人)。ブログ:有機化学美術館・分館

 

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