薬にまつわるエトセトラ 公開日:2022.11.10 薬にまつわるエトセトラ

学べば学ぶほど、奥が深い薬の世界。もと製薬企業研究員のサイエンスライター・佐藤健太郎氏が、そんな「薬」についてのあらゆる雑学を綴るコラムです。

第97回

クリックケミストリーとは?2022年ノーベル賞化学賞で注目の功績

今年2022年のノーベル化学賞は、「クリックケミストリーと生体直交化学の開発」の功績を讃え、バリー・シャープレス、モーテン・メルダル、キャロライン・ベルトッツィの3氏に贈られました。このうちシャープレス教授は2001年にもノーベル化学賞に輝いており、2度めの受賞という快挙となりました。
 
「クリックケミストリー」と「生体直交化学」とは、いずれも意味が取りづらい言葉です。しかしこれらの概念は生化学、ケミカルバイオロジー、高分子化学、材料科学などの分野に応用されて大きな成果を収めており、その影響はもちろん創薬分野にも及んでいます。そこで今回は、これらの業績について解説していきましょう。

カチッとつなぐ

合成化学者の仕事は、手に入りやすい小さな分子をつなぎ合わせ、必要な分子を組み立てることです。この、分子と分子をつなぎ合わせるという作業は、そう簡単なものではありません。分子間の結合は簡単にはできませんので、分子を反応性の高い状態にした上で、互いに反応させてやる必要があります。

しかし反応性が高いということは、望みの相手ではない分子とも反応しやすいということです。わずかな水や空気の分子さえ、望まぬ反応を引き起こしてしまいます。このため合成反応を行う際には、反応させたい物質をできるだけ純粋にした上、反応性の低い特殊な液体(溶媒)に溶かし、水や空気の混入を慎重に避けて実験を行う必要があります。

このため、合成というのは恐ろしく手ひまとコストのかかる仕事です。たとえば一般的な医薬化合物を少量合成するだけでも、経験を積んだ化学者が数週間程度の時間を費やさねばなりません

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理論上作り出しうる化合物は、無限といってもいいほどの可能性があります。その中には、未発見の素晴らしい医薬や画期的な材料も、無数に存在するはずです。しかし、その合成には時間がかかりますので、何億年かかっても全ての可能性を試すことなど不可能です。

ですが、もし理想的な合成反応があれば、この時間をずっと短縮できるはずです。水や空気など、多くの他の分子が存在する中でも、望みの相手だけと素早くがっちりと結合し、余計な廃棄物などを出さず、できた結合は容易に切断されない――というような条件を備えていれば、まさに理想です。

シャープレスは、こうした反応を「クリックケミストリー」と命名しました。「クリック」(click)という言葉には、「カチッという音」という意味があり、シートベルトをカチッとはめるように、手軽にしっかりした結合を作るイメージが込められています。

完璧な反応

この理想に最も近い反応が、フーズゲン反応と呼ばれるものです。アジドと呼ばれる原子団(窒素原子3つがつながったもの)と、アルキン(炭素2つが三重結合したもの)が互いにつながり、五角形を作る反応です。

フーズゲン反応により、2つのパーツが手軽に結合できる

アジドとアルキンはいずれも、他の原子団とはほとんど反応しませんが、この両者が出会った時のみ、しっかりと結びつきます。この性質はまさに、先に挙げたクリックケミストリーの定義にぴったり適合します。

フーズゲン反応の唯一の弱点は、反応速度が遅いことでした。しかしメルダル教授により、銅イオンを加えてやるとこの反応の速度が100万倍にも向上することが発見され、この弱点は打破されたのです。

このためフーズゲン反応は、クリックケミストリーの代名詞のような存在となり、広く使われるようになりました。たとえば、標的タンパク質に結合しそうなパーツ同士をクリックケミストリーによって結びつければ、素早く簡単に多数の医薬品候補化合物を作り出すことができます。これにより、新薬創出の加速を図ることができます。

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「生体」に「直交」?

生化学者の夢の一つは、生きている生命体あるいは細胞の中で、望みの化学反応を行うことでした。これができれば、観察したい生体分子に目印を取り付けたり、患部に医薬を狙って送り込むようなことも可能になります。

しかし生きた細胞の内部は、反応性の高い分子で溢れかえっていますので、このようなことはできませんでした。そこで、ベルトッツィ教授はフーズゲン反応を改良し、細胞毒性のある銅イオンのアシストなしでも、素早く反応が起こる手法を考案しました。これにより、生きた細胞内の生体分子に、望みの原子団を取り付けることが可能になったのです。

こうした「生体内で実行可能な化学反応」を「バイオオルソゴナルケミストリー」といい、日本ではこれを直訳して「生体直交化学」と呼んでいます(あまりいい訳語ではない気がしますが)。

これらの手法の影響は大きく、たとえば医薬の標的タンパク質を見つけ出すためにも応用されています。受賞者三氏の業績は、21世紀の化学が進むべき道を示したといっても、決して過言ではないと思われます。

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佐藤 健太郎(さとう けんたろう)

1970年生まれ。1995年に東京工業大学大学院(修士)を卒業後、国内製薬企業にて創薬研究に従事。2008年よりサイエンスライターに転身。2009年より12年まで、東京大学理学系研究科化学専攻にて、広報担当特任助教を務める。『世界史を変えた薬』『医薬品クライシス』『炭素文明論』など著書多数。2010年科学ジャーナリスト賞、2011年化学コミュニケーション賞(個人)。ブログ:有機化学美術館・分館

 

ベストセラー『炭素文明論』に続く、文明に革命を起こした新素材の物語。新刊『世界史を変えた新素材』(新潮社)が発売中。

佐藤 健太郎
(さとう けんたろう)

1970年生まれ。1995年に東京工業大学大学院(修士)を卒業後、国内製薬企業にて創薬研究に従事。2008年よりサイエンスライターに転身。2009年より12年まで、東京大学理学系研究科化学専攻にて、広報担当特任助教を務める。『世界史を変えた薬』『医薬品クライシス』『炭素文明論』など著書多数。2010年科学ジャーナリスト賞、2011年化学コミュニケーション賞(個人)。ブログ:有機化学美術館・分館

 

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