薬にまつわるエトセトラ 公開日:2021.10.07 薬にまつわるエトセトラ

学べば学ぶほど、奥が深い薬の世界。もと製薬企業研究員のサイエンスライター・佐藤健太郎氏が、そんな「薬」についてのあらゆる雑学を綴るコラムです。

第84回

医薬品とイグノーベル賞

最近は、イグノーベル賞の話題がかなり大きく報道されるようになってきました。この賞は1991年に創設され、「人々を笑わせ、そして考えさせてくれる研究」に与えられます。

本物のノーベル賞のパロディではありますが、研究とは何かを考えさせてくれるという面で、価値の高い賞と評価されるようになりました。ここ15年間は日本人の受賞が続いているのも、日本で注目が集まる理由でしょう。

医薬品関連の研究も、何度かイグノーベル賞の授賞対象になっています。今回は、そのいくつかをご紹介しましょう。

ホメオパシー研究者への授賞

イグノーベル賞は、当初は疑似科学的な研究に対して皮肉をこめて与えられるケースがありました。たとえばホメオパシーの研究者ジャック・バンヴェニストは、1991年と1998年の二度にわたってイグノーベル化学賞を贈られています。

ホメオパシーは、18世紀末ごろにドイツの医師ハーネマンによって創始された治療体系です。病気の元になる成分を、水で極度に薄めて患者に与えることによって治療効果を引き出すというもので、ヨーロッパでは広く浸透しています。

バンヴェニストは、抗体を極度に薄めた水が、抗原抗体反応を引き起こす能力を保持するという論文を、1988年に「Nature」誌に投稿しました。同誌のジョン・マドックス編集長は、この主張はとうてい受け入れられるものではないと考えましたが、論文としての体裁は整っていたためリジェクトする理由を見出すことができず、これを掲載しました。

しかしマドックスは、自身と研究者、マジシャンを含む検証チームをバンヴェニストの研究室に派遣、この結果が再現しないことを確認することで、この件を落着させています(白楽の研究者倫理より)。第1回のイグノーベル賞がバンヴェニストに与えられたのは、彼とホメオパシーに対する、科学界からのメッセージであったでしょう。

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貝に抗うつ剤を与えると?

イグノーベル賞は2000年前後ごろから、一見バカバカしい、しかし大まじめな研究に対して授与されるように、徐々に賞の性格が変わってきたように見えます。

たとえば1998年には、「ある種の二枚貝に対して抗うつ薬フルオキセチン(商品名プロザック)を投与すると、繁殖力が10倍になる」という、フォングらの研究が受賞対象となりました(NewScientist、1998年4月3日より)。プロザックは一名「ハッピードラッグ」とも呼ばれ、米国では気分を改善する薬として、かなり気軽に処方されている現状があります。

このためプロザックは環境中に無視できない濃度で放出されており、最近では魚の活動や鳥の求愛行動に影響を与えているとの結果も報告されています(Science、2021年2月9日より)。その意味で、フォングの研究はただユーモラスなものというだけでなく、重要な指摘につながったといえるでしょう。

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高価なプラセボはよく効く?

2007年には、ハムスターにバイアグラを投与すると、時差ボケが通常より早く治るという研究に対し、アルゼンチンの研究者がイグノーベル航空学賞を授与されています。

これは、バイアグラが体内時計に影響を与えているのではという観察を元に、体内時計の正確な生物であるハムスターを使って実験が行われたものです。人間への応用の可能性もあり、極めてまっとうな研究といえます(ロイター、2007年5月22日より)。

2008年には、「高価な偽薬は安価な偽薬よりも効力が高いことを示したことに対して」、ダン・アリエリーらが医学賞を受賞しています。アリエリーは、ベストセラーとなった『予想どおりに不合理』などの著書で、日本でもよく知られる行動経済学者です。氏の講演も著書も非常に面白く、人気があるのもうなずけます。

経済学では、人々が合理的に振る舞うことを前提として理論が組み立てられています。しかし実際には、人々は様々な局面で不合理な行動を取ります。アリエリーは心理学的な手法でその要因を明らかにしており、上記偽薬の研究もその一環です。

上記『予想どおりに不合理』で、アリエリーは自ら行なった次のような試験を紹介しています。もっともらしく鎮痛効果が解説されたパンフレットが添えられた、1錠が2ドル50セントする薬を飲んだ被験者は、ほぼ全員が「痛みが緩和された」と答え、その効果は最大8時間持続しました。

これに対し、10セントの薬を飲んだ被験者では、痛みが緩和されたのは半数ほどにとどまったのです。実のところ、「鎮痛剤」と称して与えられたのは、両者ともただのビタミン剤に過ぎなかったのですが。

偽薬の効果については、本連載でも何度か取り上げています。生化学的な証拠も見つかっており、決してただの思いこみなどではありません。しかしアリエリーの研究結果は、心理的な効果もまた重要な要素であることを示しています。プラセボ効果の解明は、一筋縄では行かない、奥の深い現象なのです。

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こう見てくるとイグノーベル賞は、一見ユーモラスでありながら、その背後に重要な洞察が隠されている研究が選ばれていることがわかります。単なるパロディにとどまらず、科学界に影響力のある賞になっているのは、イグノーベル賞のこうした方針によるところが大きいのではないでしょうか。

 


佐藤 健太郎(さとう けんたろう)

1970年生まれ。1995年に東京工業大学大学院(修士)を卒業後、国内製薬企業にて創薬研究に従事。2008年よりサイエンスライターに転身。2009年より12年まで、東京大学理学系研究科化学専攻にて、広報担当特任助教を務める。『世界史を変えた薬』『医薬品クライシス』『炭素文明論』など著書多数。2010年科学ジャーナリスト賞、2011年化学コミュニケーション賞(個人)。ブログ:有機化学美術館・分館

 

ベストセラー『炭素文明論』に続く、文明に革命を起こした新素材の物語。新刊『世界史を変えた新素材』(新潮社)が発売中。

佐藤 健太郎
(さとう けんたろう)

1970年生まれ。1995年に東京工業大学大学院(修士)を卒業後、国内製薬企業にて創薬研究に従事。2008年よりサイエンスライターに転身。2009年より12年まで、東京大学理学系研究科化学専攻にて、広報担当特任助教を務める。『世界史を変えた薬』『医薬品クライシス』『炭素文明論』など著書多数。2010年科学ジャーナリスト賞、2011年化学コミュニケーション賞(個人)。ブログ:有機化学美術館・分館

 

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