薬剤師と著名人エピソード 薬剤師と著名人エピソード
名作を著した作家や誰もが知っているような大企業の創業者。医療とは直接関わりのない業界で活躍した中にも、薬剤師資格や医師免許を持っていた人々がいるんです。彼/彼女は一体どんな人物だったのか? どんな人生を送ったのか? 意外な発見があるかもしれません。
第3回 アガサ・クリスティー(1890年〜1976年)
プロフィール
 
 
イギリスの推理作家。「ミステリの女王」と呼ばれ、ギネスブックが「史上最高のベストセラー作家」に認定するほど多くの著作がベストセラーになっている。作品は100以上の言語に翻訳され、全世界で20億部以上出版されている。代表的な作品は『アクロイド殺し』『オリエント急行の殺人』『そして誰もいなくなった』など。第一次世界大戦中は薬剤師の助手として、第二次世界大戦中はボランティアの薬剤師として働いていた。

文字を禁じられた幼少期から薬局勤務、そして小説家へ

アガサ・クリスティーは、3人兄弟の末っ子として生まれた。歳の離れた兄姉はすでに家を出ており、物心ついたときには仲の良い両親と一人っ子のような生活だったという。母親は「8歳になるまでは字を読ませてはいけない、そのほうが子どもの目のためにも頭のためにも良い(※)」と信じており、比較的裕福な家庭であったものの正規の学校教育は受けていない。
アガサは文字を読むことを禁止されたが、読み聞かせてもらったお気に入りの本を眺めることで自然と字を覚え、5歳足らずで自力で本を読みきれるようになる。12歳になると母親の勧めで短編小説や詩を書き、出版社に投稿を始めた。しかしアガサが探偵小説を執筆するのはしばらく後、薬局に勤め始めてからのことである。
小説家となったアガサのその後の人生は、出版社との確執、愛する母親の死、謎の失踪(“アガサ・クリスティーの失踪事件”と呼ばれる)、最初の夫アーチボルドの心変わりによる離婚、2人目の夫マックスとの再婚、と波乱に満ちていた。アガサは断続的にではあるものの生涯執筆活動を続け、執筆作品は約240にものぼっている。

わたしが、最初に推理小説を書こうと思ったのは、病院の薬局で働いていたときのことでした(※)

美しい娘に成長したアガサは22歳のときにアーチボルドと出会う。このときアガサは別の男性と婚約関係にあったが、これを解消しアーチボルドと結婚する。第一次世界大戦勃発直後のことであった。
アガサは当時の多くの女性と同じく、応急手当や家庭看護法の教室に通って非正規の看護師となった。しかしインフルエンザにかかり、その後、肺充血のために1ヵ月あまり通勤できなくなった。復帰したころ、病院内に新しく調剤薬局ができており、看護師より勤務時間が短いのでそこで働いたほうが体力的に不安が少ないだろうと、薬剤師補佐として働くこととなる。
調剤薬局では「仕事は暇なときと多忙時から成り立って(※)」おり、「ちゃんとしておきさえすれば、薬局を出ていかないかぎり何をやっていても自由だった(※)」。アガサは以前、姉に「(アガサに)探偵小説なんて書けっこない、賭けてもいい(※)」と言われたことがずっと頭にあったため、暇な時間を使って探偵小説を書こうと思いつく。
「どんな種類の探偵小説が書けるだろうかと、わたしは考えはじめていた。まわりを毒薬で取り囲まれているのだから、死の方法として毒殺を選ぶのがわたしとしては自然だろう(※)」。そうしてアガサの初めての推理小説『スタイルズ荘の怪事件』が生まれたのである。

リアリティのある毒殺

アガサは新設の調剤薬局に勤めながら、薬剤師試験の勉強を始める。薬剤師試験準備の一環で、薬局を経営している薬剤師から指導を受けるように取り決められていたため、薬局での実習勤務も経験している。1917年の薬剤師試験では化学と薬物学は難なく合格したが、残る一つの実地試験ではあがってしまって一度目は失敗。二度目の挑戦で見事に合格している。
この実習薬局の店主P氏が計量単位の勘違いから犯した調剤ミスは、アガサの記憶に長く残り、およそ半世紀後の小説『蒼ざめた馬』の構想元となった。ちなみに自伝には、P氏の調剤ミスに気づいたアガサは新米ゆえ指摘することができず、よろめいたふりをして薬棚を倒し、薬を全て破棄することで対処したと残っている。
作中の殺人には毒殺が多く、毒物は青酸カリ・モルヒネ・ジギトキシン・ストリキニーネと種類も豊富。作品中に登場する毒物は、じゅうぶんな知識のある者の扱い方であると批評されている。
 
※ 出典はすべて『アガサ・クリスティー自伝』

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