学べば学ぶほど、奥が深い薬の世界。もと製薬企業研究員のサイエンスライター・佐藤健太郎氏が、そんな「薬」についてのあらゆる雑学を綴るコラムです。薬のトリビアなどを伝えられると、患者さんとの距離も近くなるかもしれませんね。
近年、マスコミなどで薬価の問題が話題になることが多くなりました。肺がんなどの治療薬オプジーボ、C型肝炎治療薬ソバルディなどを始めとした、高額な薬価のついた薬が注目を集めているのです。
すでに本連載でも取り上げた通り、薬価高騰は偽造薬事件などの温床ともなっています。またオプジーボなどの超高額医薬の登場は、国家財政そのものさえ揺るがしかねないとの指摘もなされ、この問題は医薬品関連業界全体にかなりマイナスイメージを与えているように思えます。
薬価高騰は、日本だけの問題ではありません。アメリカでも、新薬からジェネリック医薬まで価格が吊り上がり、「skyrocketing」という言葉で表現されるほどになっています。が、アメリカでは製薬企業が自由に薬価を決められるため、薬の価格が高騰しやすいのはわかりますが、公定薬価制度をとる日本で、国庫に負担をかけるとわかっていながら、なぜこうも薬価が吊り上がっていくのか? ここで、薬価の決め方をおさらいしてみましょう。
新薬の薬価を算定する際には、まず過去に類似薬のあるものとないものに分けられます。類似薬がある場合には、その1日分の薬価が参考にされます。ただし、新薬が優れたものと認められた場合、ここに画期性加算または有用性加算というプレミアが載せられます。
また、新薬の対象となる患者数が少ない(国内で5万人以下)場合、「市場性加算」がつきます。いわゆる希少疾患の治療薬開発を促進するため、この規定が設けられました。これと同様に、小児用医薬に対する「小児加算」というものもあります。
また、医薬というものはグローバル商品ですので、海外主要国とあまりにかけ離れた薬価をつけるわけにはいきません。そこで、米英独仏4カ国の平均から大きく外れている場合には、これに近づけるよう調整がなされます。というわけで海外での薬価高騰は、対岸の火事で済むことではありません。
一方、類似した薬効の医薬が過去にない場合は、製造原価が基準になります。単に製造にいくらかかるかだけでなく、原材料費・労務費・研究費なども原価に計上されますので、かなり大きな額となります。ここに、先ほどの画期性加算や市場性加算に似たプレミアが載せられ、薬価が決定されるしくみになっています。
そして近年、薬価が高騰する要因となっているのが、抗体医薬を始めとしたバイオ医薬の台頭です。これらは培養細胞によって生産し、精製を行わねばならないため、旧来の合成医薬に比べてはるかに製造コストが高くなります。また、製造に必要な遺伝子技術などに特許が取得されていることもあり、そのロイヤリティなども製造原価に上乗せされます。
ひとつの医薬開発に必要な研究費も、かつては1000億円といわれていたものが、近年では1剤3000億円かかるともいわれます。この経費が、原材料費に載ってくるわけです。
薬価高騰の要因はこれだけではありません。これら抗体医薬の最大のターゲットはがんですが、これまでの抗がん剤と異なり、特定の遺伝子に変異を起こしたタイプのがんだけに有効というケースが多いのです。
これは、効き目の期待できる患者だけに絞り込んで投与ができるということであり、治療の面からは朗報です。しかし、反面で患者数が大幅に絞られてしまうということでもあり、患者一人あたりの製造原価が高くなってしまいます。また、ものによっては希少疾患扱いにもなり、その分の加算も追加されます。
こうした高価な医薬に類似の新薬が出ると、その薬価を参考にして薬価が設定されますので、全体として薬価は上がることはあっても、下がることはなかなかありません。こうなってくると、もはや現在の薬価決定システムは制度疲労を起こしていると思わざるを得ません。
そこで昨年から、超大型医薬の薬価を大幅に引き下げる「特例拡大再算定」制度が導入され、ソバルディやハーボニー、オプジーボが対象となりました。かなり強引なやり方ではありましたが、もはやなりふり構ってはいられないということでしょう。この効果で、2016年度の医療費は14年ぶりに減少となりました。
さらに厚労省では、他にもいくつか薬価引き下げの方策を検討しており、近い将来の導入を目指しているといいます。そのひとつが、イギリスの国立医療技術評価機構(NICE)が導入した、医薬の費用対効果を評価する仕組みです。患者の健康状態改善度とその期間を定量的に評価し、薬価と比較して費用対効果を算出するという方式がとられています。費用対効果が悪いと見られる医薬は「非推奨」となり、保険が適用されなくなる可能性が高まります。イギリスではこの方式でかなりの医療費引き下げに成功しているため、日本でも導入が検討されているのです。
ただこうした方針は、当然ながら製薬業界、中でも巨大な交渉力を持つ欧米メガファーマからの反発は必至です。医薬の未来を賭けた攻防がどう落ち着くか、しばらくは成り行きに注目です。