薬にまつわるエトセトラ 公開日:2023.05.24 薬にまつわるエトセトラ
薬剤師のエナジーチャージ薬読サイエンスライター佐藤健太郎の薬にまつわるエトセトラ

学べば学ぶほど、奥が深い薬の世界。もと製薬企業研究員のサイエンスライター・佐藤健太郎氏が、そんな「薬」についてのあらゆる雑学を綴るコラムです。

第103回

ヘリウムとはどんな物質か? 特徴や用途、医療・研究での応用をわかりやすく解説

先日、ヘリウムという言葉がツイッターのトレンド入りし、広く話題になりました。あるバラエティ番組で、出演者がヘリウムをめぐるエピソードを披露したのがきっかけであったようです。
 
身近でヘリウムの使い道といえば、風船に詰めるか、吸い込むと声が変わるパーティーグッズとして用いられるかといったところでしょう。しかしヘリウムは、医療分野・研究分野において絶対に不可欠な物質であり、しかもその供給に大きな問題が生じている状況でもあります。

 

ヘリウムとは何か

まずヘリウムという元素について、簡単におさらいしましょう。ヘリウムは原子番号2番、常温では無色の気体です。1リットルあたり0.18グラムと、水素に次いで軽い気体であり、吸い込むと声が変わる(ドナルドダック現象)のは、この性質に由来します。

風船や気球に詰めて空に浮かべるには水素ガスでもよいのですが、水素は燃焼・爆発の危険があります。このため、これらの用途には不燃性のへリウムが用いられるようになりました。ヘリウムは貴ガスに属し、他の物質とは一切化学反応を起こさないため、安全に取り扱えるのです。

 
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超低温の世界

科学の世界でヘリウムが重要であるのは、何といっても超低温の実現に不可欠であるからです。ヘリウムは沸点がマイナス269℃とこの世で最も低く、かつては液化は不可能といわれていました。しかしオランダの物理学者オネスの執念によって、1908年に液化が実現します。
 
こうして超低温の世界の扉が開かれてみると、そこは不思議な現象の宝庫でした。その最たるものが、絶対零度近くの低温で金属の電気抵抗がゼロになる現象、すなわち超伝導です。
 
超伝導の最も重要な応用として、超伝導電磁石があります。電磁石は、大電流を流すことで強い磁場が得られますが、これには限界があります。通常の金属には抵抗があるため、大電流を流すと熱を発生します。温度が上がると抵抗も上がりますので、一定以上の電流を流すことができないのです。
 
しかし抵抗ゼロの超伝導物質ではこうした問題が生じないため、はるかに強力な磁場を作り出すことができます。この磁場を利用して車体を運ぶのが、リニアモーターカーです。

超伝導電磁石は、医療分野では核磁気共鳴画像法(MRI)に応用されています。強い磁場によって人体内の水素原子に共鳴現象を起こさせ、そこから発する電波を捉えることで、身体内部の像を得るという原理です。
 
MRIを活用することで、脳血管疾患や各種のがん、各種のけがなどの高精度な診断が可能になります。日本国内には6000台以上のMRIがあり、国内の液体ヘリウムの約4分の3がここに用いられています。
 
これと同じような原理で、分子の構造を解明することもできます。核磁気共鳴(NMR)と呼ばれるもので、この手法によって得られるスペクトルから、非常に多くの構造情報が得られます。
 
このため、NMRは特に有機化学分野においては最重要な分析装置となっており、合成した分子は一段階ごとにNMR測定を行い、論文にはそのデータを添付することが義務付けられるほどです。また、タンパク質の構造解析においても、NMRは大きな威力を発揮します。
 
というわけでNMRは化学の研究にとって不可欠であり、NMRが故障すると有機合成化学者はやることがなくなって家に帰ってしまう、というほどのものです。
 
その他、ヘリウムはガスクロマトグラフィー(GC)という分析機器にも利用されます。ヘリウムが入手できなくなれば製薬企業の研究は詰んでしまうといっても過言ではありません。

 
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続くヘリウム不足

ヘリウムは天然ガスに含まれているものを精製して用いますが、その産地はアメリカとカタールだけでほぼ9割を占めます。しかし2012年頃から国際情勢の変化、生産プラントのトラブルなどが重なり、その供給が滞りがちになっています。
 
この危機は現在に至るまで続いており、NMRの稼働や、超伝導などの先端研究が停止の瀬戸際まで追い込まれた大学もあります。供給力が改善される見通しは立っておらず、問題は深刻です。
 
いわゆるレアメタルなど、供給に限界がある資源は他にもあります。しかし、これらは回収再使用が比較的容易ですし、他の物質で代替できるものもあります。これに対してヘリウムは一度蒸散してしまえば回収はできませんし、ヘリウム以外の物質での超低温の実現は極めて困難です。

これに対応するため、ヘリウムを蒸散させずに回収再利用する設備を設置する研究機関も増えてきました。また、永久磁石を利用したヘリウム不要のNMR、ヘリウムを蒸散させずに再利用できる超伝導NMRなども登場しています。
 
対策は進んではいますが、ヘリウムが有限であり、代替不可能な資源であることには変わりありません。創薬、そして各種の先端研究に不可欠なヘリウムを少しでも無駄にせぬよう、最大限の努力が続けられているのが現状です。

 
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佐藤 健太郎(さとう けんたろう)

1970年生まれ。1995年に東京工業大学大学院(修士)を卒業後、国内製薬企業にて創薬研究に従事。2008年よりサイエンスライターに転身。2009年より12年まで、東京大学理学系研究科化学専攻にて、広報担当特任助教を務める。『世界史を変えた薬』『医薬品クライシス』『炭素文明論』など著書多数。2010年科学ジャーナリスト賞、2011年化学コミュニケーション賞(個人)。ブログ:有機化学美術館・分館

 

ベストセラー『炭素文明論』に続く、文明に革命を起こした新素材の物語。新刊『世界史を変えた新素材』(新潮社)が発売中。

佐藤 健太郎
(さとう けんたろう)

1970年生まれ。1995年に東京工業大学大学院(修士)を卒業後、国内製薬企業にて創薬研究に従事。2008年よりサイエンスライターに転身。2009年より12年まで、東京大学理学系研究科化学専攻にて、広報担当特任助教を務める。『世界史を変えた薬』『医薬品クライシス』『炭素文明論』など著書多数。2010年科学ジャーナリスト賞、2011年化学コミュニケーション賞(個人)。ブログ:有機化学美術館・分館

 

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