学べば学ぶほど、奥が深い薬の世界。もと製薬企業研究員のサイエンスライター・佐藤健太郎氏が、そんな「薬」についてのあらゆる雑学を綴るコラムです。薬のトリビアなどを伝えられると、患者さんとの距離も近くなるかもしれませんね。
2017年1月17日、衝撃的なニュースが飛び込んできました。奈良県の薬局チェーンで、C型肝炎治療薬「ハーボニー」(ギリアド・サイエンシズ社)の偽造品が見つかったと、厚生労働省が発表したのです。購入した患者が、いつもと違う錠剤が入っていたことに気づいて通報し、事件が発覚しました。
その後の調査で、同じような偽造品は奈良県で5本、東京都でも9本発見されました。分析の結果、ボトルは本物であったものの、中身の錠剤はビタミン剤や漢方薬であったということで、どこかでこれらがハーボニーの空き瓶に詰め替えられ、流通ルートに紛れ込んだものと見られます。
ハーボニーは、95~100%という驚くべき著効率と、1錠8万171.3円という非常に高い薬価がつけられたことで話題を集めた薬です(その後1錠5万4796.90円へ引き下げ)。となれば偽造品の可能性は十分考えられるところで、筆者も近著「医薬品とノーベル賞」(角川新書)でそのことに触れています。ただし、このような形での出現はまるで予期していませんでした。
これまで、偽造薬としてはバイアグラやシアリスなどのED治療薬や、プロペシアなどの育毛薬のケースが知られていました。これらは多くの場合ネット通販で流通しており、違法であるばかりか不衛生な環境で作られたもの、有効成分が少ないもの、全く含まれていないものなど、中身も粗悪なものが多いようです。
こうした偽造薬の流通量はなんと世界で750億ドル(2010年WHO調べ)にも達するとされ、特に途上国では深刻な問題となっています。今まで麻薬や危険ドラッグなどを手がけていた組織が、これらの取り締まりが強化されたために偽造薬に鞍替えしているとの見方もあります。
しかしこうした問題はあくまで海外、あるいはネット空間のみのことであり、日本の医療用医薬品の流通経路にはこうした偽造薬の入り込む隙はないと思われてきました。それだけに、偽ハーボニーの出現は衝撃的であったといえます。
その後の捜査で、この偽造薬は正規の卸ではなく、「現金問屋」から入ってきたものと判明しています。薬局や病院の過剰在庫を買い取って安く売るビジネスで、これ自体は違法ではありませんが、怪しげな品が入り込む余地は確かにあったということでしょう。この後、偽造薬はいくつかの卸を経て奈良の薬局に流れ着いたため、結局何者が偽造薬を作り、売りさばいたのかいまだ判明していません。
今回は幸いにして健康被害などは確認されていませんし、発覚以降に新たな偽造薬は発見されていないようですから、大規模な組織の犯行といったことではないとみられます。とはいえ医薬品流通に対する信頼はすでに大きく揺らいでいますし、放置すれば第二、第三の偽造薬が出回るであろうことは火を見るよりも明らかでしょう。
事件の原因のひとつは、不透明なプラスチックボトルに錠剤が詰め込まれ、アルミシールで封がされているという、ハーボニーの包装形態にあったといえます。アルミシールを剥がしてしまえば中身の劣化につながりますから、もしちょっと怪しいと思った人がいても、そうそう開けて確認もしづらいのが実際のところでしょう。こうした容器にハーボニー28錠、つまり150万円分以上の高額商品が詰め込まれているわけですから、かなりハイリスクな状態であったと言わざるを得ません。
これを受け、販売元のギリアド社ではハーボニーのボトル包装を廃止し、3月1日より中身が見えるブリスター包装に切り替えることを発表しました。これにより、今回のような単純な手口は通用しなくなります。とはいえ、バイアグラなどではかなり精巧な模造品も出回っていますから、ハーボニーも偽造が不可能になったわけではまったくありません。
ハーボニー以外にも、今後も高額な医薬は登場してくるでしょうから、これらは偽造者にとって格好の標的となりえます。信頼性の高い流通経路の整備なども、当然求められることになるでしょう。しかし、偽造薬に対する最後の防衛線となるのは、当然ながら現場の薬剤師のみなさんということになります。こうした事態が起きうることを常に念頭に置き、薬剤の形状や包装に異状がないか今まで以上に目を光らせることが、今後求められると思います。