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ノーベル賞に本庶氏‐癌免疫療法の道開く

薬+読 編集部からのコメント

日本人で5人目となるノーベル医学生理学賞を受賞した本庶佑教授は、1942年京都市生まれの76歳。今回の受賞につながる免疫細胞の表面で働くタンパク質「PD-1」を発見したのは1992年。26年の歳月がかかっているんですね。

スウェーデンのカロリンスカ研究所は1日、2018年のノーベル医学生理学賞を、本庶佑京都大学特別教授と、米テキサス大学のジェームズ・アリソン教授に授与すると発表した。受賞理由は、「免疫抑制の阻害による癌治療法の発見」。本庶氏は、T細胞のPD-1と結合して免疫の働きにブレーキをかけるタンパク質を突き止め、免疫チェックポイント阻害薬「オプジーボ」開発の道を開いた。日本人のノーベル医学生理学賞受賞は、5人目。


 

本庶氏は、1942年京都市生まれ。76歳。66年に京大医学部卒業、75年医学博士取得。92年に異物を攻撃する免疫細胞の表面で働くタンパク質「PD-1」を発見。同タンパク質が免疫細胞の暴走を防ぐブレーキ役を果たしていることを解明した。2002年に癌治療効果を確認。その後、免疫チェックポイント阻害薬として実用化され、14年に小野薬品から「オプジーボ」が発売された。

 

京都市の京都大百周年時計台記念会館で会見した本庶氏は開口一番、「長い間苦労してきた共同研究者、学生、様々なところで応援してくださった方々、家族に感謝したい」と述べ、満面の笑顔を浮かべた。

 

受賞については、「大変名誉であるが、重病から快復した人に『あなたの薬のおかげで良くなった』と言われることで十分」と言い切った。

 

自らの研究のモットーを、「自分に何が知りたいという好奇心と、もう一つは論文に書いてあることを簡単に信じないこと」と断言する本庶氏。さらに、「自分の目で確認できるまでやるのがサイエンスに対する私の基本的な考え方で、自分の頭で考えて納得できるまで研究してきた」と胸を張る。

 

これまでを「幸運な人生を歩いてきた」と振り返り、「まず、健康で、性格的に物事を突き詰めて考える良い遺伝子を両親から受け継いだ」と述べ、「本庶家はお寺で、そのような人が多い」と明かした。

 

さらに、「若い頃から米国の若手研究ファンドに採用されて年間3000ドルの破格の研究費をいただいたり、阪大時代に日本の科学研究費の金額が大きくなった」ことを挙げ、「ずっと科学研究費に支援されて研究ができた」と感謝の意を示した。また、「70年代に遺伝子組み換え技術が発達し、DNAシークエンスや遺伝子ノックアウトマウスの登場も大きかった」と指摘した。

 

本庶氏は、「基礎研究から応用につながるのは決して希ではない」とした上で、「ぜひ基礎研究にきちんとしたシステムを確立し、長期的展望でサポートして若い人が人生をかけて良かったと思える国になるのが重要だ」と強調。

「現在、自動車、ITで国を支えているが、ライフサイエンスに投資しない国に未来はない。今、儲かっているところにお金をつぎ込んでいては世界から後れを取る」と訴えかけた。

 

本庶氏の受賞に対して小野薬品の相良暁社長は、「先生の業績の偉大さは揺るぎのないものであるが、ノーベル賞という形で世の中に評価されて喜ばしい限り」とコメント。その上で、「抗PD-1抗体を抗癌剤として医薬品化したわれわれの使命は、できる限り早く、より多くの患者さんに届けることにある」と強調した。

 

また、PD-1発見当時から小野薬品より出向して本庶氏の研究チームに加わっていた柴山史朗小野薬品免疫研究センターセンター長も、「腫瘍免疫という概念に長年付きまとった偏見を覆す研究を身近に見聞でき、その実用化に多少なりとも関与できた幸運に深く感謝したい」とのコメントを寄せた。

 

本庶氏と1998年当時、京大助教授として共同研究を行った溝口明氏(三重大学教授)は、「当時、今回の受賞の対象となった分子であるPD-1を欠損したマウスは多くの臓器に障害が起こり、正常よりも短命になるとしか分かっていませんでした。ただ、このとき、本庶先生が『これは、きっと大切なことがある』と直感で断言されたことは、はっきり記憶しています」と思い出を語ると共に、「全く新しい治療法の開発は世界に誇り得るもので、これからもお元気で、日本の学術を牽引していただきますよう願っております」とコメントしている。

 

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出典:薬事日報

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