薬にまつわるエトセトラ 薬にまつわるエトセトラ

学べば学ぶほど、奥が深い薬の世界。もと製薬企業研究員のサイエンスライター・佐藤健太郎氏が、そんな「薬」についてのあらゆる雑学を綴るコラムです。

第71回

コロナ禍でうごめく政治的思惑【ワクチンはいつ?】

新型コロナウイルス封じ込めの鍵となる治療薬やワクチン。その開発をめぐり、政治的思惑が見え隠れするニュースが相次ぐ昨今、政治的な私欲が優先され科学的視点が置き去りにされる現状に危機感が募ります。

ワクチンの供給はいつ?

新型コロナウイルス感染症(COVID-19)のワクチンや治療薬の開発については、本連載で何度も取り上げています。これらの開発には世界各国が全力を投入しており、いずれも目をみはる勢いで研究が進んでいます。

日本でも国内生産を後押しするため、武田・シオノギ・第一三共・アンジェスなど6社に対し、合計900億円を助成することも発表されています(NHKオンライン、2020年8月7日)。また、政府は海外で開発中のワクチンを確保すべく交渉に乗り出し、アメリカのファイザー社及びイギリスのアストラゼネカ社と、それぞれ6000万人分(1億2千万回分)の供給を受けることで合意しています。COVID-19制圧の切り札となりうるのはやはりワクチンですので、その確保のために必要な手は打っていると思えます。

ただし、これでどうやら安心とは行かないのは当然です。ファイザーやアストラゼネカのワクチン完成は今年末から2021年前半と見込まれていますが、これは全てがうまく行った場合であり、これより遅れることも十分ありえます。

ワクチンの臨床試験も、医薬品と同様の手順を踏んで行なわれます。すなわち、動物での試験から始まり、小規模に安全性などに関する予備的な試験を行なう第Ⅰ相、この結果に基づき、接種量や接種間隔、免疫反応への影響などを調べる第Ⅱ相、そして実際の使用状況を想定した大規模な試験を行なう第Ⅲ相の3段階です。

これだけの段階を踏みますので、医薬の場合でも臨床試験には3~7年、さらに審査に1~2年を要することが普通です。ワクチンの場合、基本的に健康な人に対して使用されるものであるため、医薬に比べて厳しい安全基準を要求されます。弱毒生ワクチンなどの場合には、健康な人を感染させてしまう可能性もありますので、さらに慎重な試験が必要となってきます。

というわけでやはり基本的にワクチンの開発には時間がかかり、今までの最短記録である流行性耳下腺炎(おたふくかぜ)のワクチンでさえ、4年を要しています。また、ワクチンを必要とする何億という人々に行き渡るほどの量を生産するには、最低でも数ヶ月という時間を要します。ワクチンの開発や試験を短期間で済ますべく、多くの努力がなされていますが、やはりそう簡単ではないと思うべきでしょう。そもそもワクチンによって新型コロナウイルスへの免疫を獲得できない、あるいはごく短期間で切れてしまうこともありえます。

そうした中、8月11日にロシアのプーチン大統領は、世界で初めて新型コロナウイルスに対するワクチンを認可したと発表しました。このワクチンは、1957年に旧ソ連が打ち上げた世界初の人工衛星になぞらえ、「スプートニクV」と命名されています(ナショナルジオグラフィック、2020年8月19日)。

ただしこのワクチンは、5月に臨床試験を開始したばかりであり、試験結果のデータも公表されていません。このわずかな期間で、十分な効能や安全性のデータが得られるとはとても思えず、国際的にもこの発表は全く信頼されていないようです。

政治の道具となる医薬

ただし日本も、あまり人のことを言えそうにはありません。吉村洋文・大阪府知事が、ポビドンヨードを含むうがい薬でうがいをすることで、「コロナに勝てる」などとぶち上げた件があったからです。

この件の正否については、薬剤師の皆さんには改めてくだくだしく述べるまでもないでしょう。わずかな被験者に対して行なわれたごく予備的な試験データをもとに、軽々しく効果を謳うなどは、あってはならないことです。実際に、翌日からうがい薬が売り切れて必要な現場に行き渡らないなどの混乱も起きましたので、その害は大きかったといえます。

一方、厚労省では7月31日に医系技官のトップであった鈴木康裕氏が退任しました。この時期に重要ポジションである医系技官が交代するという異例の人事の裏には、COVID-19治療薬として期待されたファビピラビル(商品名アビガン)の承認をめぐるいざこざがあったとの報道があります(時事ドットコム、2020年7月31日)。

アビガンに関しては、安倍首相が当初「5月中の承認を目指したい」と発言するなど、大きな期待を寄せていました。しかし鈴木氏はアビガンの承認に慎重な姿勢を示してきたため、官邸側の不興を買って交代させられたのでは――というものです。

この報道が事実であるなら、あってはならぬことが行なわれたというべきでしょう。医薬の承認はあくまで科学的データに基づいて進められるべきであり、政治的意図が介入するなどは以ての外です。

治療薬やワクチンは、国の威信や政治家の功名心を満たすためのものではありませんが、残念ながら同じようなことは各国で起きているようです。8月23日には、トランプ大統領の圧力により、回復者の血漿を投与する治療法を、米国FDAがデータ不十分なまま承認してしまったという報道もありました。しかし、科学的知見に基づかないいい加減な発表を続けていれば、かえって国民や海外からの信頼低下を招くことでしょう。国民の信頼できる科学顧問を政府に置くなり、何らかの措置が必要なのではと思えます。

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佐藤 健太郎(さとう けんたろう)

1970年生まれ。1995年に東京工業大学大学院(修士)を卒業後、国内製薬企業にて創薬研究に従事。2008年よりサイエンスライターに転身。2009年より12年まで、東京大学理学系研究科化学専攻にて、広報担当特任助教を務める。『世界史を変えた薬』『医薬品クライシス』『炭素文明論』など著書多数。2010年科学ジャーナリスト賞、2011年化学コミュニケーション賞(個人)。ブログ:有機化学美術館・分館

 

ベストセラー『炭素文明論』に続く、文明に革命を起こした新素材の物語。新刊『世界史を変えた新素材』(新潮社)が発売中。

佐藤 健太郎
(さとう けんたろう)

1970年生まれ。1995年に東京工業大学大学院(修士)を卒業後、国内製薬企業にて創薬研究に従事。2008年よりサイエンスライターに転身。2009年より12年まで、東京大学理学系研究科化学専攻にて、広報担当特任助教を務める。『世界史を変えた薬』『医薬品クライシス』『炭素文明論』など著書多数。2010年科学ジャーナリスト賞、2011年化学コミュニケーション賞(個人)。ブログ:有機化学美術館・分館

 

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